おすすめ本の紹介(3)「歴史問題は解決しない」倉山満 | 「日本の問題」について、大学生のリョウが考えるブログ

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 我が国、日本は様々な問題を抱えています。領土問題、歴史問題、そして日本国憲法…などなど。どうすればこの国は独立することができるのか。このブログでは、現在大学生のリョウが日本の問題について考え、その問題についてどう対処すればいいのかを綴ります。

再生というルネサンスから宗教戦争の時代へ




 ヨーロッパは15世紀末以降、①ルネサンス、②宗教改革、③対抗宗教改革、④大航海時代の4つの動きが複雑に絡み合い、近代化していく。



 ①第一の動きのルネサンス(再生)とは、カトリックによって破壊された中世から黄金の時代への回帰を意味する。この時代の「ヒューマニズム」とは、日本人が誤解するような人道主義の意味ではない。主(God)ではなく、人間に価値観の中心に据えよう、カトリック教会の教えに縛られて生きるのはやめようという運動なのである。



 ギリシャ・ローマの古典を復活させたのも、ルネサンス期である。この意味での「ヒューマニズム」は人文主義と訳される。ヨーロッパ人に忘れられていたプラトンの哲学やキケロの詩は、十字軍に伴う貿易によってイスラム諸王朝から逆輸入される形で広がっていった。



 余談であるが、常に歴史が進歩してきた日本に「暗黒の中世」など存在しない。だからルネサンスなど存在しないし、存在しえないのである。ここが根本的な歴史認識の懸隔なのだ。そして自己反省の欠如にもつながる。




 ②第二の動きの宗教改革とは、ローマ教皇(カトリック)の権威への反発である。

 当時のカトリック教会は腐敗を極めていた。美人の村娘を司祭が手籠めにし、事件の発覚を恐れて魔女狩り裁判で火あぶりにするなど日常茶飯事であった。人民が無知蒙昧なのをよいことに、やりたい放題やっていたのが当時のカトリック教会だった。



 そして、放蕩の極みにより財政難に陥った教皇庁は、贖宥状という「天国に行けるお札」を売り出すに至る。



 腐敗を極めるカトリック教会に対して1517年、敢然と「95ヶ条の論題」を突きつけたのがマルティン・ルターであり、バチカンに反感を抱いていたザクセン公の後援により抵抗運動は広がる。

マルティン・ルター(1483年~1546年)



 ルターはなぜ贖宥状が許せなかったのか。実はルターの教義は、現代の宗教原理主義をはるかに凌駕するほどの危険思想である。



 プロテスタントの教義の本質は豫定(よてい)説である。すなわち、天地開闢のときから終末に至るまで、全て全能の主(God)によってあらかじめ定められている、という考え方である。この世で起こる理不尽な事象も、人間には計り知れない主の意思により完璧に定められていると考える教義である。



 理の当然として、人間に自由意思はない。天国に行く者も地獄に行く者も、天地開闢の時に定められているのだから、教皇に贖宥状を発行する権利などない。これがルターの主張の本質である。



 どうだろう。はっきり言って、かなり狂った思想ではないだろうか。



 ルター派は1525年のドイツ農民戦争で、自分たちの信仰よりもスポンサーであるザクセン公の利益を優先した。そのルター派を批判して成立したのがカルヴァン派である。

ジャン・カルヴァン(1509年~1564年)



 フランス人のジャン・カルヴァンは、放浪の末にスイスのジュネーブの街で神権政治を行う。つまり、宗教原理主義者が国を乗っ取って、恐怖政治を敷いたのである。



 カルヴァン配下の「夜回り隊」は市民生活に入り込み、「正しい信仰生活を送ってない」と見なされれば、宗教裁判の後に処刑された。もちろん、疑われたという事実が有罪の証拠である。「夜に音楽を聴いていれば、正しい信仰を捨てたので処刑」が、当時のジュネーブである。



 このように、宗教改革とはヨーロッパにとって悪夢であった。歴史を学ぶ限り、キリスト教こそが人類にとっての不幸であるということがいえる。



 ヨーロッパは、ローマ教会の支配から宗教戦争の時代に突入していく。教皇・教会、皇帝、国王、貴族、そして新興階級の地主や商人(ブルジョア)が勢力を競っていくことになる。



 しかもこの時代には活版印刷が発明されたので、教会の司祭以外も聖書を読むことができるようになる。司祭は勝手な教えを押し付けることができなくなった。そこで理論武装のために、カトリックの教義を整備する必要性が出てきたのだ。



 ③対抗宗教改革とは、カトリックに反発する宗教改革の動きに対抗して、教皇庁が教義を再整備し、理論武装を図った動きのことである。

 教皇庁は教義の整備だけでなく、布教にも力点を置くようになる。これは今後の歴史を語る上で特に重要な点なので、注目しておいてほしい。



 どういうことかというと、なぜ江戸幕府がキリスト教(ここでいうキリスト教とはカトリックのことである)を禁じたのかという理由につながるからだ。なぜかこのことは日本の教科書に書かれていない。



 1534年、イグナチウス・ロヨラを首領とする7人の大幹部が結成したイエズス会は、全世界にローマ教皇庁の権威を広めようと宣教の旅に出る。1549年、日本にやってきたフランシスコ・ザビエルは大幹部の1人である。宣教とは要するに洗脳であり、侵略の尖兵ということである。

フランシスコ・ザビエル 1549年に鹿児島に来航

 俗に「まず貿易商人が、次に宣教師が、最後に軍隊がやってくる。貿易で関係を持ち、その土地の住民を改宗させて手懐けておけば、領主に逆らうので、簡単に軍事占領できる」と言われる。16世紀、まさにこの手法で中南米とアフリカが侵略の餌食になった。



 今の日本人は、この事実を知らなすぎる。なぜこのことが日本の歴史の教科書に書かれていないのかが、不思議でならない。





 ④第四の動きである大航海時代は、カトリックの動向と連動している。最も成功した十字軍は、イベリア半島のレコンキスタだが、失地回復に成功するやポルトガル人とスペイン人はインドを目指して海洋へ飛び出した。



 当時は高級品だった胡椒(こしょう)を求めて地球の果てのインドへ向かったのである。貿易航路を確保する過程で、ポルトガルはアフリカを、スペインはアメリカ大陸を征服していく。



 その略奪は凄まじく、緑の大地だったアフリカは、瞬く間に砂漠と化した。スペインはメキシコのアステカ帝国を滅ぼし(1521年)ペルーのインカ帝国を滅ぼした(1533年)。武力こそ少数だったが、白人の持ち込んだ射幸心と疫病は猛威を振るい、迷信深い現地人は未知の白人の行動に翻弄された。

中南米




 かくしてスペインは数百人で大帝国を滅ぼし、莫大な富を略奪する。

アステカの神殿





「インカの失われた都」マチュ・ピチュ



 

 白人は大航海時代に海外植民地を持つことになるのだが、植民地とは搾取する土地の意味である。白人は、富を搾取するだけでなく、文化と矜持を破壊していく。



 中南米やアフリカの国々は、今は独立国である。では、これらの国で史実に基づく歴史教育が行われ、正しい事実を伝えればどうなるか。



 それだけで、白人を殺す正当な理由になりえるのである。正しい歴史教育は、もはや人殺しの正当化にしかならない。



 我々は歴史認識を考えるうえで、現在の世界がどうなっているのかを認識せねばならない。そのためには、現実にこの数百年間、世界史の中心である白人がどのような発想をしてきたのかを知らねばならない。それすら知らなければ、国際社会で太刀打ちできるはずがない。