えんどろーる
「ジルコニア、今日はどこへ行く?
あなたはとても小さいから、私が連れ出してあげる」
大げさなブレーキの音を立てる錆びついた自転車
道の砂利をひろって跳ねて、ラピスと私は海へやってきた
きゅるきゅると鳴いた鳥が弧を描く雲一つない青空
巻く風が私たちの髪を乱して、ラピスは私を抱えて岩場を渡る
「気持ちいいね、ジルコニア!」
押し寄せた波が岩場で砕け、飛沫となって私たちに降り注いだ
「ヒャア!冷たい!」
声をあげるラピス
私たちのドレスはびしょぬれ、見つめあって笑うとラピスが濡れたドレスを躊躇いなく脱いだ。
「泳ご、ジルコニア!」
岩場から躊躇わず海に飛び込むと、私に手を差し伸べるラピス
「でも。。わたし・・」
躊躇いの言葉なんかラピスには通じない
その手が私を掴んだと同時、一瞬で目の前を白い泡が覆いつくす
澄んだ水の中は縞模様の魚が泳いでる
かつて世界を制覇して朽ち果てた「文明」が、海の底に横たわっている。
水中で息の続かない私に、ラピスがそっと口づける
その息が私に注がれて、彼女の胸に抱かれ顔をあげた
白い髪が水に溶けて、空の青を反射して宝石のように煌めいている
生きている輝きに満ちた海の中はとてもキレイだった
ラピスが人形だった面影は、いつしか過去のもの
だけど私は人形のまま、自分では動けない
ラピス、世界を私に見せてくれてありがとう
私は青い瞳に世界を、まるで物語の人魚のようなラピスを焼き付けた
ここは「人」が終わった世界
「人」が滅んだ理由を、私は知っている
逃げまどう人と焼け落ちる町
燃え盛る炎の熱さを、私の肌はまだ覚えていた
今日の夕食は木の実とスープ
それとラピスが海で掴まえた魚
ラピスは無造作に魚を割いては噛み砕いている
わたしには目を背けたくなる姿だったけど、ラピスはまるで気にしていないようだ
「ラピス、美味しいの?」
唇を魚の血で赤く染めたラピスは、首を傾げ少し考えて「「美味しい?」よくわかんない」と笑った
「それよりジルコニア、今日もこれ飲まなきゃだめ?」
スプーン一杯だけの赤い液体を水に溶かしたミニカップ
彼女はそれを嫌っていた
「我慢して、それはあなたが汚れないためのものだから」
「だって、この魚の液体と同じ色だよ。だから今日はいいじゃん!」
「だめなの」
テーブルに片肘つくと、ラピスはカップを一気に飲み干して私に向かってゲップをする
「行儀悪いよラピス」
「いいじゃん、ふたりだけだし!」と笑うラピスの口元をそっと拭いた
かつての「人」の母親も、自分の子供を愛おしく思ったんだろう
そんな気持ちがまだ少しわかる自分を、憎くも恨めしくも考えた
ラピス、あなたは奇跡の子、この世界に残った唯一の存在
あなたがなによりも大切なの
ある日ラピスは、森で野良犬とケンカして帰ってきた
服は破れて泥だらけ
それでも鼻息荒く興奮してる様子を見ると、勝敗の結果はなんとなくわかる
「ジルコニア、なんかね、足が変なの?」
ラピスの足は腫れて、赤が滲んでいた
「早く治る証拠よ。良かったわ、あなたが壊れなくて」
そっとその傷口に触れると、ラピスは体を強張らせた
「痛い?」
「「痛い」ってなぁに・・?よくわかんないけど・・ちょっとこわい」
ラピスを失う日は、もうそんなに遠くない
星と月がいつもより光ってる
薄明かりの中お喋りの尽きない夜
無邪気なラピスが愛おしい
その指を絡めて、キスをした
「ジルコニア。 なんかね、胸が詰まるの。この気持ちはなあに?」
私はその感情の名前を知っている
それでもはぐらかした
ラピスに教えるにはあまりにも残酷なその名前を
ラピスの姿は日に日に変わっていく
背は伸びて、顔は細く凛々しくなって、胸も膨らみ始めた
