思い出したことがあった。きのう、あれだけ白人男についてぶつぶつ書いたあとで、同様のことが以前にもあったことを思いだした。最初の英語本を出した1914年のことである。(ああ、あれからもう10年以上が経ったんだあ、早いなあ、この10年、何をしていたことやら悲)本の体裁ーつまりデザインーをするのに、配偶者の友達で本のデザインをしているという白人男に頼んだことがあった。友達というから、信じたのである。それが裏目に出た。その男が何をしたか。私が書いた本文ではノースダコタとなっているのに、勝手に、本のしょっぱなのページで、ノースをサウスに変えた。読みだしてすぐに、本へのCreditabilityを失わせてやれ、という魂胆である。あと、本の最後に、使った文献のリストを載せたが、本のブラフを書いてくれた先生の本のタイトルを、先生の直前にリストアップしていた人の本のタイトルとすり替えた。私に対して先生の怒りを買わせてやれ、という魂胆だろう。ああ、なんと汚い、小さな人間か。が、そいつがしたことにすぐには気がつかなかった。おかげで、結局、訂正文を作り、すでに印刷されていた本に挿入するとか、なにかと手間をかけさせられた。その白人男に文句を言ったら、返事が来ない。来ないからと、また文句を言ったら、今度は、文句の言い方が悪いとか何とか、で、結局、あんたとは取り合わない、みたいな態度をとってきた。悪いことをしたのはお前やろ。が、アホな白人男は絶対にそれをまっすぐ認めようとはせず、相手に責任を押し付けようとする。否、白人男だけではなく、それがアメリカ人の習性である。(怒)相手に対して怒ったら、怒らせることになった自分の行為言動を振り返り、考えなおすのではなく、怒っている人間を責めてくるのがアメリカ人のやり方である。ああ、その小ささ、汚さ、その傲慢さよ。(怒)で、ますます腹が立ってきて、弁護士に電話して、無料の範囲でアドバイスをくれ、とお願いしたら、はい、ここまでが無料、で、著作権法違反だから、白人男のファイルへのアクセスを禁止しろ、と教えてくれた。で、やっと、その男とは縁が切れた。でも、こちらとしては、そんな腐った汚い、小さな男と友達だという配偶者にも腹が立ってきて、何が友達や、これが友達がすることか、しょうもない友達、持ってんねんな、で当然けんかである。(怒笑)が、この件ではもうこれ以上は何もするな、自分がケアをする、とか言ったが、それでもしばらくのあいだは、友達付き合い?を続けていた模様。(今もしてるかも。知るかあ。ふん、しょうもない男どもめ。男の友情なんて糞くらえだあ笑)と、いうわけで、白人男には小さく、しょうもない、人をいじめるのが大好き?な男がうじゃうじゃである。が、たぶん人種は関係ないだろう。男のいじめは女のよりひどい、みたいなことを日本人男性から聞いたような気がする。必死の特攻隊的戦闘モードでいじめるのかなあ。(女のいじめはぐちぐち陰湿? 否、男のいじめも陰湿である、ノースをサウスに変えるとか、コンマを削除するとか、相手にわかりづらいことして、にたにたほくそえむタイプ。ああ、くらああ。うぇ笑怒)とにかく「友達だ」なんて言葉を信じても、ろくなことがない。それが人間の本性の一端なのである。だいたい銃乱射事件を起こす男の大半が白人では。白人は社会の主流だと大きな顔をしてるのは外見と期待にすぎず、内にちょこっと入れば問題山積の人間うじゃうじゃでは。げっ。あのデザイナーが今、何をしているのか知るはずもないが(死んでるかも笑、死んでも配偶者は私には言わないだろう、ははは、ざまあみろ、と大喜びをするのを知っているから笑)どうせ大したことはなかろう。しょせんルーザーである。