6月は父親の命日
早くコロナ終わらないかな。6月15日は父親の命日だが今年も墓参りに行けそうもない。母親に言ったところで来るなと言われることだろう。
自分が大学生の子を持つ父親になると親になる大変さが身に染みる。そして責任も重く感じる今日この頃だ。そんなときいきなり知人の死亡の知らせが届いた。
元気だった頃の彼の顔しか思い浮かばないのだが明日は我が身自分もそんな年齢になったということだ。54歳なんて本当のおっさんだな。
もし今、自分が死んだらそうなるだろうか。
幸い生命保険に加入しているので2人の子どもが大学を出て妻がの垂れ死なないくらいのお金は残してあげられるな。頑張って保険料払わないとならないとな。
ちょっと待てよ。
もし父親が今の自分と同じ境遇、いやその3年前に死亡していたらどうなっていたか。私は間違いなく大学に行けなかった。なぜなら生命保険というものがなかったからだ。
保険がないってどういうこと?
それは簡単な話だ。我が家には保険料に費やすお金がなかったのだ。だから都民共済しかなかったのだ。死亡したら葬式して終わりだ。
つまり恐ろしいことに野垂れ死にだってありえたわけだ。想像するだけで恐ろしい。だが幸運にも就職してから亡くなったので今があるということだ。
ということは子どもであった私の運命は大きく変わっていたということか。大学に行けなければクレジット会社に入社することもなかった。
そしてその延長上で仕事しているFPなんて道はなかった。もちろんそうなると妻と出会うこともなかったのでこどもにも出会っていない。
保険なんていらないという奴がいるけど本当に子どもの成長に責任を持つことができるのか?妻子どもにそんな思いをさせても平気ということだよね
最もお金がかなりあるなら大丈夫かもしれないけどそれはいくらあればいいんだい?かなりの金額だと思うぞ。そのお金を稼ぐ自信はあるのか?
たまたま昨年は稀に見るほどの株式相場にとっていいタイミングだった。収穫期でした。それはいつまで続くんだ?君がうまいのではなく季節が良かっただけだぞ
さてそういう私もAmazonプライムでお買い物をしたんで一生懸命働くよ。そして保険料を一生懸命に払うことにするよ。子どもは可愛いからね
永野FPオフィス