​​​​Twitterの投稿よりお借りしました。

つづきです。
 
もう一つのストーリーの流れとして

オーナーのマカドゥと整備士ジェドは二人ともカーボーイハットをかぶっている。
カーボーイハット(テンガロンハット)から連想するカーボーイのような出でたちは
野性的で勇敢なイメージにつながりアメリカ男性の一般的肖像とされている。
そして、西部劇や開拓時代の歴史のノスタルジックなロマンをかきたてる対象として美化され始め、現在ではアメリカの象徴ともいえる存在となっている。
 
エロイーズ保安官は名前から推測するとフランス系アメリカ人である。
 
西部劇はハリウッド映画や「マカロニ・ウェスタン」の影響で白人のイメージが強い。そして題材に多く書かれていたのはネイティブアメリカンとの抗争だ。
カーボーイとネイティブアメリカン、人種で言うと白人と有色人種の確執である。

マカドゥ・ジェド、そしてエロイーズ保安官は使命や、名声、仕事など環境からの要求でさびれた地に留められているだけで、精神的には成熟し人種的にはマジョリティに属している。

彼ら以外の登場人物は、
障害者・外国人・混血・移民・帰国者・貧困層・宗教的少数派
黒人・差別的待遇のある女性(仮定)
という社会的少数者~社会的マイノリティ~に属している

餌食として引き入れるのはヒッピーや外国人も社会的少数者だ。

リズはヒスパニック系の移民。
友達も多民族なのは土地がら。
黒人系の二人は言わずもがなだが、他の仲間も白人系ではあるが多民族の交友グループに在籍しているだから何か問題は抱えているのかと推測する。
リズの友達のキャシーは出で立ちからして娼婦かもしない。(ネバダ州は売春が合法)

エロイーズ保安官の部下エヴァは髭の形状からユダヤ人である。
彼がこの保安署に配属された背景は語られてないが、人種的な差別があった可能性も否めない。
妻と子供がいる、というセリフが何度も出てきているのは、自分は結婚し家族がいるという社会的な役割を満たしている、よって成熟し、マジョリティに属しているアピールだったのかもしれない。しかし宗教で社会的少数者に属している。
なので、彼はアニマトロ二クスの餌食としておかれている存在なのかもしれない。

マカドゥたちは白人至上主義としてのアイコンとして登場していてそれらが
社会的少数者としてのアイコンであるアニマトロ二クスに排除されるという構図にあてはめると
白人・精神的健常者に対してフラストレーションの発散映画として見てもいいのかもない。
最後は社会的少数者同志が祝杯の盃を飲み干す。

ラストについて
用務員がリズにエナジードリンクを渡したシーンは、男が初めてリズを仲間として認識したいう事で重要シーンだと思う。

作中の中でのアニマトロ二クスたちの存在は拒否されていた。
餌食を定期的にやるから、そこから出るな。というのはネグレクトと同じである。
彼らが殺人まで至ってしまう程ささくれてしまった心をなぐさめ、受け入れ導いてくれるてくれる他者がいたらここまで犯罪を犯すことはなかったのかもしれない。

受け入れてほしかったのに拒否されたものたちと、障害により相手の気持ちや意図を想像するのが苦手で共感することが出来ない男が自らの意思で他者を受け入れるという
マズローの欲求5段階説で説明すると、アニマトリクスたちは第3段階:社会的欲求なのに対し用務員は5段階の上にある自己超越の域までいっている超人的存在なのである。
その時点で勝ち負けが決まってしまってるともいえる。


この映画はコンピューターゲームFive Nights at Freddy'sをモチーフに取り入れたとの記述がある。
なのでリズが惨殺されていく友人たちへの感情が希薄だったり、時間通りに動く用務員の行動に違和感を感じるのはゲームのキャラクターの要素も撮り言えれてられているのではないかと推測する。
そうすると、バーチャルリアリティの世界観に属するキャラクターととリアルな存在の着ぐるみ達との戦いという構図も面白い。
最後に着ぐるみを跳ね飛ばすところは仮想現実時代の到来なのね、なんて見てしまう。

用務員の行動は障害故と説明できるが
リズの友人への薄情さをどう推測したらいいのかはまだわからない。
シンプルに彼女は彼らを友達だとは思ってなかったのかも。
 
最後に。
ニコラス・ケイジなんでそんなに強いの!とか着ぐるみに何で魂宿るのかについてのの考察は、
まあ、映画だからね。荒唐無稽なほうが面白いじゃん?
って見解です。