おすすめ本の紹介(1)「歴史問題は解決しない」倉山満 | 「日本の問題」について、大学生のリョウが考えるブログ

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 我が国、日本は様々な問題を抱えています。領土問題、歴史問題、そして日本国憲法…などなど。どうすればこの国は独立することができるのか。このブログでは、現在大学生のリョウが日本の問題について考え、その問題についてどう対処すればいいのかを綴ります。

 歴史とは何か。外交の手段であり、支配の道具です。


 このことを知らない日本人が多すぎます。歴史とは、過去を検証して史実を明らかにすることではないのです。歴史とは、国家にとって自己正当化の手段であり、国際社会で優位に立ち回るための武器です。



 「何があっても戦争しない」「悪いことをしたら謝る」という日本の外交を見て、おそらく国際社会は笑っているでしょう「国際政治も分からないとは、なんて幼稚な民族なんだ」と。



 我々は歴史に対する考え方を改める必要があります。そうでなければ、日本はこれからもずっと敗戦国のままです。



 それをわかりやすく書いている本があるので、是非一度読んでみてください。




 「歴史問題は解決しない」倉山満



歴史問題は解決しない/PHP研究所
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「ヨーロッパが先進的な文明を作り、広めた」という思い込み



 日本人の多くは、ヨーロッパがいつの時代も世界の中心であり、先進的な文明はほとんどヨーロッパからもたらされたものだと思っています。



 これこそ、日本人が世界を見る目を誤る理由です。



 はっきり言っておきますが、それは思い込みです。




 確かに、①ペルシャ戦争と②アレキサンダー大王と③ローマの五賢帝だけを並べれば、古代からヨーロッパが世界の先進地域であったと思い込みたくもなります。



 しかし、古代から世界の文明先進国はアジアです。古代の四大文明であるエジプト文明(ナイル川)、メソポタミア文明(チグリス・ユーフラテス川)、インダス文明、黄河文明は、全て非ヨーロッパ世界です。

四大文明
確かにヨーロッパ入ってないね…(・ω・)




 メソポタミアとはイラクのことですが、この地域に一度でも覇を唱えたことのあるイラク、イラン、トルコ、シリア、サウジアラビアなどの国々が欧米諸国と接するとき、現在の力関係と関係なく優越感を抱くのは、長らく自分たちの方が文明国であったという歴史認識に基づきます。



 ①ギリシャ文明の勃興により、初めてヨーロッパに文明が生まれます。紀元前500年、東方を支配するアケメネス朝ペルシャ帝国はギリシャに遠征し、スパルタとアテナイを中心とするギリシャ連合軍は、20年間で3度の苦戦を潜り抜けて防衛します(ペルシャ戦争)。

アケメネス朝ペルシャ(紀元前550年~紀元前330年)
でかっ…∑(゚Д゚)!!




 これでヨーロッパが世界の中心なら、モンゴル帝国の侵略を2度に渡って撃退した鎌倉幕府も世界の中心地域になるでしょう。日本人は「鎌倉幕府は世界の中心だった」などと恥ずかしくて言えませんが、欧米人は言います。




 ②次にヨーロッパが東方のアジア世界に勝利するのは、マケドニア王国のアレキサンダー大王(紀元前336年~紀元前323年)の時代です。

マケドニア王国(紀元前808年~紀元前146年)
最初はすごく小さかったんだね…(・ω・)




 紀元前332年、アレキサンダー大王はエジプトを征服し、さらに世界征服を目論んでアケメネス朝ペルシャを滅ぼします。インドまで到達したアレキサンダー大王は、「もはや征服する土地がない」と嘆いたとか。

紀元前323年のマケドニア王国(アレクサンドロス帝国)最大領域
アレキサンダー強すぎ…Σ(゚д゚;)!!





 当時、ヨーロッパにとって世界の中心とは東方のアジア帝国のことであり、エジプトとペルシャを征服したアレキサンダー大王は世界征服を成し遂げたようなものでした。ところがこの大帝国はアレキサンダー大王一代で終わり、広大な帝国は分裂します。単なる一過性の現象だったわけです。

アレキサンダー大王(在位 紀元前336年~紀元前323年)



 ③その後、尚武の気風が薄れたギリシャに代わり、地中海の盟主となったのはローマです。それまで地中海の覇者だったカルタゴ(チュニジア)やエジプトを滅ぼしたローマは、セレコウス朝シリアも征服します。西暦1年頃には、現在の中東にあたる地域を属州としていきます。

共和制ローマ(紀元前510年~紀元前27年)
カルタゴ…(・ω・)



 ローマの勢いはとどまるところを知らず、西暦96年頃~180年頃までの約100年間、五賢帝と呼ばれる皇帝の時代にはアッシリアやメソポタミアを滅ぼし、判図は最大となります。

西暦117年のローマ帝国(五賢帝2人目のトラヤヌス帝)の最大判図
これが栄光のローマか…(・ω・)


 しかし五賢帝2人目のトラヤヌス帝を頂点に、ローマの領土は縮小していくことになります。

トラヤヌス帝(在位98年~117年)




 ①ペルシャ戦争と②アレキサンダー大王と③ローマ帝国の五賢帝だけをつなげれば、常にヨーロッパがアジアを優越していたように思えますが、その3つはヨーロッパ古代史の例外なのですね。



 313年、ローマ帝国はキリスト教公認を境に科学技術を失い、急速に衰亡します。それまでのローマ帝国は上下水道が完備された文明国でしたが、「全ての知識は聖書にある」とするキリスト教の影響力が大きくなるにつれ、技術者の社会的地位が低下したからです。帝国は極めて不潔な環境と化しました。




 330年にコンスタンティヌス帝は、ローマからコンスタンチノープルへの遷都を決断し、395年に帝国は東西に分裂します。すなわち、ローマ帝国は西欧を切り捨てて延命を図ろうとしたのです。

ローマ帝国の東西分裂(395年)
生き延びるために、西側を捨てたわけね…(・ω・)


 現に、その後の東ローマ帝国(ビザンチン帝国、ギリシャ帝国)は1000年の延命を果たしますが、西ローマ帝国は476年に東方騎馬民族の蹂躙により滅亡します。



 ちなみに、これ以降数百年の西側(西欧)の歴史は、実はよくわかりません。あまり記録がないのです。



日本人は、ヨーロッパ人の歴史観を理解できない




 日本の歴史は、一度も途切れることがなければ、退化した経験もありません。常に歴史が進歩してきた日本という国は、ヨーロッパ人の世界観は信じがたいでしょう。



 常に欧米白人社会が世界の最先進国だったったという思い込みは、日本人の歴史認識の根本的な誤りです。



 白人の「我々こそが常に世界の中心であった」という強烈な自我の押し付け、それに対してイスラムや中華は反発し、張り合っています。国際社会は、歴史に基づく強烈な自我によって動いているのです。それは単なる歴史歪曲ではありません。世界中の指導者(エリート)にとって、歴史とは自我の発露なのです。



 日本人は、欧米の白人が国際社会を生き抜くために、どれほど歴史を武器とし、支配の道具としているかの理解が、絶望的に甘いのです。