こんにちは!
英国ハーブ療法&波動療法の〚フレグランス南青山〛です♪
本日12月31日は父の命日。
十七回忌の法要がしめやかに執り行われました。
父は明るくてユニークな人でしたから、いつも周囲は笑いが絶えませんでした。
昨夜も家族そろって父の思い出話に花を咲かせ、夜更けまで笑いの渦に包まれておりました
さて今回は、父が示してくれた 「私たちの真の姿」 について、父の最期を看取った体験も交えてお話ししたいと思います。(2013年のブログ記事を一部改変して再掲します)
2003年7月、精力的に活動していた父が突然、余命半年と宣告されました。
進行は思いのほか速く、数か月後には飲むことも食べることも出来なくなりました。
それでも持ち前の陽気さで周囲を笑わせている姿からは、もうすぐあの世に旅立つなんて全く想像もつきませんでした。
突如として襲ったこの一大事をきっかけに、私たち家族に大きな変化が生まれました。
◇ 家族の団結が一段と強まりました
◇ コミュニケーションが増えました
◇ 優しくなりました
◇ 小さな親切に敏感になりました(感激しやすく涙もろくなりました)
◇ 毎日たくさんの感謝をするようになりました
◇ 一日一日を愛おしむように大切に過ごすようになりました
◇ 与えられた限りある時間を悔いなく生きるために何を優先すべきか、価値観や人生観がみるみる変わりました etc. etc. etc.
「もしかして父が本当に旅立つのでは?」 と直感したのは、なんと父が他界する前日、2003年12月30日のことでした。
当時、父は岡山の病院に入院しており、母と私が付き添っていました。
その日の夕方、父がおもむろに 「(自分は)何歳か?」 と訊ねてきました。
「63歳ですよ。」 と母が答えると、「ああ、63か。」 と納得した様子で深くうなずきました。
そして、カーテンと窓を開けてくれと頼んできました。
私たちはカーテンしか開けませんでしたが、いよいよお迎えが近づいていることを察しました。
翌日の大晦日には、年末の仕事納めをした姉と兄が広島から駆けつけることになっていました。
しかし、翌日まで待てなくなった私は、とっさに公衆電話に向かって走り、姉兄に大至急病院へ来るよう連絡しました。
その日は雪が降り、いつも以上に時間がかかりましたが、深夜を過ぎて二人が到着。
父を囲み、手を握り、励ましながら大晦日の朝を迎えました。
父は家族全員がそろってとても満足そうでした。
家族の必死の励ましと病院スタッフ皆さんの献身的な看護は続きましたが、父は2003年から新年の変わり目に、自らの人生を終えるようあらかじめプログラムしていたのでしょうか。
昼過ぎから、正常だった血圧が急に下がり、父は静かに息を引き取りました。
亡くなる瞬間はハッキリ見てとれました。
まるで霊子線が切れて魂が肉体から抜け出たような、その瞬間、父の体はロウ人形のような抜け殻になりました。
ようやく修行を終えて、痛みや苦しみから解放されたようでした。
数分後に、兄が父からのメッセージを受け取りました。
家族への感謝の言葉、今後についての期待と想いが伝えられました。
父との別れは本当につらいものです。
しかし、私たちはそれ以上のものを教わったように思います。
人の死に直面するのは初めてでした。
今のこの次元で考えますと、「死」 は 「終末」 のように感じられるかもしれませんが、それは 「霊魂が肉体から解放されて自由になる瞬間」 であり、「今生での魂の修行を終えた卒業式」 でもあると思うのです。
「精一杯生き抜いた最期を締めくくるにふさわしい、一世一代の晴れ舞台」 とも言えるでしょう。
その儀式のあまりの深遠さに、私の魂は感激で震えました。
新しい世での弥栄(いやさか)を大声で祝福したいような、そんな衝動にかられました。
このような崇高な儀式に立ち会わせて頂けたこと、父の娘としてこの世に生を受けたことに感謝が溢れ出しました。
「おとうさん、ありがとうございました!」
大晦日の晩、乗用車に乗り込み、父の亡骸(なきがら)を膝にのせ、生前の楽しい思い出話に興じながら長い道中を家路に就きました。
驚いたことに、家に近づいてみると、大きな 「のろし」 があがっているではありませんか!
