「ろか探」・・・弊サイトのコーナー『ざ・ろかたりあん』にて、飛び出し坊やを探索することをそう呼んでいます。
旧東海道での“ろか探”
最初はあまり意識せず旧街道界隈で探索していましたが、そのうちに「滋賀県+旧街道沿い=飛び出し坊や遭遇率高め」の公式を実感し始めました。
まずはこれまでの未探索エリアをカバーする形で、旧東海道を順次探索しています。飛び出し坊やが見つかれば『ざ・ろかたりあん』のレポートで紹介し、それ以外で興味のあるネタがあれば当『ふらろぐ』で紹介しています。
レポートの一部をリンクしておきます。
これ以外にもありますが、代表ということで。
連載ものなので、メニューからどうぞ。
一部はレポートにしていませんが、現時点では京都三条大橋から大津~草津~石部~水口までを巡っています。土山より東へも足を延ばしたいのですが、アクセス方法の制約(基本的に車を使わない)もあり、まだ実行に移せていません。
旧中山道の探索
その目的もあり、飛び出し坊やは住居が集まっている所に設置されています。また旧街道において、住宅が集まるのは宿場町だったところが多いです。その宿場町ですが、旧東海道にはご存知の通り53の宿場町があります。
一方で滋賀県には、旧街道(いわゆる五街道)のうち中山道も通っていています。筆者の居住地より少し離れているのであまり意識できてませんでしたが、旧中山道には69の宿場があったそうです(一部は旧東海道と重複)。
参考
前置きが長くなりました。というわけで、タイトルの話となります。
「武佐宿」での“ろか探”レポート
江戸から66番目、滋賀県近江八幡市の宿場町「武佐(むさ)宿」での“ろか探”レポートができました。本日サイトに掲載しましたので、更新のお知らせをいたします。
New!
地元小学校の、卒業記念で作成・設置されたものということです。お時間ありましたら、ページをお楽しみいただけると嬉しいです。
あと、SNS等でのリンクでサムネイル(画像)が出るようにしました。
最後に、宿場町としての武佐について簡単に触れておきます。
武佐宿は中山道と、八日市(滋賀県東近江市)から伊勢方面を結ぶ『八風街道』との分岐点にもなっていて、近江商人の往来も多かったそうです。今回掲載したページでも触れてますが、本陣跡もあります。
現地の案内看板より
歌川広重画の「木曾海道六拾九次之内 武佐」を挙げての紹介ですが、描かれているのは武佐の西方を流れる日野川(横関川)の渡し船だそうです。川の水量が減ると画のように2艘の舟を固定し、舟橋にしていたとのこと。
今回はここまで。