「救急車が来ると人が集まってくる」件について。

 

大体、どこでもそうだと思いますが、緊急自動車の類のサイレンが聞こえると、必ずそれぞれ人が家から出てきて集まってきたり、遠巻きにしてひそひそ話をしていたりする。

 

野次馬、まあそれは仕方ないことかもしれないが・・・

 

事件で警察車両と救急車が来た時。野次馬が大量に湧いてきても、

それはまあ仕方ないだろうか。

 

でも、私は思うのだ。

急病や負傷などで事件性が無く救急車だけが来る、一般的な救急搬送の場面。

まちがいなく本人も苦しんでいる。そして要請した家族も悲痛な状況。

 

そんな状態を、日夜問わず、サイレンが聞こえると、まるで獲物を見つけたトタテグモのようにバッともの凄い素早さでわざわざ外に出てきて救急車を遠巻きにして、何人もの、あまり関係なさそうな野次馬たちが湧いてくる。遠巻きにしてヒソヒソ話をしている。

特に、中途半端な田舎はひどい。救急車が来る=まさに興味津々、イベント、田舎祭り感覚で面白半分に見物にやってくる人が多い。

 

はっきり言っておく。人が苦しんでいるのだ。見せ物ではない。家に引っ込め。

 

自分がその家族や搬送対象者だったらどう思うか、考えろ、野次馬連中。

逆に、相手の立場になって考えなさい。

 

 

こんなことが有った。

 

ある家で、救急車がやむを得ず家の前の道に停車して待機していたのだが、野次馬たちと共に近所で一番意地悪で有名な人がわざわざ家から出てきたのだけれど、その意地悪糞婆が「他の車が通れなくて困っている、救急車をどかせな!」と怒っていた。

近所なら交通整理してあげれば良いものを。本当に底意地悪い。

建設工事のトラックがほんの数分待機していたのにも、瞬間湯沸器のように狂ったように怒鳴りつけていたこともあった。何様なのだろうか。頭が変な一家なのだろうか。

 

その意地悪婆一家はといえば、公道を作業場がわりにし軽トラを同じように駐車し、或る時は40分以上も「軽トラを狭い公道に駐車したりトラクタを放置したり」実際に通行を完全に阻害していたことがあったのだ。

あまりにも自分勝手が過ぎる。いったいどういった躾を受けて育ったのだろうか。

 

そういう、人格と常識と人間感情の質を疑う、酷い民生委員や児童委員がいる。

一体どのような人選をしているのか。疑問だ。

 

法律を理解していない+執行能力の無い役人に呆れた日。

 

違法行為を辞めさせ指導し取り締まるべき立場の者が、

その担当部署の管轄する法律や条例を全く知らないのだ。

 

何でこっちが条文を逐一説明してあげないといけないのか。

頼むからもっとしっかりしてくれ。

 

つまり、せっかく情報提供や違法行為を丁寧に通報してあげても、

命令、指導、摘発が即応的にできない、やる気がない役人様。

そんな知識不足の官吏と噛み合わないやりとりをして、疲れた。

実に無駄なパワーを使ってしまった。

 

腹立つ。

空調の効いた部屋の中でぬくぬくしているから、そういうことになるのだ。

外に出て、管内の問題点をきちんと見回ってこい。おまえ自身の目でヨロシク。

法や条例を無視し冒す輩がはびこっているのを始末しろ。おまえの仕事だす。

 

おまえさん、クビだ!

この世は正義が通らないのだな。

あーあ、今日も悲しく虚しい日が暮れる・・・

 

でも冷静さを取り戻し、(出来の良い子だこと笑)

噴火ばかりしていても解決しないので、

きちんとした見解、対応策を回答しなさいと最終宣告した。

 

暫く経ってから裏返したように誠意有る回答をしてきた。

 

やればできるではないのか、おまえさん。

だったら最初から・・・って思うのだが、まあ、

抜本的具体的対応策を提示してきたので50点をあげておこうと思う。

 

あとの50点は、悪人を取り締まってくれたら、さしあげます。

 

 