で、思うに、大谷君流に考えれば、なぜいじめられるのか、答えは、私に力があるから、嫉妬しているだけ???とでも考えることにしよう。人の嫉妬にかまっている時間もエネルギーも自分にはない、とでも。(笑)というよりは、小さな人間は、自分より無力に思える人間をいじめて喜ぶ?(自分より大きな人間にはへらへらと頭を下げて、忖度に余念がない?) となると、女だから、それもブラウンの女だから、英語ができないから、英語ができないのに、英語で本なり記事を書こうとする厚かましい女だから、といったところか。たぶん当たっていよう。ようし、覚えてろ。きのうの白人男にしろ、勝手にほざいてろ。絶対にお前らには負けないから。絶対に。そういえば、昔、人事部でいじめられて戦ったとき、誰か話をした日本人女性に「相手を間違えているねえ」と言われたことがあった。ははは。いじめられたら、おいおい泣いて、相手の思うツボになるような人間じゃないことだけは確かである。(笑)本気を出したら、頭が、勝つための作戦を練りはじめる。ジュンフジタをどう攻めるか、作戦はぼちぼちできつつある。絶対に負けない。やっぱり「人格者・大谷君」からはほど遠いなあ。。(怒笑)
風向きがよかったそうで、飛行機は予定より1時間も早くオヘアに着いた。空港のイミグレで、またごちゃごちゃ時間がかかるのだろうと思いきや、写真をとってOK. パスポートを出せとも言わない。何これ。顔認証がうまくいけば簡単だけれど、羽田では顔認証がうまくいかず、係官のところへ送られた。何がどうなってるのか知らんけど、何かとややこしいこっちゃ。(笑)午後4時半ごろには家に戻っていた。もみじの木にまだ赤い葉っぱがついていたので、感激。よかったあ。請求書がたまっていたので、ばたばたと小切手を切り、スーツケースを片付ける。羽田あたりから、ずっと考えていた、なんでそんなに好きでもないアメリカに帰るのかと。答えは一つ。仕事をしに、である。社会学者によると、結婚による渡米は経済的移民?とか呼ぶそうな。要するに、実際にどんな仕事をするか否かに関わらず、生活環境を変えて、つまりすこしでもよりよい生活を、人生を、と考えるのは経済的動機だ、ということになるらしい。そうだ、その通りだ!!!といっても、若いときの話である。(笑) 今はもう夢を見る時間もエネルギーもなく、惰性の生活でもやっぱり経済的動機かな。それでも大谷君じゃないけれど、ただただ仕事をし、勝ちに行くのだ!!で帰ってきた。別にお金をもらうわけじゃないけれど。。(笑)それからずっと起きっぱなしである。飛行機の中で、それほど寝たとも思えないけれど、そろそろ24時間。決まった時間に会社に行くわけでなし、好きなときに起きて寝ての生活をしばらく楽しもう。。さあ、今日は無事に晩御飯を食べられるだろうか。(笑)でも、できるだけ早く時差ぼけを直さないと、シカゴに遊びに行けないな、という焦りもある。とにかく仕事したああい、がんばるぞおおおお。(笑)
今日が日本滞在の最後の日。小さな家だけど、掃除機もかけた。庭に出て、隣家に向かって伸びようとしている枝も、もう一度ちょこちょこ切った。これで文句も言われない??ならいいけど、生きてるものを止めることはできないから、勝手にぶつぶつ言って。(笑)溝掃除もした。金木犀の花がらがいっぱい溝に落ちて、水一面に浮かぶ橙色はきれいだな、と思うけれど、隣家はそうは思わないらしいから、掃除しようとしたものの、花がらが小さすぎて、なかなかうまくとれない。まあ、そこまでしなくていいでしょ、と適当に。(笑)あとは、明日の朝、トイレとお風呂場をぱっぱっと洗って、出発だあ。ほんならね。またね~~。(笑)今回の滞在で、自分でもびっくりしていること。1ケ月いて、神戸の繁華街の三宮や元町にはたった一回しか行ってないのである。