「ジルコニア、また昔話をして」
月明かりがベッドを照らす夜、星もいつもより瞬いている
眠れないのか、ラピスが私をギュッと抱き寄せる
「「人」の話は怖いから、もっと違う話がいいな~」
「じゃあ今日は「歌」にしましょ」
「歌?なにそれ?」
私は小さく口ずさむ
それはかつての世界では「元気になれる」と言われた流行歌
かつての私の愛する「人」も、よく口ずさんでいた歌だった
かつて愛されていたもの全て
かつて名付けられていたもの全て
今は全てが瓦礫と化して、争いの爪痕が風化されることを待っている
ここはきっと、誰も望まなかった未来
だけど私たちは生きている
誰かが必死に守ろうとした愛念の眠る石を腕に巻いて
「命」と呼ばれたものの正体を求めて
研鑽された歌が 星の音色が風の香りが
もし、今の私を作っているならば
そんなことを考えて、声が詰まって歌が止まる
涙なんて出るはずもないのに、まだ私の中に残っていた残痕が疼いて泣いてしまった
歌を止めた私に不思議そうな眼差しをみせる無邪気なままのラピス
封印が解ける日がやって来る
その日の夜、いつものカップをのぞき込むラピス
いつもの赤い液体はなく、ただの水が注がれている
「あれ?ジルコニア、今日は?」
「もういいの、今までよく頑張ったね」
「・・私がいつも嫌がってるから怒ってるの?」
「ううん、もういいの、最後だから」
「最後ってなあに?」
成長したラピスはおとなの女性になった。
もう私のような不自由な人形ではない
彼女に飲ませていたのは「命」
毎日一滴、彼女を人に変えるための儀式
ラピスは特別な子
再び「命」を宿す「人」となる資格を持った人形
「私が「人」?」
月を覆った雲が、部屋に差す光を遮った
朝になれば私の声はもうあなたに届かなくなる
あなたは「人」になる
「いやよ!ジルコニアがいなくなったら私・・」
「私はここにいるわ。ただあなたが大人になって、私の声が届かなくなるだけ」
「そんなのいや!おとなになんて、「人」になんてなりたくない!」
ラピスの頬をはじめての涙がこぼれてる
流したくて流れない、私にはこぼせない涙
月を覆う雲が渡り、ラピスの白い肌を輝かせていた
かつて「人」が流してきた沢山の涙を私は知っている
そのどれよりも、彼女の涙は美しかった
ラピスお願い、あなたはあなたが生まれてきた意味を知って
それが私の「願い」であって「使命」だったの
ラピスは泣きながら私を抱き寄せた
「ジルコニア痛い、胸が痛いよ!」
ラピスの泣き声が、静かな夜を揺らしていた
そう、それが痛み
これからあなたは沢山の痛みを知ることになる
だけどそれは悲しいことじゃないよ
ラピスの胸に耳を当てると、トクントクンと彼女の心臓が脈をうっていた
私のできることは、これでおしまい
あとはラピスの未来を、人としての幸せを祈るしかできない
ラピス、「人」は奪い合ったり争いあったりばかりじゃないよ
分け合って、喜びあって、押し付けたりしない優しい「人」になってラピス
いつか必ず、あなたを必要とする誰かに出会うから
あなたがそれを証明してラピス
「さよならラピス、お行儀よく美しく生きるのよ
ゲップなんか女の子はしないもの」
「うん、もうしない!だから聞こえなくても話せなくても、そばにいてよジルコニア!」
私は歌を口ずさむ
前は心乱れてつっかえてしまったあの歌を
夜が迎えに来て、ラピスは静かに眠りにつく
あぁ思い出した、これは子守歌だったんだ
我が子の安らぎを、成長を想う母の歌だったんだ
世界に映画があった時代
大好きだったその歌は、ラストに流れたえんどろーる
覚えてねラピス
そして今度は私に歌って
愛してるラピス
あなたのそばにいるよ











