かくれんぼ -10ページ目

かくれんぼ

私の物語の待避所です。
よかったら読んでいってください。

 

 

愛の在処

 

 

誰かに求められることは、何ものにも代えがたい究極の悦楽だ。快楽を求めているわけじゃない。ただ、その人の中に自分の居場所を見出したかった。

 

それでも、彼に触れられるのは好きだ。快楽的な意味で好きだ。触れ合うたびに熱を帯びる体。伏部奈緒は恍惚とした表情をしながら隣にいる国見祐介を見つめた。祐介は閉じていた瞼を上げ、黒く美しい瞳を横に向けた。二人は白いベッドの上で裸のまま互いを見つめ合う。

 

二学年上の彼とは三か月前に知り合った。入学式が終わった翌日のオリエンテーション。その中で、三年生が一年生に勉強を教える、というプログラムがあり、そこで初めて名前を知った。何個か課題が出されたが、互いに勉強はできる方だったので、出された課題はすぐに片付いた。やることもないので、二人は話に花を咲かせた。好きな映画や漫画、アーティストなどを語り合った。そして、二人は驚いた。話が面白いほどに噛み合うのだ。二人とも三池祟史の作品が好きで、映画館で買うポップコーンは決まって塩味。週刊ヤングジャンプは毎週欠かさずに買い、買った漫画は本棚に著者名順に並べる几帳面さ。好んで聞くアーティストは椎名林檎だが、ロックバンドも好み、特に暗いノイズロックに精通している。

 

二人はその日のうちに意気投合し、連絡先を好感した。そして、二人の関係性は、いつの間にか親友へ変化し、いつの間にか恋人へと変化していった。

 

だから、こうやって肌を重ねるようになるまでに、大した時間はかからなかった。初めては祐介の家で。その後はカラオケやホテルなど。場所を転々としたが、今日がちょうど付き合って三ヶ月が経った日だったため、記念として初めて私が祐介を家に招いたのだ。

 

「今日はお姉さん、帰ってこないの?」

 

祐介が私に聞く。

 

「大丈夫。あの人は会社に行っているわ」

 

私は姉である伏部彩織の顔を脳裏に浮かべながら、今朝の会話を思い返した。

 

朝、起きるといつも珈琲の匂いがする。匂い自体は好きだったが、あの独特の味わいが私は嫌いだった。どうして、あんな苦いものが飲めるのかしら。甘い紅茶の方が絶対においしいのに。姉とはどうにも好みが合わない。

 

今朝もリビングへ行くと、姉は一足先に朝食を頂いていて、その傍らには淹れたての珈琲がちょこんと置かれていた。やはり近づいてみてもいい匂いがする。甘ければ飲めるのに。そう思いながら私はキッチンへ行き、一昨日買ったばかりの紅茶を淹れ、姉の前に腰を降ろした。

 

姉は私の存在に気が付くと、顔をこちらに向けた。

 

「おはよう。あれ、奈緒、今日はメイクちょっと変えた?」

 

薄化粧の顔が静かに歪む。私は気づいてもらえたことを喜んだ。

 

「おはよう。そうなの、気づいた?」

 

「気づくわよ。何年見ていると思ってるの。そんな濃くして大丈夫?あなた、まだ高校に入ったばっかりじゃない。先輩から目をつけられたら大変よ」

 

「大丈夫。私の学校はみんなこれくらい化粧が濃いもの。入学したての頃からね。それに、今日は大事な日だから。これくらいしなくっちゃ」

 

そう言うと、姉の顔がさらに歪んだ。

 

「だからね、お姉ちゃん。今日は遅く帰ってきてちょうだい」

 

「遅くって……」

 

「わかるでしょう、これくらい。早く帰ってこないでよね」

 

姉は目を逸らしながら頷いた。本当は何もわかっていないくせに。私は心の中で毒づいた。二十歳にもなって彼氏の一つや二つできない彼女に私の何が分かるのだろう。胸の高鳴りも、寂しさの共有も、人肌の温もりだって知らないくせに。私を知ったつもりになんかならないでよ。

 

その後、二人の間に会話はなくなり、姉は食べ終わるとすぐに席を立った。部屋の中には、コーヒーの匂いだけが残った。

 

 

 

私は祐介の綺麗な横顔をじっと見つめた。祐介とたった二人だけになれたらいいのに。二人しかいない二人ぼっちの世界。祐介と出会ったのが三か月前だなんて信じられない。もうずっと一緒にいる気がする。

 

「もう八時になるけど、本当に大丈夫?」

 

祐介は時計に目をやりながら言った。

 

「心配しないで。残業よ。お人好しだから、きっと頼まれてやっているんでしょ」

 

「残業か。それは大変だね。でも、案外、君みたいにイケないことをしているかもしれないよ」

 

祐介が挑発するように言う。

 

「ふふ。そんなこともできないお人好しよ、あの人。それより、まだするの?」

 

私が聞くと、祐介は何も言わずに首を横に振った。そして、落ちていた肌掛けを拾い、二人の上にかけた。時計の音が聞こえる。しんと静まり返った室内は無機質だった。少し怖くなり祐介の手を握る。祐介はその手をすぐに握り返した。互いの温度が掌の上で混ざり合う。

 

「君はお姉さんが嫌いなの?」

 

唐突な質問に私は悩んだ。

 

「そうね。好きか嫌いかって言われたら嫌いかもしれない」

 

「どうして?」

 

祐介の瞳に私の顔が写る。逃げられないような不思議な感覚に捕らわれた。私は考えた。今、ここで話してもいいのだろうか。あの頃の出来事は私にとって、姉妹にとって、とても悲惨なものだ。全てを話してしまったら、祐介はもう隣にはいてくれなくなるかもしれない。

やっと手に入れた安心できる居場所だ。簡単に手放したくはない。

 

「ごめんなさい、話せないわ」

 

「なぜ?」

 

「話せないのよ」

 

そう返すと、祐介は苦笑を漏らしながら目を瞑った。そして、シャワーを浴びる、と言ってベッドから出ていった。部屋の中がまた無機質な状態へ戻っていくのを感じた。

 

主を無くした温もりを触りながら、私は体をぎゅっと小さく丸めた。話した方がよかっただろうか。心の奥が痛む。けれど、話してしまえば、きっと全てが壊れてしまう。人間関係なんてものは、ガラス玉のように繊細で壊れやすいのだ。話すべきではなかった。私は間違っていな

い。私は誰からも邪魔されないように心の中を覆った。そして、爪の先から頭のてっぺんまで肌掛けで包み込み、ゆっくりと過去を回想し

た。

 

 

 

続き【真夜中に時は止まる Episode2-1(続き) | かくれんぼ (ameblo.jp)