何これ、みたいな感じ。(笑)昔は、毎日のようにぴょんぴょん出かけていた三宮や元町。今はもう行く必要を感じない。大勢の若い人たちが、きれいに着飾って、楽しそうに闊歩している町ー人生これからの若い人たちが、自分の人生どうなるのかなあ、と不安に感じながらも、それでも希望にあふれている町。行っても、もう自分の居場所がないように感じられる。店もきらきらしているだけで、あんまり魅力的には思わず、入ろうともしない。それよりも、せいぜい電車で一駅の小さな商店街界隈のほうがよっぽど居心地がいい。ああ、これも年をとるということか。若さという刺激に、こちらの身体が耐えられなくなっている???(笑)3歳から26年間、この家で、親二人が一生懸命働き、生活を支えるのを見てきた。この家には親の人生がつまっている。こちらは、どうやってこの家を出ようか、ばっかり考えてたというのに。(笑)この家に戻ってくるのは、娘に言わせれば、親との関係から自分を解放しようとするヒーリングのプロセスなんだって。むずかしい心理学の理論とは縁がないけれど、私の意識の中で親がこの家から消えるまで10年かかった。そして今、この家が朽ちるまでつきあわねばと考えている、もちろん私のほうが長生きしたら、の話だけど。。(笑)ほんならね。またね。ちょっと早いけど、よいお年を。父親が植えたもみじの紅葉が絶対に見られないのだけが、ほんとに残念ですよ。
冬が近づいてきたらしい。今朝は寒かった。足先が凍った。部屋の温度計は摂氏10度ぐらい。まだ我慢できないレベルではないけれど(春に来たときは摂氏3度。あのときはかなりつらかった。笑)、さむ~~い、さむ~~いとぶつぶつ。高校生のとき、凍った足先で、力の入れ方を間違えて、足の小さな骨を折った経験があるから、足先が凍るのは怖い。(笑)日中には、温度がけっこう上がるので、この寒暖差がけっこうつらく、何を着たらいいのかわからない感じ。(笑)帰米の時が近づいてきたということだ。日本の家は寒い。とりわけこのすきまだらけのあばら家は。(笑)ふるさとに対してはいろんな気持ちや考えが交錯するけど、やっぱり物理的な条件が一番パワフルらしい。これ以上寒い家には住めない、住みたくない!!! どんなにドカスが嫌いでも、アメリカに戻るしかない!! (悲笑)大地震で傾いてしまっている家へーまた戻ってきます。倒壊しないように、もうしばらく踏ん張ってください!!!
今回の滞在で、たまたま見つけた無料の講演会。「中国残留日本人孤児」の問題を考えるというもの。まだやってるんだあ、と思って出かけていった。無料だし、何か新しいことを学べるかも、と思って。小さな集まりで、かなり詳しいことが聞けるのかな、と思ったから。あかんかったああ。。(笑)大きなホールで、100人以上入っていたのでは。こうなると、一般論しか聞けなかった。あえて言えば、「満蒙開拓の真実」という満蒙開拓平和記念館が制作したというドキュメンタリーを見られたこと。これはよかったかな。。一つ新しく学んだのは、満蒙開拓団が送られたのはソ連との国境近くだったとか。すぐに、国家権力がすることはどこも同じだな、と思った。日本人・日系アメリカ人が送り込まれた強制収容所は、誰も耕すことができない内地の荒れ地。アメリカインディアンにあてがわれた居留地も、ほかに使い道のない荒れ地。邪魔者はいつもすみのほうに追いやられる。(怒悲)ソ連の侵攻、日本の敗戦で、日本に帰れなくなった多くの残留邦人たちのうち、1972年の日中国交正常化以前に日本に帰ることができた人は「引揚者」、帰ることができなかった人は中国残留日本人と呼ぶそうな。その問題に最初に取り組んだのが、大阪外大出身の女性外交官ではなかったか。