将棋好きなら知っているヒトも多いのではないか。
棋士の中村太一と一緒にYouTubeで将棋の面白さを発信している鈴木肇さんのロングインタビュー。
心が震えます。
よろしかったらぜひ。

元奨励会三段・鈴木肇さん「落伍者」投稿への激情 将棋への一途な夢
https://www.asahi.com/articles/ASV6L2TBQV6LUCVL019M.html

映画の後、
 

・フォーラム福島の支配人阿部さん
 

・『ガザ日記』に触発されて俳句の「生きるガザ」を作った中村晋さん

 

・Cafélogosを主催して、こういったイベントを企画・運営している渡部純さん

 

お三方のトークが1hほど実施された。映画以上に考えさせられる時間になった。

 

三人が別々に、連作「生きるガザ」を収録した中村さんの詩集から5句ずつ選び、それについて選んだ理由を述べたのが特に印象的だった。

 

全部を引用することはできないが、1句づつ紹介すると、

 

高校教師の渡部さんは

 

ガザに触れつつ受験子現代史厭う

 

の句を挙げ、ガザの虐殺について授業者が熱を込めて語れば語るほど、生徒たちは引いてしまい、寝てしまうという教室のリアルとシンクロする、と語った。

 

映画を上映する立場から、阿部さんは

 

月よガザは戦争映画のセットではない

 

の句を選び、ガザのリアルと映画のセットを対比するこの句が気になったという。

 

作者の中村さんは、

 

この星にガザあり驢馬につぶらな眼

 

を選んだ理由として、驢馬が好きだといいつつ、中東では荷物を運ぶのに驢馬が日常の中にあり、子どもたちが荷物を載せて驢馬を追う光景がよくある、という体験に触れている。

また、何かを言おうとするときに、強く主張するのではなく、そこに動物の存在を置くことが大切な面もある、とも。

 

その後、三人の話で、ガザの惨事がなかなか(日本の)人たちに伝わらないという話になり、

 

阿部さん

今、ドキュメンタリーはお客さんが入らないです。こういったガザの映画は特に、東京でも入らない。本来はエンタメの場所である映画館ではなく、テレビ局がこういう映画を買い取ってみんなに見せてもらうのが(本来の)役割ではないかと思うが、映画館がこれを担うのはどうなんだろう、という思いもありつつ上演している

と葛藤を感じている思いを述べ

 

中村さんは、俳句は元々「観る」ということが特徴であるということと、二つの別のものを出会わせることによって力を持つものだから、熱く語るというより、見えるものを句で示してくことなのかな、といい

 

渡部さんは、

いくら熱く語ろうとしてもそれは伝わらない。当事者性が重要なのではないか。そこでは、資料性、実際にどこで何が起こっているのかを提示して行かねば、

と述べた。

 

また、話し合いの中で、歴史的に考えればパレスチナの人たちが土地を追われる被害者であることは明らかなので、そういうことを教えていくことも大切なのだが、(安易な)政治的中立性という場所で思考停止してしまっているのではないか、との指摘もなされていた。

 

そして最後に阿部さんから、(ドキュメンタリーだけではなく?)映画の持っている物語性が重要になる、『アラビアのロレンス』など今から観れば違った見方が必要だが、劇的な物語によって多くの人に届けるということは考えられてよいのではないか、とも。

 

当事者性の問題、政治的中立性の問題、物語性の問題

 

私はその三つを、ここで話し合われたことの重要なポイントとして受け取った。

 

その三つについて、項を改めてもう少し書いておきたい。

 

 

 

映画『ホールディング・リアット』(フォーラム福島)を観てきた。

上記の映画のサイトから引用すると、

「2023年10月7日の朝、ガザ地区との境界から2km足らずの場所にあるイスラエル南西部のキブツ(農業共同体)、ニールオズがガザから侵入したハマスの武装勢力に襲撃される。住民およそ400人のうち、4分の1が殺害されるか人質となるという壊滅的な被害を受け、リアット・ベイニン・アツィリと夫アヴィヴもガザへと連れ去られる。父イェフダら家族は、2人を救うため必死の行動を開始する。リアットがアメリカ国籍を持つことから、イェフダは人質解放を求め、バイデン政権に働きかける代表団の一員として訪米する。しかしそこで、人質家族の存在が、イスラエル政府による戦争継続の「理由」として利用されている現実を知り、愕然とする。」


