映画「黒部の太陽」(1968)超大作。三船敏郎、石原裕次郎の2大スター共演。 | fpdの映画スクラップ帖(名作に進路を取れ!)2号館

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黒部の太陽」(1968)は、1968年2月17日に劇場公開され、当時の配給収入が約7.9億円(1968年度、日本映画興行1位)、観客動員数:約730万人という記録を打ち立てた作品。

 

公開時に見逃していた作品で、その後40年間劇場公開がなく、見たくて見たくて渇望していた作品だったが、10年前の2013年にようやく見ることができたのだった。

 

3時間16分のオリジナル・バージョンで、デジタルリマスター版でみた。

版権は石原プロモーション(解散)が所有していたが、生前の石原裕次郎自身が「こういった作品は映画館の大迫力の画面・音声で見て欲しい」と言い残したという理由から、長年ビデオソフト化されていなかった。

 

2013年1月に東劇で劇場公開され、その年、石原プロ50周年を記念して「黒部の太陽」「栄光への5000キロ」などを含む石原裕次郎主演の5作品が「裕次郎 夢の箱~ドリームボックス~」として発売された。

 

きっかけは、東日本大震災復興チャリティーとして全国の映画館で展開したノーカット版「黒部の太陽」上映会だった。当時、石原プロ社長の石原まき子が、PRで全国を回り「『どうしても、もう一度みたい』という声が多く寄せられた」と説明。

 

1960年代(実際には1971年まで)は、日本の映画界は「五社協定」が存在し、たとえば日活の所属俳優は、東宝の映画には出られないというような悪しき制約があった。

 

裕次郎は日活から独立して石原プロを起こし、東宝から独立していた三船敏郎の三船プロと協力し、俳優予算も少ないことから、劇団民藝を主宰する宇野重吉の支援も仰いだところ、民芸が全面的に協力、宇野重吉は息子・寺尾聰や、同劇団の代表も務めた滝沢修などとともに出演している。

 

この映画では「黒四ダム」(黒部川の第四発電所)の建設の主体会社、関西電力の社長役の滝沢修だが、その貫禄は他を圧倒する、鋭い眼光!(「白い巨塔」の医学界の重鎮役もそうだったが)。

 

この映画には、日本のそうそうたる映画界の重鎮、名優が出演している。三船敏郎、石原裕次郎の2大俳優が親子の役(三船の娘と石原が結婚)で出演するほか、テレビドラマ「おはなはん」(1966年~1967年、平均視聴率は45.8%、最高視聴率は56.4%)で国民的女優となっていた樫山文枝、三船の妻役に高峰三枝子、そのほか、志村喬、芦田伸介、加藤武、岡田英次、佐野周二(関口宏の実父)、辰巳柳太郎などである。

 

今、これほどの大作を作るのは東宝以外では不可能に思われる。

 

不可能に挑戦した男たちのダイナミックなドラマだった。黒部ダム完成の陰には多くの犠牲者があった。完成後、バス観光ツアーの映像があったが、そこには殉職者の名前が刻まれていた。感動的な映画で、日本映画に活気があった時代の最後の映画だったかもしれない

 

ストーリー:

関西電力は黒部川上流に第四発電所を建設するため、太田垣社長(滝沢修)総指揮のもとに社運をかけて黒四ダム工事に当たることになった。間組の国木田(加藤武)と熊谷組の下請会社の岩岡源三(辰巳柳太郎)は、ともに現場責任者の北川(三船敏郎)を訪れ、ダム工事の難しさを知らされた。

 

源三の息子剛(石原裕次郎)は、トンネル掘りのためにどんな犠牲も省りみない源三に反抗し、家を出て設計技師として図面をひいていた。国木田はそんな剛と、北川の長女由紀(樫山文枝)と見合いさせようと提案して、源三を驚かした。

 

昭和31年(1956年)8月、世紀の大工事といわれた黒四工事は、大自然との闘いの火蓋を切った。9月に入って剛は偶然、由紀と会い、親しさを増していったが、彼女が父の北川の身を心配するのを見て、源三の様子を見に黒部に向った。

 

源三はめっきりと体が弱くなっていた。北川の黒四にかける熱意にほだされた剛は父に代ってトンネル掘りの指揮をとることになった。こうして工事が始って半年、犠牲者はすでに16人を数え、難工事であることが現場の人たちに不安を抱かせ始めた。翌年の4月、北川たちが恐れていた事態が起った。軟弱な花岡岩帯にぶつかったのだ。

 

5月に入ってすぐ、山崩れと大量の水がトンネルを襲った。この危機を切り抜けるため、色々な技術プランが検討されたが、工事は一向に進まなかった。そんな折りも折り、北川は次女の牧子(日色ともゑ)が白血病にかかって入院し、生命はあと一年と知らされたが、大仕事をかかえているので、娘のそばについているわけにはいかなかった。

 

現場は労務者が一人、二人と去っていく状態で、彼らの士気は上らなかった。

一方、太田垣はあらゆる手を尽して危機を乗り切るため莫大な金を投入、技術陣の科学的な処置と、北川や源三たちの努力が実を結び、その年の12月、ついに難所を突破。翌年11月、剛は由紀と結婚した。そして2月、北アルプスを抜いてトンネルが開通した。

 

その瞬間を躍り上って喜ぶ労務者たちの中で、北川は牧子の死を知らせる電報に接し、激しく慟哭した。昭和38年3月、黒四ダムは多数の犠牲を出して完成した。

 

その日はちょうど北川の停年退職の日であったが、北川や剛たちはダムの偉容に、無限の感動を覚えていた。

 

キャスト

北川(黒四建設事務所・次長):三船敏郎

岩岡剛(第三工区・熊谷組岩岡班):石原裕次郎

由紀(北川の長女):樫山文枝

牧子(北川の次女):日色ともゑ

君子(北川の三女):川口晶

きく(森の妻):北林谷栄

加代(北川の妻):高峰三枝子

森(第四工区佐藤工業社員):宇野重吉

藤村(第三工区熊谷組・専務):柳永二郎

黒崎(黒四建設事務所・建設部部長):芦田伸介

国木田(第一工区間組・所長代理):加藤武

武本(黒四建設事務所・次長):信欣三

医師:内藤武敏

千田(黒四建設事務所・技師):鈴木瑞穂

小田切(第四工区佐藤工業・工事課長):二谷英明

吉野(黒四建設事務所・次長):岡田英次

田山(地質学者):清水将夫

平田(関西電力株式会社・黒四建設事務所・所長):佐野周二

太田垣(同社・社長):滝沢修

芦原(同社・常務取締役) :志村喬

源三(岩岡の父):辰巳柳太郎

製作:三船敏郎、中井景、石原裕次郎

原作:木本正次

監督:熊井啓

脚本:井手雅人、熊井啓

音楽:黛敏郎

配給:日活株式会社

制作協力:石原プロモーション

制作:三船プロダクション

三船プロダクション・石原プロモーション共同作品

 

 

 

男たちの命を懸けた壮絶なドラマであると同時に、親子、家族の物語でもあった。

 

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