枕元に置いてあるスマホのアラームが
鳴った。
朝が来たようだ。
手を伸ばしアラームを止めた。
むくりと起き上がり
厚手のパーカーを羽織ると
まっすぐ玄関に行き鍵を開けた。
一度ドアを開け冷たい空気を吸い込んだ。
そうしたら台所へ行き
やかんを火にかけた。
そして、戸棚からお椀二つと
インスタント味噌汁を取り出した。
寝ぼけ眼を擦り、
ぐぅ~っと背伸びをすると
それと同時にあくびが出た。
するとそのタイミングで
玄関チャイムが鳴った。
由依さんがドアを開け「おはよう」と
言いながら部屋に入ってきた。
僕は伸びをした状態で「おはよう」と
返した。
由依さんはソファーに腰掛けると
ランチバッグからおにぎりを取り出した。
「朝でも“ランチ”バッグなんだよね」
僕がそう言うと彼女は呆れた顔をした。
「なに朝からつまらないこと言ってるの。
親父ギャグが口をついて出てくるのは
脳の歯止が効かなくなってる
証拠みたいよ。詳しくは知らないけど」
「そうなの!?やばっ」
彼女を前にしてこれ以上
歯止めが効かなくなったら困る。
「まさか毎朝ランチバッグ見る度に
つまらないこと思ってたわけじゃ
ないわよね」
「まさか・・・今日はたまたま」
「ふ~ん」
由依さんは疑いの目で僕を見ていた。
毎朝のようにそう思ってました
なんて言えない。
僕は苦笑いしていた。
まったく彼女には敵わない。
味噌汁が入ったお椀を二つ持ち
僕は由依さんの隣に座った。
「いただきます」
二人揃ってほぼ同じタイミングで
味噌汁のお椀を持ち、
フゥフゥと熱々の汁に息を掛けた。
おにぎりと味噌汁が僕らの朝の定番。
いつも通りの朝。
これが僕らの日常。
でもほんの少し前までの朝は
サンドイッチとカップスープだった。
一時的だったけれどあの時は、
もう二度と由依さんのおにぎりを
食べることはないのだろう
なんて悲観に暮れた。
そして彼女をなるべく思い出さないように
味噌汁からカップスープに変えた。
土生さんが毎朝持ってきてくれた
サンドイッチは具が日替わりだった。
それはそれで美味しかった。
でも僕はやっぱり
由依さんの作るおにぎりがいい・・・
なんて思っていたら
実はあのサンドイッチ
由依さんが作って
土生さんに渡していたらしい。
誰かが何かしら食べ物を用意しないと
僕が朝食を抜くか味噌汁だけで済ます、
ということが
由依さんには目に見えていたようだ。
これから忙しくなるのに
粗末な食事をして倒れられては困る。
だからといって
土生さんにおにぎりを持たせたら
せっかく芝居を打ったのに
それがすぐにバレてしまうかもしれない。
それならばと
サンドイッチを作ることにしたらしい。
そんな手間を掛けてまで
芝居を打たなくてもよかったんじゃ・・・
なんて思いつつも
その手間を掛けてくれた事が
何だか無性に嬉しかった。
あの一時のお別れ期間も
彼女は僕の近くにいてくれた。
これって愛かな・・・
そう思えて何だか自然と顔がにやけた。
「朝から何にやけてんの?」
「ん・・あー・・・
やっぱおにぎり美味しいな、と」
「ふ~ん」
あ、また“ふ~ん”って。
僕はにやけ面を誤魔化すようにして
大口を開けておにぎりを頬張った。
すると由依さんが
思い出したように言った。
「あっそうだ。兄さんと姉さんが明日
晩ご飯食べにおいでって」
「明日クリスマスだよ、いいの」
「なんか大勢で食べたいみたい。
どうする?」
あの一件から土生さんとは
頻繁に顔を会わせている。
ご飯のお誘いが多く、
度々由依さんと一緒に土生さん宅に
お邪魔していた。
でもその都度、
「お兄ちゃんがダメなら、
いっそ、“義兄”さんっていうのは
どうかな」
なんて事を土生さんが言い出し、
わざわざ“義兄”という漢字を宙に書いて
みせたりする。
最近では、
土生さんの奥さん・みいちゃん・・・
じゃなくて美波さんまでも
「私の事は義姉さんって呼んでね」
と悪ノリしてくるものだから、
僕からしたらじわじわと
外堀を埋められている感覚だ。
土生さんの事を
本当の意味で“にいさん”と呼べる日が
来ることを心のどこかで願いつつも、
紙切れ一枚の事務的な関係を
結ばずとも、
ただ由依さんの側にいられるだけでいい
今はそんな気持ちの方が強かった。
「面倒だったらパスしてもいいのよ」
「ううん、行くよ!
せっかくのお誘いだし、
土生さんにも会いたいし」
「なんだかんだで兄さんのこと
好きだよね。
じゃあ行くって伝えておくから」
そう、
僕は土生さんが人として好きだった。
だからお誘いも別に嫌ではなく、
むしろ嬉しかった。
やはりこれはもう
義兄さんと呼ぶべきなのか・・・
いや、でも今はそれよりも
本日の予定の方が気になる
僕としては由依さんと
出掛けたいのだけど・・・
「あのさ、今日どうする?
仕事終わりにどこか行こっか」
「ん~、ケーキ食べれればいいかな」
「え・・イブだよ」
「うん。だからケーキ!」
え、何かこうもっとあるでしょ!
イルミネーションとか、
ロマンティックな感じのが!!
