昨日、まるゆんさんが主宰するツイキャス

「あねさん映画部」にゲスト出演してきました。

題材は ウィリーズ・ワンダーランドでした。

 

初めて映画を語るってことをするんで、自分なりに映画の感想をまとめたのですが

ツイキャス中は上手く話せなかったので、よかったらまとめたのを見てもらえたらうれしいです。

 

てか、改めてみると的外れな事を書いてた気がしてきて非常に不安なので、異論うけつけます。つか、ちげーよって言われたらそっちに従います。

おばさんのたわごとです。

 

ウィリーズ・ワンダーランドの作品説明のウィキペディア

英語版、詳細はこちらの方が豊富

 

 

「ウィリーズ・ワンダーランド」考察

 

~舞台のネバダ州~
舞台の街はネバダ州ヘイズビル

まず、ネバダ州はてカジノなどの娯楽施設が集まる世界有数の観光地ラスベガスを抱える州で、娯楽産業や観光業が主要な産業です。しかし、景気の低迷が続き、失業率は6%台と全米の中でも高い。貧富の差が激しい地域である。
人口の30%近くが中南米出身のヒスパニック系の住民や有色人種が占め、宗教もキリスト教以外の信仰者も多く存在する。その中でユダヤ教の信者も1%程いる。
ユダヤ系アメリカ人は成人の退職者社会での活動比率が高い。

ヘイズビルは作中で田舎のさびれた町として描かれている。風景やシーンの数々をみると裕福な街には見えない。
ヒロインリズの住む家はトレーラハウス。トレーラーハウスはアメリカでは低所得者層や貧困層のものというイメージとしてとらえられておりそのことからリズもその家庭環境であると説明できる。


ウェイリーズ・ワンダーランドにアニマトロ二クスを閉じ込める事になった経緯は
地位と名声を得たテックス・マカドゥがレストランを買収したのはいいが、アニマトロ二クスの暴挙を抑えらずレストランを閉鎖。そのためにアニマトロ二クスが街に徘徊し人々を襲う事態なった。
負傷者からの訴えから街を追われ、アニマトロ二クスと取引をしたために部下でウェイリーズワンダーランドの元整備士で親友のジェド、保安官と街を監視するために提携を組んで餌食を探す役をしている。


保安事務所の備品が年代かかっているのはさびれた町であることの説明なのかなと思ったけど、保安事務所はアニマトロ二クスの監視のためにあるので最新の設備は必要がないということなのかもしれない。

街の為を思ってアニマトロ二クスと取引をして、餌を与え、監視する役を買って出たエロイーズ保安官は正義感のあふれる人なんだと思う。だからリズを引き取り育てた。
幼い時代のシーンで眠る彼女のわきにぬいぐるみを置いたのは彼女の母性である。
養女への愛と町への使命で板挟みになっていたのかもしれない。

しかし、リズはそんな養母の気持ちに感謝はしていない。

養母の策略で家族を失ったのだから仕方ないともいえる。

ニコラスケイジ演じる清掃員について彼の行動は典型的な「自閉症スペクトラム」の症状である。
この症状は「臨機応変な対人関係が苦手で、自分の関心・やり方・ペースの維持を最優先させたいという本能的志向が強いこと」を特徴とする発達障害の一種。

 

自閉症スペクトラムの症状と作中においての行動をあてはめてみる。


ひとりでいることを好む←登場時の状況
受け身な態度の対人交流←掃除の依頼を疑いもせず受け入れる
額面通りに理解する←マカドゥが休めと言ったから必ず休む。
人情に配慮することに疎い←助けに来たというリズの言葉を聞かない
特定の物事に対して強い興味をもつ←ピンボールゲーム
常同的な動作を繰り返していく←服を着替える、エナジードリンクを飲む、ゲームをするの一連の流れ
興味をもった領域に関して膨大な知識を持つ←清掃技術
多少の誇張があるかもしれないが、自分も職場で自閉症スペクトラムの傾向のある

同僚と接していた事もあり、彼らの行動と一致していたので経験上の確信である。


アメリカでは映画のcomicが発売されていて
前日譚としてアニマトロ二クスの中の人の事が語られている
それによるとアニマトロ二クスの中の人たちは
みな、心に大きな傷を負った人たちが生きづらさ故に殺人を犯し、精神病院に送り込まれた人だった。

一方、ニコラスはそんな生きづらさをものともとせず自由に生きている、所有する車から富裕層であることも想像できることから
経済的に豊かな家庭環境で周りから承認されて愛された人間とそうでなかったかつての人間との戦いであったと思うと興味深い。
社会的障碍者同士のバトルは、己のハンディキャップを長所ととらえて伸ばして行けた人の勝利で終わるというのは、生きづらさを良い方向に昇華することが大切である事を伝えているのかもしれない。
そういう人たちが天才として生きていけるか、異常犯罪者として落ちるかの差は家庭や地域の環境や貧富の差もあるだろうから、自己責任という言葉片づけてしまうのはいけないことだとはおもう。

ちなみに、生きづらさの為社会的欲求の満たされなかった者が殺人の為に愛玩物の中にはいっていた事は愛されたい欲求の裏返しでもあるのかなと思うと切ない。

 

長いのでつづきます。