プロローグ
昔、人の記憶というものは、楽しかったものほど消えやすく、苦しかったものほど残っていくのだ、と、何かの本で読んだ。その本は、また、こうも言っていた。苦しかった思い出は、実際に起こった事実を脚色し、だんだんとよりよいものとして残されてゆくのだ、とも。
保健室の窓から見える校庭を何時間もぼーっと見ていたあの頃。私はあの頃、苦しんでいたのだろうか。辛かったのだろうか。脚色された思い出は、それに応答してくれない。ただ、記録として心に刻まれていく。
朝が来ないことを願っていた夜も、夕方の電話に怯えていた心も、ロープを握りしめた掌も。全て、形を変えて残されていくのだろうか。分からない。私には分からなかった。あの時のあの瞬間のあの気持ちなんてものはもう分からないけど、でも、綺麗さっぱり消えてしまったなんて考えたくなかった。
もしも、彼女が私の前に現れなかったら、私は一体どうなっていたのだろう。死んでいたのだろうか。首を吊って、あるいは、どこからか飛び降りて、明日を亡き者にしていたのだろうか。
時々、こうやって、昔の記憶が戻ってきて恐ろしくなる。もう何十年も前の話なのに。それでも思い出してしまうのは心のどこかで忘れてはいけないと思っているからなのだろうか。私はあの頃を思い出した。