確か日本政府の方針に反する運動で、確か彼女は外務省を退職しての仕事だったのでは、と記憶している。残留日本人の帰国がはじまったのは1980年代。満蒙開拓団として国家が送りこんだ人たちを、国が帰国を支援するのは当然だと思う。が、私が首を傾げたのは、中国帰国者への支援についてである。中国帰国者というのは、日本にやってきた残留日本人の子供たちやその家族を意味するらしい。講演会で自分たちのストーリーを外国人の日本語で話した人たちは、30代で日本にやってきた。そりゃ、日本語は話せないでしょう、と、自分の英語を考えながら思う。中国で生まれ、30代なかばまで中国でがんばってたのに、なぜ日本に来ることにした? はっきりしたことを話す人はいなかったような気がする。あとで、二世の人は自分が日本で苦労することはわかったいたが、子供たちのことを考えて日本へ来たとか。ふ~~ん。やっぱりようわからん。それは自由意思であり、国からの支援を求めるのはむずかしいのでは?中国帰国者と特別な名前があるようだが、結局移民と同じじゃないの。。移民はねえ、どこの国でも大変だあ、とは自分のこと。(悲)一人の発表者のお母さんー残留日本人ーは中国人男性と結婚したが、一度も日本語を話そうとはしなかった、という。それだけ日本人であることを隠し、中国社会に同化しようとした人でも、結局60歳で日本に帰ってきた。で、その息子さんー発表者ーはお母さんに付き添って、39歳で日本に来た。なあんでえ、と疑問を感じる私。たった一度の人生、どんな形であろうとも、誰にも何も言えないのは当然だけど。。。。なあんか自分の人生と重ねて考えてしまい、憂鬱な気分になってしまった一日。
無事にお墓参りをすませた。親が二人おさまっているお寺のお墓である。私もいつか入る予定にしているところ。若いお坊さんは、私ががんばって90歳まで生きても、まだ50歳という若く一番脂が乗りきっているころ。50歳なら、まだまだ元気でお寺を継いでおられるだろうし、無事に納骨もやってくれるだろう、がんばって立派なお経をあげてくれるかな。。(笑)と、このごろは消えてしまった親のことより、自分の身の行く末を案じる気持ちのほうが強くなってきた。母親が亡くなって13年、父親は30年だが、13回忌やら何回忌やらというややこしい話はぶっとばして、年に一度のお墓参りが終わってほっとである。日本を離れる用意ができた。(笑)父親は蝶々になったと考えているが、今日、お墓でお焼香をしているときに、黄色い蝶々が私の頭の上を飛んだとか。父親が墓の下から訪ねてくれたのかもしれぬ。もうそれだけで十分。今日という一日に感謝。
今年の流行語に、「国宝、見た?」というのがあるそう。はい、見てきましたよ。(笑)行ったことのない映画館なもんだから、神戸駅で降りてからうろうろうろうろ。昔はこんなにビルが建ってなかったよな、で、いよいよ、わがふるさとでも知らないところが多くなってきた。きょろきょろして、ほとんど迷子になりかけである。やっと見つけた映画館。今や日本の映画館も、シアターが10個も集まってるし、大きなポップコーンも売ってるし、アメリカとまったく同じである。日本人も、映画を見ながら、ぼりぼりうるさくポップコーンを食べるのだろうか。アホハリウッドのアクション映画ならそれでいいが、やっぱりヨーロッパや日本のアート系の映画では食べてほしくないなあ。。切符は自分で器械で買わなければならないし、席を指定して、と大変大変。アメリカでは、まだ切符を出してくれる人間が働いてるよなあ。(笑)一つショックだったのは、シニアと言っても、証明書を見せてください、とは言われなかったこと。やっぱり、どう見ても60歳以上に見えるんだろうなあ。ちょっとショックだったけど、60どころか70だからなあ。