タイトル“ろか探”とは、弊webサイトで使っている造語です。

“ろかたりあん探索”の略語なんですけど、では“ろかたりあん”とは何ぞやという説明も必要ですね(汗)

 

ろかたりあん探索

 

“ろかたりあん”も弊webサイトで使っている造語で、所謂『飛び出し坊や』のことです。命名の経緯ですが・・・書き出すと読む方も大変なので、webサイトをご覧のうえご確認いただくことでご容赦ください。

 

 

守山への“ろか探”は過去に2回(2017年と2021年)行っていて、ここでは古い2017年の時の様子をお伝えすることにします。

 

2021年分は、文末に。

 

守山市内を散策しながら、胃袋に導かれながらクラブハリエに立ち寄ったり

 

 

 

途中で今や絶滅危惧種となりつつある丸型ポストに和んだり。

 

 

・・・ところで、ポストですが少し小柄じゃないですか?

周りの車と比べても・・・ねぇ

 

最近はこの界隈を訪れることがなく、ポストの近況を把握できていません。少なくとも上記確認から5年度に当たる2022年のストリードビューで確認できましたので、恐らく現役でご活躍中のことかと思われます。

 

・・・ちょっと見に行こうかな?

 

今宿一里塚

 

守山は江戸時代より、中山道の宿場『守山宿』として栄えていたそうです。当時、京都から中山道で江戸方面へ向かった旅人が宿泊したのが、この守山だったそうです。

 

京都三条大橋からの距離が八里六町(約34.4キロ)だそうで、当時の旅人は1日での行程が八里~十里だったことから、ちょうど「今宵のお宿」という距離だったようです。

 

そうか、江戸時代は1日で32~40キロ歩いてたんだ。

当然、翌日以降も同じぐらい歩いたのでしょう。

他に移動する手段がなかったとはいえ、同じ距離を連日歩くのはムリ・・・

 

そういう街道筋なので、途中に一里塚『今宿(いまじゅく)一里塚』があります。中山道には一里塚が129箇所あったらしく、この今宿一里塚は江戸から128番目にあたるそうです。

 

 

現地に設置された案内看板より情報拝借してますが、その文章によると、滋賀県内で一里塚が残っているのはこの今宿のみとのこと。県内では他にも一里塚の名前は見かけますが、確かに“塚”自体が残ってた記憶はありません。

 

 

ひだり~!

 

まぁ、大きな声出さなくてもいいって。

ここは滋賀県、彼はどこでも待ってくれてます

 

 

とび太くん、います。

 

2021年、訪問

 

というわけで、2回目の訪問のお話

この時は、野洲から草津まで歩く途中に守山を通過した形。

 

全体行程をGoogle mapで表すと

 

 

のとおりで、守山市の区間を今回更新のページで紹介しています。

 

NEW

 

先のポストは登場しませんが、一里塚の彼は・・・ ←ナゼ、テンテン?

ということで、もしお時間ありましたら、ゆるゆるとご覧いただけたら嬉しいです。

 

 

ボクハ、ダシテモラエナカッタ(カナシイ)

 

ではでは