特別にすごいことをした日ではありません。

この日、献血へ行きました。

 

特に「初めての献血」という訳ではないのですが、この日以降怒涛のように献血へ行くようになった、個人的に思い入れのある日なのです。

 

具体的な日付は、3月21日です。もっと正確に書くと「平成4年3月21日」となります。「4321」の日だったのです。何か「4321」が残るものはないかと周りを見ていたところ、献血手帳がたまたま目に入りました。現在は磁気カード式で献血日を印字する形になってますが、当時は紙製で献血した日のスタンプを押すスタイルでした。和暦での表記であるため、「4321」の数字をスタンプしてもらえるのです

 

そう、それだけの理由で献血ルームに向かったのです。当時は大阪府高槻市に住んでいたので、一番近い大阪府茨木市のルームを利用しました。

 

献血自体はそれまで別の場所で2回ほど経験していたのですが、いわゆる「全血献血(200mlやら400mlのヤツ)」でした。茨木のルームでは成分献血を勧められ、断る理由も無かったので試してみました。

 

画像載せる必要があったのだろうか・・・(大汗)

ルームのお姉さま(スタッフの方)にお願いして撮ってもらいました。(1999年)

 

先程「献血手帳に日付をスタンプ」と記しましたが、当時のスタンプルールが「200ml献血時は1個、400mlが2個、そして成分献血が3個押す」というものでした。更に、400ml献血時は次の献血まで3ヶ月(記憶では)間隔をあける必要がありますが、成分献血の場合は基本的に2週間開ければよいとのこと。つまり成分献血を選択すると、お得にスタンプを集められるという訳です(爆)。

 

いや、本来の目的は「いのちのおすそ分け(ボランティア)」だったはず・・・

 

はい、まんまと策略にはまって、その後頻繁にルーム通いしましたよ。気が付けばスタンプが100個になり、大阪府知事名での表彰もいただきました。ちなみに、当時の知事はあの「ノックさん」でした。

 

よく画像があったね~(笑)。

なお、祈念式典が大阪の森之宮で開催され参加したのですが、挨拶に来られたのは副知事さんでした。ノックさん拝めず残念!

 

その後「スタンプ個数の統一化」や「献血手帳の磁気カード化(スタンプ無し)」にてモチベーションの若干低下(笑)があったり、引っ越しや他県赴任で献血から遠ざかった期間もあったものの、今もぼちぼちと献血回数を重ねている状況です。本日(令和2年11月28日)も行ってきました。

 

その先には、やっぱり狙っておきたい日がありますね。もちろん・・・

令和4年3月21日!

ただ、何度も書いたけどスタンプじゃないんだよなぁ(爆)。

 

正確には、「R04.03.21」という印字になる模様。。。