というところから始まるドキュメンタリー映画だ。アメリカに住む当該家族の親戚が監督になって記録していったらしい。

良い映画だった。

この日の上映では、福島在住の俳人中村晋さんとのコラボで、上映後にトークショーも設定されていた。
彼は、ガザの詩人の詩を俳句に翻訳するという挑戦的な試みをしていて(『19-26』)、この日のイベントは、映画と俳句を響き合わせつつ、ガザにおける大量虐殺に対する問題提起をするというコラボという建て付けになっている。

映画の内容は上記サイトで確かめられたい。
2023年、ハマスがイスラエルのキブツを(ある種の原始共同体を実践している)を襲って沢山の人を殺害し、かつ拉致して人質にした事件が発端なのだが、娘夫婦の解放を望む夫婦(なかんずく父親)が、アメリカに渡って人質解放のために討論会やロビー活動、集会などで発言をしていくのだけれど、そのなかで、人質のムスメ(リアット)を解放してほしいという老いた父親の願いは、ありとあらゆる政治的な動きの中で錐揉み状態になり、政治に関わることになるからと最初から反対していた妻とも対立することになる。また、リアットの姉もリアットの息子も、父親とは考えが違う中、人質解放のためにアメリカでそれぞれがインタビューを受け、集会で語っていく。

それが前半。

後半は夫はリアットが解放されたあとの彼女の様子をカメラは収めていく。

無事帰ってきたリアットの中で湧き上がる複雑な思いを、画面は余計な語りを交えずに映して終わる。

前半はわかりやすい家族(主として父親)のストーリーだが、後半についてはぜひ作品にあたってほしい。


ここではその後のトークで出てきた話を書いてみる。
(この項つづく)





46,000km走ったファミリア(110万円ほどで購入)を70万以上で下取りするというので、ホンダの2代目アコードワゴン1800EX(かな?)に乗り換える。




あまりに短期間にクルマを乗り換えるので、家族には呆れられた記憶(笑)。

まだこの時点では独身(だったはず)で、それたけクルマが好きだったのだろう。色は濃紺。前のFFファミリアXLが白だったので、ホコリが目立って難儀した。

オートレベリングサスペンション機構とかいうのが付いていて、手動でもボタン一つで車高を上げ下げできた。

ただしこの機構はエア圧で車高調整をしていて、よく圧が抜けるものだった。圧が抜けるとクッションが悪くなるせいか、乗り心地が「ガタガタ」と最悪になった。直してもまた……。


ただ一つ便利だったのは、この時期としては珍しくオートクルーズコントロールご付いていたこと。


オートクルーズコントロールもありオートレベリングサスペンションもある。

そう、これは(乗り心地は壊れるとひどいものになったが)、意図としては

ロングツーリング

ロングクルージング

をイメージしていた車格が上のクルマだったのだろうと思う。

CIVICの兄貴分として誕生したACCORD。


あとから考えれば、このACCORDは、自分のクルマ好きの中身が二手に分かれていくきっかけになったのかもしれない。


いつまでも乗っていたい

操作系快楽

(FRスターレットやFFファミリア)

と、

どこまでも乗っていきたい

ロングクルージング系の楽しみ

(2代目ACCORDワゴンと3代目ACCORDセダン)


その2つだ。


どっちでも同じでしょう?

という人はたぶんクルマを道具としてしか考えていない。

そうではなくて、走るのが楽しいという快楽のなかには、

何時迄も=時間軸

何処までも=空間軸

の2つがある(笑)


それは今クルマ遍歴を書き始めて、ようやく整理されてきたのかもしれない。