夢吟坊LIVE
名付けて
お気持ちでけっこうですLIVE
会場準備はお店のスタッフも
手伝ってくれました
一番弟子の彼も
この二ヶ月の猛特訓の成果を
ぶつけます
リハーサルもばっちり
彼の演奏曲は
さくら、荒城の月
そして、津軽甚句です。
さて、
本番はこんな感じで
やっぱり格好も似てくるみたい
LIVEデビューは最高の体験だったようです
ますます三味線にはまるようです
iPhoneからの投稿
最近、松岡修造さんによく似ているって言われる史佳だよ。
ハートの熱さが似ているようだな。まぁ、いいことだ。
雲栄先生との二日間のコンサート、佐渡小木でのライブ以来だったけど
また、自分自身進化が感じられるステージだった。
本当にライブは、生き物だから、何が起こるか分からない。
何が起こってもおかしくない。のである。
今回のステージでは、
史佳の進化を確信できたということ!!
今回の目玉は、十三の砂山。
竹山先生と雲栄先生の音源で聴いた事しかなかったこの唄。
実際に伴奏をしてみて、その音源を思い出してしまった。
雲栄先生が、おそらく30代のときだろうから、声の調子は
高い。高いということは、三味線の調弦も高くしないとだめ。。。
と思うでしょう。でも、ここが竹山師の凄い所。
そこを語ろうか。
おそらく、その当時の三味線は三本とも絹糸であったから、
高い調弦で演奏すると糸がすぐ切れてしまう。竹山先生はこれを
嫌った。だから、声の高い唄のときは、通常の伴奏の手を使わず、
一オクターブ高い三の糸のポジションから、伴奏を展開するのである。
これが、神業!!
これに気付いたのが、2000年の史佳。まだ、三味線に戻って
わずかの時期であったが、竹山先生の音源を、死ぬほど聴いた。
そして、三味線の手を取った。本当に無我夢中で、しかも最高に
面白かった。竹山先生は、こうやって弾いているだな!!って
分かった時の感動。やっぱり、おれの仕事は、この三味線なんだな!!
と悟った瞬間。
その当時
十三の砂山を聴いた時、疑問があった。雲栄先生の唄に付けている
竹山先生の伴奏に、開放弦の音が入っていない。十三の砂山は、通常の
手であれば、開放弦が、何度も出てくる。しかし、その音源には、
開放弦の音がない。ぼくの耳にそう聞こえた。違うポジションで伴奏してるの?
って思って、探ってみたら、その通りだった。
これは何を意味するかというと、糸を高く調弦しなくても、ポジションを
一オクターブ高いところで弾く事である。つまり、調弦を動かす事がない。
すぐに独奏にまた、入れるということ。
竹山先生は、クラシックの知識はおそらくなかっただろうけれど、
移調する演奏方法を、生きる過程で習得したということになる。
すごいよね。史佳の十三独奏の時、つま弾きで演奏する高音パートがあるけれど、
これは、その2000年に起こった衝撃から生まれたナンバー。
しっかりと、大切にしているんだよ!!!
さて、まだまだ、語り足りないけれど、三味線は、本当に奥が深い。
深すぎて、孤独になることがある。
でも、史佳は、おそらく、三味線で何かを生み出すために生まれてきたのだと
思う。
そこには、まず、基本がしっかりしていないとだめである。
栄山先生、雲栄先生んのお陰で、ぼくは、三味線の型が身に付いた。
厳密に言えば、ぼくの三味線は、竹山節ではないと思う。
雲栄先生の唄に合うように、創り上げてきた、いわば雲栄節なのである。
雲栄流津軽三味線って感じだろうね。
この本流を極めつつ、新しい事に挑戦していくことが大切。
これからは、バランス感覚が重要になってくる。
史佳でした。
ハートの熱さが似ているようだな。まぁ、いいことだ。
雲栄先生との二日間のコンサート、佐渡小木でのライブ以来だったけど
また、自分自身進化が感じられるステージだった。
本当にライブは、生き物だから、何が起こるか分からない。
何が起こってもおかしくない。のである。
今回のステージでは、
史佳の進化を確信できたということ!!
今回の目玉は、十三の砂山。
竹山先生と雲栄先生の音源で聴いた事しかなかったこの唄。
実際に伴奏をしてみて、その音源を思い出してしまった。
雲栄先生が、おそらく30代のときだろうから、声の調子は
高い。高いということは、三味線の調弦も高くしないとだめ。。。
と思うでしょう。でも、ここが竹山師の凄い所。
そこを語ろうか。
おそらく、その当時の三味線は三本とも絹糸であったから、
高い調弦で演奏すると糸がすぐ切れてしまう。竹山先生はこれを
嫌った。だから、声の高い唄のときは、通常の伴奏の手を使わず、
一オクターブ高い三の糸のポジションから、伴奏を展開するのである。
これが、神業!!
これに気付いたのが、2000年の史佳。まだ、三味線に戻って
わずかの時期であったが、竹山先生の音源を、死ぬほど聴いた。
そして、三味線の手を取った。本当に無我夢中で、しかも最高に
面白かった。竹山先生は、こうやって弾いているだな!!って
分かった時の感動。やっぱり、おれの仕事は、この三味線なんだな!!
と悟った瞬間。
その当時
十三の砂山を聴いた時、疑問があった。雲栄先生の唄に付けている
竹山先生の伴奏に、開放弦の音が入っていない。十三の砂山は、通常の
手であれば、開放弦が、何度も出てくる。しかし、その音源には、
開放弦の音がない。ぼくの耳にそう聞こえた。違うポジションで伴奏してるの?
って思って、探ってみたら、その通りだった。
これは何を意味するかというと、糸を高く調弦しなくても、ポジションを
一オクターブ高いところで弾く事である。つまり、調弦を動かす事がない。
すぐに独奏にまた、入れるということ。
竹山先生は、クラシックの知識はおそらくなかっただろうけれど、
移調する演奏方法を、生きる過程で習得したということになる。
すごいよね。史佳の十三独奏の時、つま弾きで演奏する高音パートがあるけれど、
これは、その2000年に起こった衝撃から生まれたナンバー。
しっかりと、大切にしているんだよ!!!
さて、まだまだ、語り足りないけれど、三味線は、本当に奥が深い。
深すぎて、孤独になることがある。
でも、史佳は、おそらく、三味線で何かを生み出すために生まれてきたのだと
思う。
そこには、まず、基本がしっかりしていないとだめである。
栄山先生、雲栄先生んのお陰で、ぼくは、三味線の型が身に付いた。
厳密に言えば、ぼくの三味線は、竹山節ではないと思う。
雲栄先生の唄に合うように、創り上げてきた、いわば雲栄節なのである。
雲栄流津軽三味線って感じだろうね。
この本流を極めつつ、新しい事に挑戦していくことが大切。
これからは、バランス感覚が重要になってくる。
史佳でした。



