「谷村海那選手、A代表に選出されたよ」

というLINEが友人から入ったとき、一瞬何が起こったのか分からなかった。

慌ててスマホで検索すると、本当に代表に選ばれて居る!!!

なんだかその瞬間、どうしていいか分からないまま涙が溢れてきてしまい、周りの人に「何泣いてんのよ」と笑われてしまいました。

その後、谷村のコメントを読んで泣き、インタビューを見て泣き、もう今日の午後はメチャメチャでした。

いつもは見ないXのアカウントに入って、「谷村海那」を検索するという若者のようなことまでやってしまいました(笑)。

 

練習会場で取ってもらったツーショットの半分

(2024年10月1日)

 

去年の夏までいわきFCのフォワードとして活躍していた谷村海那(一昨年は18ゴールでJ2で二位の得点数)。夏から横浜・F・マリノスに移籍して、降格の危機を救い、百年構想リーグでは10ゴール、26-27シーズンでも本日までで7ゴールと、トップを争う得点数です。

JFLというカテゴリーから始まってJ3,J2と、いわきFCと共に成長してきた選手が、J1に個人昇格するときは、サポも監督も社長も、みんな泣きながら祝福して送り出しました(大宮の現地で目撃してました💕)。一番泣いていたのが本人でした。

いわきFCで送った5年半の選手生活は、それほどに彼にとっても大きなものだったのだと感じました。



いずれは日本代表になってほしい、と思っていましたが、それがたった1年で実現するとは。

20231120谷村

(J2一年目のスポンサー報告会・懇親会にて)

 

本人のコメントはこれ。

 

横浜・F・マリノスの公式サイトに本人のプロフィールとコメントが載っています。

 

その中に、

「自分はいわきFCがJFL時代の時から、一つひとつカテゴリーを上がってここまで来ました。
その中で、日々のトレーニングやプレーの細かい部分など、小さなことにこだわりながらサッカーに取り組んできました。
これまで自分を成長させてくれたいわきFC、そして新たな挑戦の機会を与えてくれた横浜F・マリノスに、本当に感謝しています。」
と、前クラブへの思いが述べられていたのにもびっくりしました。海那はいつでも、いわきFCが自分を育ててくれた、とことあるごとにコメントしてくれています。

現クラブの公式HPに、それを語ることができるのは、谷村海那以外にはちょっと考えられないです。
もちろん、マリノスのサポの方は複雑な思いを抱かれるかたもおられるかもしれません。
でも、リーグ戦半ばでいわきから移籍してきて6ゴールを得、降格の危機を防いだことを多としてくれるマリノスサポの方も大勢おられて、それもまた朴訥で正直で、下から叩き上げて大きくなってきた大器晩成の海那ならではのキャラクターかな、とも思うことしきりです。
マリノスの大島監督が、谷村をスタメンで使い続けてくれたからこそ、のこの代表選手だと思います。

 

いわきFCの田村監督、マリノスの大島監督に、それだけの期待を抱かせる、何かが海那の中にあったことも間違いないのでしょう。

そういう期待、環境に応えるだけの、底知れないサッカーの暗黙知というかキャパというか、そんな計り知れない力を、あの素朴で口下手でシャイな男の中の強さを、監督さんたちは見抜いて育て上げてくれたのかもしれません。
もちろんそれに応えるだけの大器であればこそ、です。

 

谷村海那のJリーグ全ゴール集がJリーグ公式から出ています。ぜひご覧ください。

 

全部をスタジアムで観たわけではありません(アウェイを含めて8割ぐらいでしょうか)が、その時々のGOALを思い出して、また涙ぐんでしまいました(😀)。

 

横浜・F・マリノスのインスタグラムインタビュー

 

今一番報告したい人は誰ですか?の問いに、

 

「いわきFC時代の監督とか、親に言いたい」

 

あーんまた泣ける。また田村雄三監督との絆の深さ。
 

20240715カフェマスター

いわきFCパークのCaféで、一日カフェマスターをしている様子。隣は大森理生選手。

 

ともあれ、個人的に9月17日は海那記念日になりました。

 

俄然代表戦、観にいきたくなったなー。

 

P.S.

