昨日は、大河ドラマ「江」の初日でした。
江の母親(市=織田信長の妹)が浅井長政に嫁ぎ、そして、浅井長政が織田信長に攻められ、
その(つまり夫と兄との)戦いの最中に江が生まれ…。
炎に包まれる小谷城を、市とその2人の娘たちが見つめるシーンでは、私は何気に涙ぐんでしまいました。炎の中には、29歳の父親(浅井長政)がいる。
そして、炎に包まれた小谷城こそ、市とその2人の娘たちの思い出の場所。
ちなみに、浅井長政を攻め滅ぼした織田信長は、
そのわずか9年後に、本能寺の変で亡くなります~学校で教わった通りですね。
次回の大河ドラマ「江」でも本能寺の変が放映される模様ですが…。
ではここで…歴史に「もし」はタブーですが。
もし、織田信長が本能寺の変で討たれていなかったら、…そう本能寺の変が無かったのなら、
織田信長は真の「天下人」として、政権を樹立する(織田幕府を開く)ことができたでしょうか?
ここで、突然、話の河岸をまったく変えますが。織田信長の食生活にスポットを当ててみましょう。
織田信長はお酒は全く飲まかったそうです…が、普段の食事の味付けは、相当、濃かったようです。
塩分濃度が、かなり高い食生活を送っていたらしく、
一説によると、織田信長の1日の塩分摂取量は50gだったとか。(今の、成人の1日の塩分摂取量の目安は10g)。
なので。仮に本能寺の変が無かったとしても、
織田信長は、その食生活ゆえ、脳溢血や腎臓の障害などで、長生きすることができず、
結局、同じ歴史の道を辿ったのでは無いでしょうか?
ちなみに。
戦国大名の上杉謙信が亡くなったのは49歳の時。(織田信長も同じ49歳で亡くなっています)。
上杉謙信の食生活は、(織田信長と異なり)晩酌は欠かさない。
酒の肴は梅干しひとつ。それも、塩分濃度がかなり高かったとか。死因は脳溢血とされています。
織田信長と上杉謙信、お酒を除けば似たような食生活ですね。
戦国時代を生き抜き、幕府を開いて、太平の世を築き上げた徳川家康が粗食なのは有名ですね。
玄米や木の実など硬い食事を好み、…76歳で亡くなるまで、ずっと現役でした。
江の母親(市=織田信長の妹)が浅井長政に嫁ぎ、そして、浅井長政が織田信長に攻められ、
その(つまり夫と兄との)戦いの最中に江が生まれ…。
炎に包まれる小谷城を、市とその2人の娘たちが見つめるシーンでは、私は何気に涙ぐんでしまいました。炎の中には、29歳の父親(浅井長政)がいる。
そして、炎に包まれた小谷城こそ、市とその2人の娘たちの思い出の場所。
ちなみに、浅井長政を攻め滅ぼした織田信長は、
そのわずか9年後に、本能寺の変で亡くなります~学校で教わった通りですね。
次回の大河ドラマ「江」でも本能寺の変が放映される模様ですが…。
ではここで…歴史に「もし」はタブーですが。
もし、織田信長が本能寺の変で討たれていなかったら、…そう本能寺の変が無かったのなら、
織田信長は真の「天下人」として、政権を樹立する(織田幕府を開く)ことができたでしょうか?
ここで、突然、話の河岸をまったく変えますが。織田信長の食生活にスポットを当ててみましょう。
織田信長はお酒は全く飲まかったそうです…が、普段の食事の味付けは、相当、濃かったようです。
塩分濃度が、かなり高い食生活を送っていたらしく、
一説によると、織田信長の1日の塩分摂取量は50gだったとか。(今の、成人の1日の塩分摂取量の目安は10g)。
なので。仮に本能寺の変が無かったとしても、
織田信長は、その食生活ゆえ、脳溢血や腎臓の障害などで、長生きすることができず、
結局、同じ歴史の道を辿ったのでは無いでしょうか?
ちなみに。
戦国大名の上杉謙信が亡くなったのは49歳の時。(織田信長も同じ49歳で亡くなっています)。
上杉謙信の食生活は、(織田信長と異なり)晩酌は欠かさない。
酒の肴は梅干しひとつ。それも、塩分濃度がかなり高かったとか。死因は脳溢血とされています。
織田信長と上杉謙信、お酒を除けば似たような食生活ですね。
戦国時代を生き抜き、幕府を開いて、太平の世を築き上げた徳川家康が粗食なのは有名ですね。
玄米や木の実など硬い食事を好み、…76歳で亡くなるまで、ずっと現役でした。