翌日もランチタイム終了後の午後、片倉は桐山の事務所へやってきた。

「昨日はどこまで話しましたっけ。ああ、Kが自殺したところまででしたね。」

桐山は、社長である本田の同級生で気の弱いKというのは、片倉が自分のことを言っているのだろうとどこかで思っていた。しかし、Kが自殺したとなれば、それはここにいる片倉ではない。


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Kは遺書を残していました。誰に宛てるということはなかったようですが、自室の机の上に置かれていたところから推測するに、まず家族に見てもらいたかったのだろうと思います。そこには、本田が退学したあの一件について、事実を話さなかったことで本田に迷惑をかけて申し訳ないという謝罪と、本田との“約束”を果たすということが書かれていました。


その“約束”というのは、本田が退学する前にKに「強くなってくれ」と言い残して去っていったことを指しているようでした。Kは強くなることを本田への謝罪のしるしと理解して、これを守ろうとしてきたということなのです。


どういうことかというと、本田が退学したあとも、Kは上級生に呼び出されていましたが、これはKが上級生に呼び出されていたのではなく、Kが上級生を呼び出していたということなのです。そして、驚くことにKは上級生を脅していたことを、遺書のなかで告白していました。


私もにわかには信じられなかったのですが、本田が退学後につるんでいた仲間がKのバックにいて、本田には知らせずに上級生を脅して金品を取り上げていたのだそうです。上級生が在学中は、Kがその恐喝の間に入っていましたが、彼らが卒業して本田の仲間が直接上級生たちを脅すようになり、次第にエスカレートして暴力事件になったということのようでした。Kはこれまでいじめられていた上級生を脅す片棒を担ぐことで、強くなる一歩を踏み出したつもりだったようですが、暴力事件で“目が覚めた”と表現していましたが、それは強さではないことに気がついたと書かれていました。そして、私に言わせれば最後まで本当の、本田の言うところの強さを理解できなかったとしか言いようがないのですが、自らの死をもって本田に自分の強さをアピールしようとしたようです。


Kの遺書は、今は私の手元にないのですが、今でも覚えているのはこんな一文です。


『本田君に詫びること、本田君に教わった強さを見せること、これを同時に満たす方法を見つけました。僕が死んで詫びることで、強くなったことも見せられる。』


まったくしょうがないヤツです。Kは私の双子の兄、恒治ですが、わが兄ながらどうしてこんなことしか考えられないのかと情けなくなります。兄とは幼い頃からいつも競い合っていました。運動に勉強に、何でもです。けれど特に仲が悪いわけではなく、私はいいライバルだと思っていました。兄もきっとそうだったと思います。ただ、兄は弟である私のことを、ライバルであると同時に自分の分身とも考えていたようです。


『僕の人生はここで終わるけれど、僕の生は慎治が引き継いでくれる。だから僕の人生はまだ終わらない。ただ、けじめをつけるために、僕は死にます。


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桐山は夕飯のときに軽く晩酌をしながら食事をする。たいていは缶ビール1缶と、日本酒一合か焼酎のお茶割り1杯といったところである。軽くアルコールが入っている方が妻とも話がしやすい。


「高校生の頃の友達と最近会ったのはいつだい?」桐山が何気なく尋ねてみる。

「そうねえ、去年恵子と静江に会ったときかしら。」

「久しぶりに会うと、どこかぎこちなくなったりすることはない?」

「高校の友達というと、大体中学も一緒の子なので付き合いも長いし、仲もよくて遠慮するようなことはまずないから・・・でも、ぎこちなくなることもあるかしら。」

「仲がよくてもぎこちなくなるのかい?」

桐山の妻は中高一貫のお嬢様学校の出身なので、当時の友達といえば気の置けない、いつ会っても屈託なく笑いあえるものと思っていた。

「仲のよかった子ほどそういうことがよくあるのよ。あなたはそうじゃなくて?お互い遠慮がないから何でもズケズケ言っちゃって、けれどお互いオバさん同士で、いろいろな事情もあるじゃない?恵子なんか若い頃はしっかりしていて、勉強もできて、周りからはバリバリのキャリアウーマンになるって言われてたのに、今は専業主婦でしょ。もう十年くらいになるかしら。私、恵子に『すっかりオバサンね』って言ったら恵子が泣き出しちゃってね。彼女気にしていたみたい。あの頃はまだ三十になったばかりでしょ、恵子は二人目を生んですぐで、体型の崩れを気にしていたのね。そういうことを無視して、子供の頃のように思ったことをそのまま口にしてしまったものだから。まあ、互いにどこか傷つけあうこともあるのよ。」

「じゃあ、だんだん友達が少なくなってしまうだろ。」

「あなたはどうなの?その気はなくても傷つけ合ったりしちゃうことはないの?」

「傷つかないだろ。よほど酷いことを言われたり、悪意を持って言われたのなら別だけど。仮に無礼講の席でちょっとカチンと来るようなことがあっても、昔からの友達に言われたのなら傷つくことはないよ。そいつが悪気がないことは分かっているから。」

