「ねぇ、嫌な過去の感情を消してくれるお店って知ってる?」
とある日の放課後。隣を歩いていた亜希が突然そんなことを言い出した。
亜希の言葉に私は首を傾げる。亜希は私に比べると、とてつもなく派手だ。彼氏はとっかえひっかえ、持ち物はブランド品。だから、私は亜希がそういう変な話を持ち出したこと自体に驚いた。
「珍しいね、亜希がそんなこと言うなんて。Twitterとかで流行ってるの?」
冗談交じりに聞き返す。どうせ亜希のことだから作り話に決まってる。
私はというと、なぜ亜希の友達をやれているのか分からないほど地味だ。髪は黒のままだし、ブランド品なんて一つか二つしか持っていない。
時々、亜希のことが猛烈に羨ましく思える日がある。いい加減に生きて、嫌な事なんて一つもない。そんな亜希に私は憧れた。でも、自分にはできなかった。華もなければ可愛くもない。そんな人間が亜希のようになれるわけがないのだ。
「んーん、違うんだよねぇ。この店は、たまたま見つけたの。最初は美容室かと思って入ったら違くてさ。でも、説明聞いてやってもらったら、ホントに嫌なこと忘れちゃってて。マジビックリした。え、ウソでしょ⁉思い出せないんですけど…みたいな。千沙もしてもらいな。最近、良平と上手くいってないんでしょ?」
良平という名前を出されて思わず目を見開いた。どうして、亜希がそんなことを知っているのだろう。モヤモヤしながら私は数週間前の出来事を思い出した。
あの日、私は初めて良平の部屋に呼ばれたのだ。今までは放課後に一緒に帰ったりとか、休日に少し遠くまでデートするとか。そのくらいしか私たちは恋人らしいことをしてこなかった。けれど、あの日は突然、良平が部屋に来てほしいと言ったのだ。私は舞い上がった。嬉しくて仕方がない。喜んで良平の部屋に入って行った。
しかし、その時に事件は起こった。良平の部屋に置かれていたアルバムを勝手に私が見てしまったのだ。それを見た良平は怒り、私を部屋から追い出した。訳が分からなかった。なぜ良平があんなにも怒ったのか。なぜ良平はアルバムを見られたくないのか。でも、そんなこと怖くて聞けなかった。
その日から私たちは一度も言葉を交わしていない。互いが互いを避けている。そんな日々が私たちの横を通り越していった。
もしも、その思い出が消えてしまうなら、良平と前みたいな関係に戻れるのだろうか。前みたいに喋ってくれるのだろうか。淡い期待が心をくすぐる。
頼ってみようかな、そのお店。
気が付くと私は亜希にお店の場所を聞いていた。案外、ここから近いらしい。私は亜希に別れを告げ、その足でお店へと向かった。
数分後。すぐにそのお店は見えてきた。
【CORRUPTION】
それがお店の名前だった。見たことのない英単語。どういう意味なのだろうか。私は疑問を持ちながらお店のドアを押し開けた。
「いらっしゃいませ」
ドアを開けると、美しい香りがした。まるで、花の蜜のよう。うっとりと香りに酔いしれる。
店内は一見すると、美容室のようだった。これなら亜希が勘違いするのも無理はない。それにしても、綺麗な店だなぁ。
惚けていると、奥の方から女の人がやってきた。エプロンを身に着けている。店員さんだろうか。女の人は私の姿を目で確かめてから、微笑みかけた。
「こんにちは、店長の小宮奈津です。よろしくお願いします」
「あ、こんにちは。安月千沙です。よろしくお願いします」
慌てて頭を下げる。すると、小宮さんは私の校章を見て小首を傾げた。
「もしかして、M高校の学生さん?」
「えぇ、そうですけど」
「じゃあ、亜希ちゃんのお知り合いなのかしら?」
亜希、ちゃん?
「一応、そうですけど。どうしてですか」
「いいえ。ただ亜希ちゃんはここの常連さんだから。ちょっと気になっちゃっただけです」
小宮さんは笑いながら、私を鏡の前の椅子に座らせた。そして、小宮さん自身も隣に置いてある椅子に腰かけた。
「さて、安月さん。ここが何のお店なのかは聞いてる?」
「さっき少しだけ説明してもらいました。でも、あんまり分かんなくて」
「そう。じゃあ、説明しますね。このお店では、過去に味わった嫌な感情を消すことができます。感情をゴミに出すっていう言い方の方が、
分かりやすいかもしれませんね。言わば、感情ダストボックスです」
初めて聞く言葉だ。あまりイメージがつかない。どういうことなのだろうか。
「手順は三つです。最初に、お客様から捨てたい過去の感情とその時のエピソードを話してもらいます。次に、あちらにあるベッドにこれを着けて眠ってもらいます。深い眠りの方がよりいいですね」
小宮さんは棚に置かれていた、帽子のようなものを指さした。よく見ると、内側に皿電極と呼ばれるものが付いている。よく脳波を測定するときに活躍するアレだ。
「そして、最後に肝心の感情を消去します。方法はいたって簡単です。あの帽子を着けると、このコンピューターに当時の感情が言葉となって羅列されます。それを私がゴミ箱に捨てるだけです。でも、たまに副作用が起こってしまう方もいますが。けど、簡単でしょう?」
「そ、そうですね」
簡単すぎて言葉も出なかった。本当にこれは現実なのだろうか。ドラ〇もんとか鉄腕〇トムの世界ではないのだろうか。
というより、そもそも感情を消すって思い出を消すのと何が違うのだろうか。私は気になったので聞いてみた。すると、小宮さんは笑ってこう言った。
「一般的には同じ括りにされてしまうのでしょうね。実際、私たちが思い出を思い出すときには先に感情の方が思い出されますよね。楽しい思い出や嬉しい思い出、悲しい思い出や辛い思い出。どれもこれも、感情がなければ思い出せないんですよ。だから、錯覚してしまうんでしょうね。私は感情しか消していなのに、思い出を消されてしまったと勘違いをする人もたまにいます。感情と記憶は近い存在なのかもしれませんね」
「じゃあ、私がこれから過去の感情を消してしまえば、その時のことは思い出せなくなる可能性が高いんですか?」
「そうなりますね」
私はその言葉に酷い衝撃を覚えた。思い出がなくなることを、こんなにもさらっと言うなんて。
でも同時に、私の心の隅に好奇心が芽生えた。思い出をなくすのってどんな感じなのだろう。よく漫画とか小説に出てくる記憶喪失みたいな感じなのだろうか。それとも全く違う種類なのだろうか。
私は散々迷った挙句、感情を消してもらうことにした。良平との仲を一刻も早く元通りにしたがためだ。収まらなくなった好奇心にそう言い訳をつけ、小宮さんにお願いした。
すると、小宮さんはさっそくノートを取り出した。聞きながらメモを取るらしい。ペンを持ちながら、私に消したい過去の感情と、その時のエピソードを聞いてきた。私は、良平を怒らせてしまったことや、そのときの苦しさと惨めな感情を伝えた。案外こういう話は何も知らない第三者の方が話しやすいのかもしれない。気が付けば、いらない出来事まで喋っていた。
ある程度話したところで小宮さんがノートをパタンと閉じて私をベッドに寝かせた。そして、あの例の帽子を被らされる。
「では、ゆっくりと呼吸を整えてから静かに眠ってください。終わったら起こしますので」
小宮さんはそう言って私に毛布を掛けた。ふかふかのベッドに、ふかふかの枕。そして、温かな毛布。私は頷く代わりに、深い眠りに落ちていった。
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