(悲笑)シアターに入れるようになる前の待ち時間にうろうろしていたら、何とオードリーヘプバーンの写真がいっぱい売られているのを見つけてしまった。ええ、こんなところで出会うなんて、とうきうき。(笑)要するに、映画を見にくる観客に年寄りが多いということだろう。金曜日の午後だからねえ。若い人はヘプバーンを知らない。(悲笑)ヘプバーンの言葉を集めたミニカレンダーみたいなのが売られていたが、その中の一つにびっくりー「背は高すぎるし、首は長すぎるし、自分をきれいと思ったことはない。」わああ、すごい、これだ、と思った。私の「大きい女の存在証明」につながる、私とオードリーの秘密の絆(笑)確かにヘプバーンはそう言ったと信じたいけど、少なくとも英語でどう言ったかはわからず、日本語の翻訳だけでは当てにならないから、で、買うのはやめた。(笑)映画「国宝」はなかなか見ごたえのある映画だった。若い俳優が、よくあそこまで歌舞伎の動きをがんばったなあ、と思った。海外の映画祭に出品するのは正しいと思う。日本の美学が満載で、撮影も美しかった。内容的には、生を賭けたアーチストの生き様というよくあるテーマで、特に驚きはしなかった。芸以外はすべてを切り捨てるという覚悟ができるほど才能あふれた人は大変だなあ、が、凡人の感想。(笑)それは、先週見た「ピアノフォルテ」という、ショパンコンクールに出るピアニストたちを描いたドキュメンタリー映画も同じである。才能あふれる人は、生きるのが大変なのである。大変だけど、たとえ死が迫ろうとも、やらざるを得ないところまで追いつめていくのが才能が才能たるゆえんである。才能から逃げることはできない。でも、生きている人間はみんな、才能をもって生まれてきた、と思う。人間国宝にならなくてもいいし、メディアに追い回されなくてもいい、でもそれぞれに与えられた日常の時間で、自分の才能を発揮すべく、日々の仕事をていねいに、魂をこめてがんばればいい。それが生きる幸せだと思う。主人公の最後の言葉、「きれいだなあ」ーそう、私の「三位一体」につながっていくー美しいものは強い、強い者だけがほんとに優しくなれる。「きれいだなあ」と最後に言えたときからはじめて、人は強く、そして優しくなっていくのかも。それが、「生きる」の完成形だろうか。
きのうからそわそわしている。選挙である。アメリカの。(笑)ニューヨーク市長選挙とバージニアとニュージャージーの州知事選挙。日本のニュースでも、ニューヨークの市長選挙のことは流れている。インド人でイスラム教徒の候補者が、これまでは優勢と伝えられているが、選挙はあけてみないとわからない。日本のテレビは異色といった言葉を使っているが、確かにインド人でイスラム教徒というのは変わっているなあ。。そんなことはどうでもいいや。ただただ赤をぶっとばせ。(笑)ドカス大好きらしい日本のテレビは、ドカスの顔も流して、「共産主義だ」どうのこうの。お前、共産主義がどういうものかさっぱり知らんくせに、分かったような口きくな。どうせ、お前レベルのアホアメリカ人相手に、共産主義の脅威みたいなことを言えば、アホが喜ぶとでも思って言ってるだけだろう。Christian Socialismという考え方もあるんだ。キリスト教徒が迫害されている、と勝手にわめいて、アフリカの国に攻撃をしかけると脅す野蛮なやくざ野郎め、そんなにキリスト教が大事なら、Christian Socialismでも勉強してみろ、あっほ。インド人の候補者が当選したら、確かに現実的には軌道修正は求められるだろう。しかし、金持ちの税金を減らすーつまりドカス自身ーことばっかり考える人間を公職につけておくわけにはいかない、ということを、アホなアメリカ人たちは理解すべきなのである。あああ、今日はどんな日になるかなあ。。ちょっと心配。脳血管が切れませんように、まじで。(笑)