まとまった批評の一つ。
河治良幸の記事

A代表に初招集。谷村海那とは何者なのか。JFL時代のいわきで始まった経歴、マリノスでの進化と代表基準

 

直ちに観るべし、映画『世界一不運なお針子の人生最悪な1日』。

 

好きな映画でも、最近忘れてしまうので、メモ代わりに書いておく。

 

この映画は、近年観た中ではスイスの風景とか、主人公の車とか、観ていて楽しくなる画像が抜群だった。

基本的にクライム系というかコメディ系というかなのだけれど、好きだった映画『バッファロー'66』にもちょいと似たテイストがあるし、ある意味タイムループもの、いやタイムリープもの的なテイストもある。
とにかく、オシャレでちょっとクライム系で、ハラハラしつつ、そこ来んのかーいっていう不思議なユーモアもある小品。
母から受け継ぎ、流行らなくなったお針子の店をやっている主人公が、ふとしたことからギャングのお金を手に入れてしまい、それを巡って針と糸で戦い、サバイバルしようとするが……。
でも、一言で説明できるけど、説明してもしょうがない映画って、意外と面白かったりする。

その典型。

こういうの、好き嫌いが分かれるかもしれないけれど、私は好きだったので、ここに記録しておきます。

去年みた映画かな。

AmazonPrimeのレンタル(550円)。ちょっと高いけど、観て欲しいなあ。

タイムループものの映画で最近観たのは、
リバー、流れないでよ

で、これも面白かった。2分間のループなので、繰り返しの回数が多く、その中の微妙な違いを楽しめる佳作だった。
この

MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない

は1週間のループなので、ディテイルを楽しむ感じがあり、展開するミッションも、①タイムループを周りに気づかせ、②その原因を探し、③解決に尽力するというメインのストーリーと、④広告会社の超忙しい仕事の様子と、⑤部長(マキタスポーツ)の噛み合わないしかし暖かなキャラがなかなに絡み合っていて、なかなかに面白い。

 

特に主演の円井わん、マキタスポーツを始め、島田桃依(青年団)とか、しゅはまはるみ(カメ止めの妻役)らの俳優たちが安心して観ていられる安定感。ウェルメイドのエンタメ映画は、そういう腕も楽しめます。

『リバー~』も『MONDAY~』も、どちらも未見ならぜひ。
エンタメ映画として、楽しい時間を過ごせると思います。

 

『リバー~』はAmazonPrimeで視聴可能かと。

『MONDAY~』はAmazonPrimeの中のサブスク「マイシアター+」で月額400円弱で視聴可能。
 

 

以下、蛇足です。

ちょっと整理しておくと……。

 

1,タイムトラベルとかタイムスリップものもあるけれど、それは異なる時代になんらかの理由で現代から時空を移動した場合。タイムマシンで時空を湾曲させて過去や未来と接続する場合などが多い。あるいは何らかの衝撃を受けて、別の時代に意図せず移動してしまう場合など。

『戦国自衛隊』とか『バックトゥザフューチャー』など

 

2,タイムリープは「時間跳躍」なので、一般に二種類の意味で使われていそう。

①他の時代に、意識が飛ばされる。

 (自分の肉体に宿る場合と、過去の別人の身体に宿る場合がある)『君の名は。』『バタフライ・エフェクト』

 

②自分の肉体を伴い、自分の意志で能動的に時空を飛び越える。『時をかける少女』がこれ。

 

 

『恋はデジャヴ』というDVDを人に勧められて購入したのだが、どこかにしまってしまった。

あ、検索したらNetflixで観られる!

 

 

映画https://www.toei-video.co.jp/heikoutosuichoku/


を見た。
ここ最近、みる映画が、『大統領のケーキ』『時には懺悔を』『急に具合が悪くなる』と、戦争に虐げられる少女、障害児を持った親たち、精神病院、介護施設、末期癌の患者などなど、シビアな状況の中で生きる人たちを描いたものが続いている。

この映画も大きくいえばその系譜。

内容は上記サイトを参照されたい。


いろいろ感想は湧いてくるが、私にとっては、観てよかった。


個人的な話をすれば、知っている範囲でかつてアルペルガー診断を受けた人もいるし、ASDの障害を持って生きている人もいる。

ある人は、仕事になんとか適応し、ある人は適応できずに結果自宅に籠ることになる。

Spectrum

という定義は確かに便利で、連続体という意味だから、全ての症状を包括的に定義したことになるのだけれど、もちろん一人一人の様態は多様で、一括りにはできない。

ASDの映画といえばダスティン・ホフマン主演の『レインマン』が有名だが、橋爪功主演で舞台にもなっている。

フィクションで障害を持った人を描くのは本当に難しい。フィクションは基本ノンフィクションと異なり、可能性を描くという傾向性がある。そんな中で単なる類型としてでなく描くのは本当に気合いが要る。