と、経過を見ていたけれど、結局は口先だけでなにもしない。

その場しのぎの調子のよい事ばかり言って、何もできない。

逃げてばっかり。問い詰めると逆切れする職員。もっての外だ。

他の機関に言ってくれ、と逃げる。

だったら最初から「できません」と言え。受けるな。あほ。

 

 

やっぱり所詮、公務員はアホばっかりだ。0点だ。

税金泥棒めが。

 

昔聞いたのを思い出した、くだらない実話です。

某殺人死体遺棄事件のニュースを見て思い出した。

 

あるオバサンたちが何人か集まって社交ダンス教室に行くことになったとか。

経緯は知らんです。

本人たちが周囲に自慢話をするものだから、嫌でも聞きたくないと思っても、周辺からはそういった話がもれ聞こえてくるのだ。以下。

 

講師の先生は若い男性。(だから速攻で喰いついたのか、オバサンたちは)

 

そのオバサンたち当然ながらダンナや子供もいて、もう若くないという年代になっていた。

そこまでは良い。習い事に年齢は問わない。良いよ、50でも80歳でも手習い、始めたら良い。何かに一生懸命に真面目に取り組むのならば、それは精神身体にとって良い事だ。

として、でも、

 

そのオバサンたちは普段から身だしなみがまるでなっていない上に、傍目に見ていても音楽や芸術の素養もまるで無く、文化の香りはどこにも見受けらないのだった。そういったオバサンたちが何を思ってどんな下心を持って社交ダンスと言い始めたのか、怖い物見たさ交じりで遠巻きに観察していた。

 

体型も全員、無残なまでの太いドラム缶。(が踊っているのを想像したら)

この痴話を聞いたとき、ジャッキーチェンの映画、少林寺木人拳のトレーニングマシン「木人」に衣装を着せて無理やり動かしているような面白い図を勝手に想像してしまって思わず吹いた。そして戦慄を覚えたのだった。

 

予想していた通り、程なく、お世辞にも似合わない靴や衣装の値段をお互いに自慢し始めた。社交とはかけ離れたレベルの低い論争をしていた。

本末転倒。

 

そして間もなく、ことが起きた。

分かりますね。

 

そのオバサンたちは、若い男性講師を我が物にしようと争い始めた。ダンナがいる身でありながら一体何を考えているのだか。分際を考えなさいと思った。

もはやダンスを習って上達して発表会にでも出てみたいという高いレベルで素晴らしい命題は、宇宙の果てに消え果てていたのだ、というよりは最初からそんな気は無かったようだ。

 

そして社交ダンス教室は空中分解、雲散霧消したとか。聞くところによると、

オバサンたちに呆れ、

問題が起きそうだと思った講師が恐怖を感じて逃げて投げ出したとか。

 

私が予想した通りの結果になったようだった。

 

だらしなく太って品の無い、男を追い回す淫売とも言えるオバサンに、この若い男性講師は更々興味ないことは火を見るより明らかなのに。当然ですけど。

 

余談、後日談なのだが、そのメンバのうち1人のオバサンのダンナは、自分の妻の余りにも身勝手でふしだらな遊び癖に嫌気が差して、寂しさを紛らわすために自分も浮気をし、挙句は逃げるように自宅の裏で首つり自殺をしてしまったのだった。多額の借金を残して親戚に迷惑をかけて。

 

分際をわきまえない事は、最初から手を出さないほうが良い。悲劇をもたらすことに繋がるし、みっともない。世の笑いものになる。

ドラム缶が不似合いな派手な衣装を着て踊っているところなど、正直言って誰も見たいとは思わないだろう。誰だって(その心、動機が)醜いものは見たくない。

地域じゅうがその話の顛末を聞いて、密かに嘲笑していた。

 

やるなら、頼むからせめて脳内だけで済ませておけ。と言っておく。

 

美しいものなら、それは見るに価する。

ここまでで散々に体型などを酷評したが、気分を害した人もいると思う。でも、本質はそういった事ではなく、心が汚い人は外見の良し悪しに問わず、何をやってもダメということ。

 

何か良い事を行おうと思う人は、プラスのエネルギーが放散され、体型容姿に関係なく崇高に美しく見えるものだ。