図書館での資料探しもほぼ終わり、生糸理解旅行も終わり、やっと友達に会えるようになった。サウスダコタ時代に出会った、30年来の友達と会ってきた。笑った、笑った。(笑)11時から1時半までの2時間半、同じレストランでしゃべりこみ、笑った、笑った。(笑)あれだけ話が上手で、心から笑わせてくれる人はほかにはいない。貴重な存在である。出会いに心から感謝!!!彼女と友達づきあいが続く限り、認知症にもならず、老人ホームにも入らずにすむと思う。(笑)それにしても、待ち合わせたレストランも貴重なレストランだった。ランチを注文すれば、ワイン飲み放題のサービスがついているのである。ワイン飲み放題!!!そんなレストラン、聞いたことがない。わざわざ、これはアルコール入りのワインですか、と聞いてしまった。ああ、年よりクサ。。。(笑)はい、そうです、の答え。若かったら、樽全部飲んでしまったかも。(笑)(昔、シンガポール航空かで、一人シンガポールへ行ったとき、機内でIrish Creamを飲んでいて、最後のほうは、あなたが全部飲んでしまいました、とか言われたことがある。ほんとかどうかは怪しい、と今ごろ気がついた。笑)レストランもほかのお客さんも、そして友達も、アメリカ仕込みの大声と笑い声をよくも2時間半も我慢してくれたものだ。アメリカに住んでいると、どうしても声が大きくなる。顔を寄せてのひそひそ話ができなくなる。人と人のあいだに空間が広がっているから。(笑)そういえば、だいぶ前に、アメリカ人女性と新幹線で九州旅行をしたとき、帰りの新幹線の中で、前に座っている日本人ビジネスマンが、何度も後ろを振り返って、何かを言いたそうだった。たぶん、もうちょっと静かにしてくれ、だったと思う。でも、私たちに何も言うことはなく、あきらめてしまった。顔を見て、あきらめられたからこそ、その男性の優しさというか、そのもやもやした気持ちが今だにひっかかっている。なあんか悪いことしたなあ、と。はい、これからは、ちょっとでも小声で話すように気をつけたいと思います!!!でも、友達といっしょだと、そんな気遣いもエネルギーの無駄使いに思えてくる。(笑)日本は確実に変化している、もう昭和の時代ではなくなったと、10歳若い友達が言った。老兵、消え去るのみ。でも消える前に、もうちょっと騒いておこう。(笑)どんなに嫌がられても、もう時間は限られているぞ。貴重な楽しい時間にただただ感謝。
寒くなってきた。この壁と柱のあいだがすきまだらけの家に外気がしのびこむようになり(時に、すきまから雑草の種も飛び込んでくるようだが、今回は、家の中で、もやしのような雑草を発見することはなかった。猛暑すぎて、雑草も伸びる元気がなかったみたい笑)、とうとう電気ストーブをつけた。いよいよアメリカに帰らねばならない季節到来。この家は寒い。何しか築71年だからねえ。。まだ雨漏りだけはないのが恩の字。雨漏りが始まり、工事が必要となれば、そのときは解体だあああ。築71年なんて、5分で終わるぞ。(笑)庭の金木犀が満開で、甘酸っぱい香りが素敵。この季節に来たからこそ味わえる幸せ。隣のもみじはまだまだ緑緑。日光のもみじは、今ごろまっかっかだろうか。明日は燃えるゴミの日だから、今から近くのファミリーマートに「どんべい」を買いに行って、食べたあと、雑草抜きをするつもり。こうやって、変わらぬ日々の時間がすぎていく。滞在が日常のひとこまと感じられるようになったとき、それは旅の終わりでもある。旅と日常のあいだを行ったり来たり。そんな贅沢が与えられていることに心から感謝。今日もいい一日でありますように。