『時には懺悔を』も実際に障害を持った方、その保護者の方がキャストとして登場していた。

この『平行と垂直』は安田章大という人が演じているが、エンドロールのクレジットにはASDの専門家が3名監修に名を連ねていたと見えた。


誰をどう描いても、その一人でしかない。

スペクトラムとなれば尚更だ。


だが、安田章大という人は、よく描いているな、という印象を持った。

そして相方がのん。

のんという俳優は、ある種スーパーで、概念リセットの神様に愛された演技者だ。

何よりそのコラボがよかった。


そんなに劇的なことが起こるわけではないが、日常の中で進行していく生きづらさ、小さいけれど深刻だったりして、不安と希望が同居する生活の中の出来事がそこに静かに置かれている。

これもまたケアとは何か、という通奏低音が響いている映画だった。


ケア、という概念もまた、難しい。


この映画、サブスクになってからでも観てほしい1作。



(前項より続く)

つまりこの定義のところに繰り返し出てくる「intelligo」(私は~と解する)の連続パンチは、私の感じとしては、思惟という属性における知性の働きという様態において、「描出」するというこの定義が進行しているように見える。
 

全集本(上野修)の第一部注の11にはdicetur「呼ばれるだろう」(三人称単数未来)という単語の説明として

「じっさい冒頭の一連の定義は事柄の本質を述べる本質定義というよりは、むしろあとに続く証明の前提となる用語上のとりきめという性格を持つと考えられる」

とある。まあ定義なんだから、用語の取り決めとして呼んでいこうぜっていうのは、分かる。私も以前、そんな風に個々の講義を先生から受けたときに、まあそういうものなんだなという感じで受け止めて行きましょうと言われたおぼろげな記憶。

 

でもさ、って話です。

スピノザをずっと読んできて思うことは、これって

実体→属性→様態

でいうと、この定義もまた、人間の知性という実体の中(語弊があるけどまあ中の営みね。外部はないわけだから)でintelligoがなされているわけだから、後の証明の前提とか、その前提を導出するとかいう感じでは、ちょっとスタティックな感じが拭えない。

まあ、木で鼻を括ったような愛想のない定義であることは間違いないわけで、これをいくら読んでも「意味」は立ち上がってこない。

 

ただ。

この意味が簡単には立ち上がってこないintelligo(例えば、の話でこの単語を挙げてるんだけど)もまた、人間の知性の範囲、思惟属性の範囲で思考し理解しているわけですよね?この先エチカを読んでいけば分かることだけれど。

だとすれば、ここは、まあそういうものだと読んでいこう、という素人向けのお話としてはそれでもいいんだけれど、

最初から神の「描出」が意図された抑制感があるんじゃないの?という感じがするわけですね、どうしても。

 

つまり、あの『デカルトの哲学原理』でスピノザが言っていた

cogito ergo sum.

に対置した

ego sum cogitans.

 

を想起するということです。

cogitoは私は考える、とズドンとその存在を投げつけてくる。

それに対して、

intelligo(私が~と解する)は、

前提というより、内側から虚空の壁に描いていくあられもなさ、が感じられませんかね。

まあ、

「それはお主の妄想じゃ」

(by桜先生fromうる星やつら2『ビューティフルドリーマー』)

といわれればそれまでなんだけど、なんだか分からないところに「私は~と解する」とかいって並べていくウチに

「あっというまにかわいいコックさん」

のあの一筆書きのように、神=唯一で無限の実体が描出されていく……そんな感じを妄想してみた。

 

ChatGPTに投げてみたら

「intelligoという一人称をデカルト的な「私」の確立としてでなくcogitatioという属性の内部で生じる一つの思考作用として読む」

ことはできなくもない、って頭を撫でてもらった。

 

その結論が当たっているかどうか、なんて大した問題じゃない。学説の整理しているわけでもドゥルーズのトレースをしているわけでもないしね。

ただ、原文に当たると、同じ理解するでも、いろいろ違うし、訳文ではフックにならない(注をよんでようやくそうなのかなーと考えさせられる)こともガツンと最初から手触りが分かる。

 

こりゃ、止められないですわ。

 

次は「属性」について考えがまとまったらまたメモします。

(誰が読むんだ問題、そしてこんな妄想読まれて困らないのか問題はあるんですけど、でも刻んでおかないと忘れちゃうので、他者の視線に触れるという想像によって定位される外部記憶装置の中の一文、として、ですね)