ママイア
こんにちは。ブログ24日目のFPどどです。昨日父の小遣いの話から、母のちょっと変なエピソードを書いた時に思い出してしまった!過去の変なエピソード!母との思い出に、いつかは書き留めておこうと思っていたものをここで書き留めておきます。以下は個人的な思い出で、「誰が興味あんねん!」 の世界なので、ここで閉じて下さいませ(笑)母はいつのころからか、自分のことをママイアと呼ぶようになった。きっとパパイアの存在を知ったか、テレビで観たのだと想像はつく。パパ=父親 に対抗して ママ=自分あとは単純にパパイア に対して ママイア本人は気に入っている。しかし、家族誰もそう呼ぶ者はいない・・・母は香川県の田舎で育ち、高校は市街地に通学していたらしく、「電車は顔パスだった」と自慢げに言う女学生時代の写真を見た時に、1枚台紙に貼った写真が、はがされたように破られているものがあった。その破られて白く残ったところに問 これは誰が破ったでしょう?答 それは圭子ですと書かれていた。子供心に「親ってこういうこと書くんや」と衝撃を受けた(笑)子供が家を出、父と2人住まいになって長く、父も仕事を辞めてから家にいるので、2人は結構些細なことで喧嘩をした。実家に帰った時、外で会った時も本当に些細なことで口論する。いつも一緒にいる2人にとっては、日常の積み重ねで「些細なこと」ではないのかもしれない。2年前父が入院した時は、暑い中1日おきには病院に通っていた。朝に入り、夕方まで居る。何をするでもなく一緒にいる。2回目の入院で緩和ケアに移った時は、寝泊り出来るようになったので、出来るだけ病院で過ごしていた。父の体力がなくなり、食事を摂らなくなったら代わりに父のご飯を食べていた。父が亡くなり、1人で家に戻った母は何を思っていたのだろうか。ずっと2人で暮らし、離れたことのない2人だったから。1回目の入院が2ヶ月程と長かっても、それでも退院して戻ってくる、と思っていたから頑張っていた。でも、もう死んじゃったから戻って来ないねんね・・・父について語ったのは、その一言だけだった。四十九日も終わり、少し落ち着いたころ「再婚しようかと思う」といきなり言い出す。誰か相手がいるのか!と思いきや、単に話し相手が欲しかっただけで、1人は寂しいのだろう。父が亡くなって1年半。今や母はテレビと会話し、仏壇の前で父と話し、出かける時はセコムが話しかけてくれるので「行って来ます」「ただいま」とあらゆるものに話しかけて、元気で暮らしている。母が元気でいることに感謝です。だけど、母娘はストレートに物を言い合うので、感謝はしているけど、「もう口きかへん!」と思うこともしばしば。それでも母が亡くなったら、この会話も懐かしく思い出すんだろうなと、思うことが多くなってきた今日この頃である。だから母が元気なうちに、出来ることは一緒に全てやり切る。多少ムカつきながらも、感謝を持って。母と何をしましょうか?何が母にとって幸せなんでしょうか?それでは、また明日。