講談社学術文庫の『墨子』浅野裕一を読んだ。
墨子についてまとまった本を読んだことはなかったので、初めて全体像についての話が分かって、興味深かった。
義、兼愛、天、鬼神など、キーワードもたくさんあって、一度には消化仕切れないが、天を性(人間に内在するもの)とすることができずに、あくまで上から人間を規定するものとして捉えたところに限界があった、との指摘は興味深い。
儒家はむしろ人間の本性について語る。
古代中国の封建制に範を求め、義を語り、天を説く墨子は、他方でかなり堅固な教団を形成していくのだそうだ。
徳とか善性とかを中心に据える儒家とは人間の扱い方が違っているとも見える。
ただ、人間の本性とかが思想に染みこんだり人間からしみだしてくるとなると、ロジックとしてはもはや人間次第、みたいなことにもなるだろう。
墨子はそういう風にはならない。
また、法家思想とも異なる。
義と天、そんなに悪くないじゃない?と思う。
ただ、外部というか上からゴリゴリ天の理を「義」として押しつけられてばかりいては、教団も息苦しくなるんじゃないかと心配だ。
法家思想の秦や、儒家の漢に潰されていった、との記述もなるほどね、と分かるような気はする。
戦国時代に存在感を示していた墨家が、忽然と時代からその姿を消してしまったわけだから。
墨子というテキスト自体は、あまり読んでいて楽しくないな、抄訳されている本を斜め読みしてそんな感想は持った。
兼愛とか非攻の考え、儒教の儀礼や葬送の儀式への反発など、要素としては今からみて分かりやすい。
ただ、正しさを外部の天とか義とかに設定してしまうと、こなれないというか、硬直していくよねえ。
それもまた、分かるような気もする。
墨子の思想を総合的に考えるのは難しそうだけれど、浅野さんの解説はけっこう分かりやすい。
ちょっと古代中国の思想を散策してみたくなった。