「ふ~ん、男性と女性の違いかしら。私も子供のことを言われると今でも、ちょっと・・・傷つくし・・・。ただね、傷ついてそれっきりだったら友達じゃなくなっちゃうけれど、それでもそういう傷を乗り越えてまた付き合えるのが、昔からの友達ってことなのよ。」


妻は一度流産をして、その後子供が授からないまま四十を過ぎていた。


「それにもうこの歳でしょ、傷つけ合って付き合わなくなった人とはもうずっと以前に付き合いを止めているわ。今の友人たちはそういうことを越えて付き合ってきたし、これからもきっとそういう風にして付き合っていくと思うのよ。」

「へ~、そんなものなのかねえ。」


傷つけ合っても乗り越えるという妻の付き合い方と、そもそも気にしないから傷つかないという桐山の付き合い方。この違いは男性と女性の違いなのか、桐山と妻の里美の違いなのかどうかは分からない。いや、俺は本当に傷ついていないのか、友人を傷つけていないのか?里美の話を聞いてみると、自分が傷つかないと言ったことが本当だろうかと疑問に思えてくる。悪意がないから傷つかないのではなく、傷ついても悪意がないから乗り越えられるという里美のほうが正しいように思えてくる。しかし、悪意がないことが分かっているなら、泣き出すことはないだろう。心地よい酔いが、眠気を誘ってきた。

O君、K子さん、ご結婚おめでとうございます。新郎、新婦、ご両家の皆様、まことにおめでとうございます。


私とO君は、高校のラグビー部の同期でございまして、29年前にS高校ラグビー部に入部した仲間であります。当時はS高ラグビー部は県内でも結構強いチームでしたが、私をはじめ、当時の高校のラグビー部の新入生は、ラグビーのことなどまったく分からずに入部するのがほとんどでした。私などは、楕円球のボールを使うことくらいは知っていましたが、その楕円球のボールに触ったことさえありませんでした。


そんな中、O君はほとんど唯一といっていいと思いますが、ラグビースクール出身のラグビー経験者で、楕円球のボールの持ち方やパスの仕方をわれわれに教えてくれました。まあ、それが良かったのか悪かったのか、当時の、S高ラグビー部の黄金期にあって、われわれは谷間のように花園へ行けなかった世代ととなってしまったのですが、ええ、それはわれわれみんなの努力が足りなかったからです。はい。


青春時代に挫折を知るということは、決してムダにはならないもので、みんなで頑張って、みんなで泣いたからこそ、高校を卒業して四半世紀以上経つというのに、今でもあの当時の仲間意識を持ち続けられることは、本当に幸せなことだと感じております。


O君とは昨日まで別な仲間意識も持っておりまして、大学を卒業して20代、30代と歳を経るごとに結婚をしていく人が多くなり、その中でだんだん少なくなっていく独身仲間というつながりもあったのですが、今日でなくなってしまったことが個人的には少々残念でもあります。30代中ごろまではだんだんと減っていった独身仲間ですが、ここ数年増えるようになってきまして、人によっていろいろ事情はあるようですが、この歳になってまた減るとは、一筋縄にいかないところが、さすがはO君、というか、テケですね。


実は、仲間内ではO君のことを「テケ」と呼んでおりまして、なぜ「テケ」かといいますと、あ、もう時間ですね。「テケ」のことを話すと長くなってしまうもので、残念ながら「テケ」の説明はできそうにありません。でも、K子さん、これから一緒に暮らしていくと、「テケ」の意味も分かってくるのではないかと思います。そして、きっとこの人を選んでよかったと思うはずです。ただ、これからのお二人の生活には、いろいろなことがあると思います。時には、「こんなはずじゃなかった」とか、「この人でよかったのかしら」などと思うこともあるかもしれません。そんなときには「テケ」の意味を考えてみてください。


もし分からなければ、われわれS高ラグビー部の同期の仲間に聞いてみてください。必ずや迷いは吹き飛んで、テケに惚れ直すはずです。テケを信じて、幸せな家庭を築いていってください。本日はおめでとうございます。ありがとうございました。


「おい、テケの意味って何だよ。あいつの走り方がテケテケテケって感じだから、みんなでテケっていって馬鹿にしてただけじゃねえかよ。」


「いいんだよ、そんなのなんだって。」


「そんないい加減な、もしOの奥さんからテケの意味を聞かれたらどうするんだよ。」


「いいか、OとK子さんがうまくいっている時は、まずそんなことは聞かれないだろ。もし聞かれても適当にはぐらかすか、それこそテケテケテケって走るからと、冗談めかして言えばいい。でもな、もしOとK子さんの間がやばくなって、俺たちのところに聞きに来たら、そのときは仲間としてそのときの状況に応じてもっともふさわしい理由をくっつければいい。もっとも本当にやばくなったら、そんなことを聞きに来るかどうか分からないけどな。」


「なんてやつだ、まったく。」