道中、近所の方に連絡したので、皆さんが火を焚いて出迎えてくださったのです。
大晦日の晩にも関わらず大勢の方が駆けつけてくださり、父を安置したり、今後の段取りを話し合ったり、私たちを励ましたりしてくださいました。
ご近所の皆様の団結力と手際の良さと温かさには何度お礼を申し上げても足りないくらいです。
(元旦には、手入れのできていなかった庭園や外回りの掃除を私がしていると、ご近所さん達が手に手に作業用具を持って手伝いに来てくださいました _(._.)_)
お正月は葬儀屋さんも休業中なので、お通夜は1月2日、葬儀は1月3日となりました。
家が大好きな父は、少しでも長く家に居られるように、その辺もちゃんと計算しておいたようですね(笑)。
そして1月2日、通夜は滞りなく終わりました。
ほっと一息ついたところで、急に写真を撮りたい衝動に駆られました。
「こんな時に写真に収めるのもどうかしら?」 と少し躊躇したものの、やっぱり撮ってみました。
すると、不思議なことが起こり始めたのです!
まず、母の胸の中央(ハートセンター)に白く輝く オーブ(御霊・たまゆら)が写りました。
次は兄に、私に、姉に・・・と、全員のハートセンターに白いオーブが現れました。
「父だったらこれくらいの演出はするだろう。」 「父に間違いない!」 と全員が確信して、通夜の夜から大撮影会が繰り広げられました!
次に、母が祭壇の父に向かって話し始めました。すると、ちょうど父と母の間に、青みがかった美しいオーブが現れました。
私はそれまでもオーブ写真をよく撮っていましたが、こんなに大きくて鮮明なものは初めてです!!
この撮影会、ますます盛り上がりを見せてきました
(注:写真中の人名・人物はグレーで消しております。その他の編集はしておりません。写真の掲載は父の了承済みです。)
今度は移動中をキャッチしたみたいです。
葬儀を終えた後も、この 「オーブ現象」 は続きました。
と言いますか、オーブはますます大きく成長し、その光を増してきました。
複数のオーブが写るようにもなりました。それぞれ色が違っていたり、あるものは移動中でブレていたり、三つのオーブが重なり合って三位一体となったものなど様々です。
中でも、ひときわ大きく明るい輝きを放っているのが父と思われます。
このオーブたち、日増しに数を増してきました。
部屋いっぱいに乱舞しています。
私たちにぶつかったり、空気と一緒に吸い込んでしまうのでは?と心配にもなりました(笑)。
「いつまで増え続けるのかしら?」 と思っておりますと、四十九日の納骨をさかいに、一斉に姿を消しました。
四十九日間はこちらの世に居ると言われていますから、その間にご先祖様やゆかりのある霊がお迎えに来られたのでしょう。
父は歓びに満ちあふれてあの世へ旅立ったように感じました。
私はこの 「尊い死」 の体験を通して、
「肉体は滅びても、霊魂は不滅であること」
「生きとし生けるものはみな、美しい 『光の存在』 であること」
を悟りました。
ひるがえって、私たちの魂は一体どのような光を発しているでしょうか?
私には分かりませんが、ただ言えることは、
「今生界は経験の場であり、魂を磨けるチャンスがふんだんに与えられている」
ということです。
この絶好の機会を生かして、魂の光を少しでも美しく、強く、輝かせていきたいものです
合掌
長文を読んでくださり有難うございます。
今年もたくさんの素晴らしいご縁をいただきました。
例年通り激動の年ではありましたが・・・、内面は鏡のような湖面の如く穏やかに過ごせた年でもありました。
ひとえに、皆様のお導きのおかげと深く感謝申し上げます。
来年も、霊魂の本来の輝きを取り戻せますよう精進してまいります。
皆様と私の人生の “道” が交差する時、どのような光がスパークするのか楽しみにしております
どうぞよいお年をお迎えくださいませ。
愛感謝を込めまして
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