今村さんは、2010年のデビューでありながら、非常に寡作な方です。寡作ですが、出す著作がほとんど賞を受賞しています。
 デビュー作「あたらしい娘」で太宰治賞受賞。同作を「こちらあみ子」と改題し、新作中短編をあわせた『こちらあみ子』で、三島由紀夫賞受賞(2022年映画化)。2017年『あひる』で河合隼雄物語賞受賞。そして、2019年に『むらさきのスカートの女』で芥川賞受賞。

 本書も、2017年の野間文芸新人賞を受賞という、すさまじいばかりの受賞歴です。

 内容は、非常に今日的な問題である「宗教二世」です。それを、当事者である子供の立場で書いています。

〇あらすじ

 主人公の「林ちひろ」は、標準を下回る体重で生まれ、そのせいで三か月近くを保育器で過ごします。退院してからも体が弱く、特に湿疹がひどいため、毎晩痒がって泣き喚きます。専門医も、あらゆる民間療法も効かず、両親も五才上の姉も、毎晩一緒になって泣いていました。


 ある日、父が会社で、ふとそのことを口にしたとき、同僚の落合さんから「それは、水が悪いのです。」と言われて、落合さんからプラスチックボトルに入った水をもらいます。落合さんの指示通り、その水で、毎日ちひろの湿疹を軽く洗っていたところ、徐々に快方に向かい、なんと二か月で完治。さらには、料理や飲料水として使うと、両親とも風邪一つひかなくなるというすぐれもの。落合さんの薦める水は「金星のめぐみ」という名前のもので、通信販売もしていました。


 そうやって、その背後にある宗教(具体名は出てきませんが)に両親は染まっていきます。ちひろは、学校では周囲から若干疎まれていましたが、少ないながらも友達ができたり、教会や集会所に行ったりしていました。しかし、姉の「まーちゃん(映画では「まさみ」)」はそんな両親に反抗して家出を繰り返し、高一の時に行方をくらましてしまいます。


 ちひろが中学三年の時、団体主催の研修旅行に両親と参加します。向かったのは、隣県との境に位置する「星々の郷」。信者同士の交流会の後、ちひろは両親を探しますが、なかなか見つかりません。やっと見つけた両親から散歩に誘われ、小高い丘の上に三人はシートを広げて座ります。ちひろは両親に挟まれ、ともすれば暖かくて眠ってしまいそうになりながら、三人で星空を眺め続けるのでした。

〇感想

 え、ホラー!?

 ちひろは終始、宗教への抵抗や反抗する様子は見せません。かといって、宗教活動にのめり込むこともなく、適度な距離を保っているとも言えますが、じわじわと、真綿で首を絞めるような感じで、どこにも行けない、何者にもなれない状況に追い込まれています。
 引っ越すたびに小さくなっていく家。普段、ごちそうを食べていないため、親戚の法事で出てくる高級お弁当を、何よりも楽しみにしていたり、学校でも飲んでいる「金星のめぐみ」を不審がられ、憧れていた先生から「変な水」と言われたりしています。
 
 一方で、本作品はそんな宗教一家を全否定するわけでもありません。両親に反抗していた姉のまーちゃんが、叔父と協力して「金星のめぐみ」がただの水であることを両親に思い知らせようとする試みも、当のまーちゃん自身、最後まで両親を裏切りきれずに失敗してしまいます。その後、外泊を繰り返すようになった姉からは、「生ごみのにおい」がするという生活破綻ぶり。最後に見た姉の手は「無数の傷と謎のラクガキに覆われて」いました。

 つまり、宗教を否定した彼女も、(作中では)幸せにはなっていないんですよね。

 とてつもなく不幸な状況に置かれていることが予想されても、それを「幸せにしてあげよう」というベクトルで書くわけではなく、温かいまなざしを持ちながら「そのまま書く」。そのまま書いて、読者の判断に委ねるということでしょうか。

 作者と作家の小川洋子さんとの対談で、作者は実際に「無数の傷と謎のラクガキに覆われ」た手をした女の子を見かけた体験を話し、「彼女は幸せになっていると思う」と言っていました。

 私は、「宗教二世」の置かれている「ステルス虐待物語」と読みました。

 両親と星空を見上げるまひろは「わたしのいる場所はあたたかく、目を閉じればそのまま眠ってしまいそうだった。このまま眠ってしまえばいいだろうか。そうしたら、薬を飲まされ、ICチップを埋め込まれ、催眠術をかけられて、明日の朝にわたしは変わっているだろうか……」と思います。
 両親のことが好きで、信仰をやめさせようとすることもできず、いっそのこと洗脳されて、何の疑問も持たない存在になれば幸福になれるのだろうか、と考えているのです。作者は、答えも解決の道も示しません。一方で、彼女の幸福な未来も予感させないことで、彼女の置かれている場所の、息苦しいほどの閉塞感を表現しています。
 ネット上では、この最後のシーンの解釈について、「両親による家族心中説」が見かけられます。
 私としては、作者の性格上、そういう救いのない結末ではないんじゃないかなと。
 
 もしかしたら、将来ちひろは両親と決別し、自立するのかもしれません。そうしたら、両親とは二度と会わないまま結婚し、子どもを産むのかも。ある日、公園で遊んでいる子供を見て、唐突に両親と見た星空を思い出して、堪え切れず涙してしまう、そんな後日談を予想しました。

 現実には、自ら望んで「宗教二世」として生きている人は大勢います。(本書でも、自己の信仰に自信を持っている人間も描いています。)
 一方で、そうした立場に違和感を感じている人や、抵抗している人も、また多いのも事実です。

 

 そうした人たちには、本作のように、常に変わらず、まひろに手を差し伸べ続けてくれる、おじさん夫婦のような存在はあるのでしょうか。