まったく色気ねーなぁ・・・
僕がそんな事を思っていると、
「今、コイツ色気ないなぁ
とか思ったでしょ」
「お・・思ってないよ、そんなこと」
「ウソ、顔に書いてる」
えっ・・見えんの!?
由依さんには本当に見えている気がして
僕は正直焦ってしまった。
「ホントわかり易いんだから」
彼女は笑いながらそう言ったあと
おにぎりを美味しそうに頬張った。
美味しそうに食事をする人を見るのは
それだけで気持ちがよかったりする。
ましてやそれが
心底大切だと思える人だと
愛しさが増々になる。
彼女が食事をする顔を
僕は延々と見ていられる自信があった。
「・・・食べづらいから
そんなに見ないでくれる」
どうやら僕は
彼女の事をガン見していたようだ。
「イブだからいいでしょ。
もう少しだけ」
「えーなんか鬱陶しい」
ごもっとも。
でもそんな事を言う彼女も
とても愛おしいと思えた。
僕のあまりの鬱陶しさに
そっぽを向いていた由依さんが
思い出したように言った。
「あのさ前から聞こうと
思ってたんだけど
あのクリスマスカード
お気に入りなの?」
彼女はベッド脇にある
コルクボードを指さした。
「そうじゃないけど、
なんか捨てられなくて」
経年劣化して綺麗とは言い難い
クリスマスカードを
僕はずっと取ってある。
すると由依さんが、
「私、色違い持ってるんだけど
覚えてる」
と言い僕の方に顔を向けた。
「え、あのカードって
由依さんからもらったんだっけ」
「惜しい!私はアンタに渡しただけ」
渡しただけ・・・じゃあ誰がくれたんだ?
小さい頃の僕に
カードをくれそうな人・・・
思い当たる人物は
一人しかいなかった。
「もしかして土生さん?」
「そう!本当に覚えてないの」
「ごめん、覚えてないや」
何故か捨てられずに
ずっと手元に残しておいた
クリスマスカード。
それは僕と由依さんがまだ幼かった頃
土生さんがアメリカから贈ってくれた物
だった。
ピンを外しカードの裏を見てみた。
すると何やら小さく書いてあった。
“Promise me”
ん?
“約束して”って何を?
僕の隣に来てカードを覗き込んできた
由依さんが言った。
「これなんじゃない。
兄さんがアメリカに行く前に
アンタとした約束って」
僕は幼い頃に土生さんと
何かを約束していた。
この前の一件でその事を知った。
けれど僕はその約束を
まったく覚えていない。
土生さんは約束の中身までは
言わなかった。
一体どんな約束をしたのだろう?
「やっぱ思い出せないや」
「気になるなら
明日、兄さんに聞いてみたら」
幼い頃の約束だけど
なんとなく気になっている。
全然思い出せないし、
もう聞いた方が早いよな・・・
「うん、明日聞いてみるよ」
そう言ってふと壁掛け時計に目をやると
いつもならとっくに一階の事務所にいる
時間になっていた。
僕達は慌てて片付けをし
一階に駆け下りた。
すると事務所の時計は
僕の部屋の時計より20分遅れていた。
スマホで時間を確認すると
どうも事務所の時計が正しいようだ。
二階に戻って
もう一度壁掛け時計を見ると
秒針が止まっていた。
由依さんと顔を見合わせると
二人してため息をついていた。
少しだけ慌ただしい
そんなクリスマス・イブの朝だった。
ため息をつくと幸せが逃げるって
誰が最初に言ったんだろうか。
ため息で幸せが逃げていくなら、
あくびで戻ってくるような気もする。
幸せはため息の数で図れるものではない。
心が決めることだ。
それでも大切な人がため息をつくと
その数を減らしてあげたくなる。
けれどため息の減らし方なんて
本当にあるのだろうか。
減らし方を考えて
ため息が出るようじゃ
元も子もない。
それならいっそ
大切な人の側にいてその人を
ため息ごと愛せばいい。
とまあ、そういう事っていうのは
言うは易しだ。
実際ため息を愛するのは難しい。
では、どうすればいいのか・・・
結局そんな事を考えても
終いにはあくびが出るだけだ。
ホントあくびでため息が
相殺できたらいいのに。
あ・・・そういえば
これは噂なのだけど、
あくびには稀に
相性のいい相手を引き寄せる
引力のような効果があるらしい。
あくまでも噂だ・・・
とある公園に背の高い少年と女の子、
そして小さな男の子がいた。
男の子は泣きじゃくり、
少年がそれを優しく宥めていた。
少年が男の子の頭を撫でると
ようやく男の子は笑顔を見せた。
小さな手で涙を拭った男の子は
少年に向かってこう言った。
「おにいちゃん
ぼく、おおきくなったら
ゆいちゃんのこと
およめさんにする」
少年は笑顔でこう応えた。
「そうなったら嬉しいな。
じゃあ、おにいちゃんと
約束してくれる。
大きくなったら由依に
ちゃんとプロポーズするって」
男の子は力強く頷くと
少年と指切りをした。
女の子はというと、
そんな二人を見ながら
小さな口を開けてあくびをしていた。
ちなみに、
泣きじゃくっていた男の子は成長すると
この約束の事はすっかり忘れてしまう。
そんな彼がこの約束の中身を
知ることになるのは
約束から二十年程経った
クリスマスの夜だった。
ーーーーーーーおしまいーーーーーーー
「ため息とあくび」をお読みくださり
ありがとうございました。
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