その日もボクは退屈で眠かった。
変わらない景色に囲まれ、
変わらない音を聞いていた。
やんわりとした日差しが
余計に眠気を誘った。
誰かがやって来た。
また冷やかしかな?
向かいにいるヤツと目があった。
そいつはボクに何か言いたげだった。
だけどボクは眠気に負けた。
話し声が聞こえたけれど、
それもボクには眠りへと誘う
BGMでしかなかった。
優しい声が聞こえた。
温もりを感じた。
普段とは違う穏やかな揺れを感じた。
なんだかいい香りがして目が覚めた。
景色が変わっていた。
眠りに落ちる前までいた
ボクの部屋ではなかった。
ふかふかの布団。
ピカピカの床。
ふわふわとしたほのかな香り。
パタパタと音が聞こえた。
見上げると
見たこともないお姉さんがいた。
お姉さんは優しく柔らかい声で
ボクにこう言った。
「おはよう、お寝坊さん。
今日からわたしが君の飼い主です。
よろしくね」
おねぼうさん?
何だそれ?
お姉さんはボクを抱き上げると
指の腹で優しく撫でてくれた。
気持ちが良かった。
お姉さんはボクを撫でながら
独り言を言った。
「名前どうしようなかぁ・・・」
名前・・・
名前って、あの名前?
飼ってくれるご主人がいると
付けてもらえるというアレのこと?
お姉さんはボクの目を見つめながら
考えていた。
「ん~・・・鉄・・小鉄・・・・・
あっ!テチ。テチはどうかな?」
お姉さんはそう言うと
ボクを目線の高さまで持ち上げた。
お姉さんの目はくりくりと大きく
吸い込まれそうなくらい綺麗だった。
テチ・・・
何をもってテチ?
でもボクの心はウキウキしてた。
ボクはテチ。
うん、いい名前じゃないか。
ボクはこのお姉さんに飼ってもらえる。
お姉さんがボクのご主人なんだ。
なんだか嬉しくなった。
嬉しさのあまり鳴いていた。
するとご主人は、
「よし!じゃあ、君はテチで決まり!」
そう言ってボクに頬を寄せた。
ご主人は人間の言葉を話せないボクに
律儀に自己紹介をしてくれた。
名前はネルと言った。
ご主人だから、ここはやはり
“さん”付けで呼ぶべきかな。
ボクはご主人のことを
ネルさんと呼ぶことにした。
ネルさんはボクが住んでいた家の前まで
何度も足を運んでくれていたらしい。
気がつかなかった。
でも目を覚ますと
時々いい香りがしていた。
気持ちが落ち着くいい香り。
あの香りはどうやら
ネルさんの香りだったようだ。
ネルさんの香りに包まれたら
ボクはまた眠たくなってきた。
退屈だからじゃない、安心するからだ。
ボクはたぶん猫ってやつだ。
自分がどこで生まれたのか知らない。
ボクの前の家は
仮住まいのようなものだった。
狭くてけして居心地がいいとは言えない。
冷やかしが多く、
興味本位で抱っこする人もいた。
本当の家にはいつ行けるんだろう
と思っていた。
おしゃべりなインコが言っていた。
一生仮住まいに押し込まれたまま、とか
大きくなったら処分される、とか。
そんな話を聞いた後は
いつも漠然とした不安に襲われた。
ボクの周りには
野生になりたいというヤツもいた。
野生は自由だと言っていた。
閉じ込められずのびのび過ごせる。
ボクも野生に憧れた。
でも年上からは
ボクらに野生は無理だと言われた。
生まれた時から野生じゃないと
生きていけないと言われた。
外の世界には恐ろしい生き物が
うじゃうじゃいて、
そいつらがボクらをエサにするらしい。
怖いと思った。不安になった。
エサになんかなりたくない。
だからボクは我慢した。
狭い家で我慢した。
冷やかしに我慢した。
我慢すると不安が増していった。
でも今はもう違う。
ボクには名前をつけてくれる
ご主人がいる。
優しくて、いい香りのするご主人
ネルさん。
ボクを不安から救ってくれた人。
ボクはボクが幸せな猫だと思った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
ネルさんはボクとよく遊んでくれる。
でもボクはオモチャが気になって
ボクだけで遊んでしまうことがある。
そんな時、ネルさんは怒ったりしない。
だから甘えてしまう。
さっきも甘えていたら
ネルさんは抱っこしてくれた。
そしていつもとは違う部屋に
ボクを連れて行ってくれた。
そこでボクは不思議なモノを見た。
ネルさんが二人いた。
壁の向こうにもう一人のネルさんがいた。
もう一人のネルさんは
ネルさんの動きを真似していた。
そっくりに動いていた。
もう一人のネルさんも
腕に何か抱いていた。
そいつはボクの動きを真似した。
なんか嫌だった。
だからボクはなるべく
ヤツを見ないことにした。
ボクはそっぽを向いた。
するとネルさんは
ボクを気持ちのいいお湯に入れて
洗ってくれた。
嫌な気分はすぐに吹き飛んだ。
その部屋を後にする時、
もう一人のネルさんは
ボクに背中を向けていた。
でも、そのネルさんに
抱っこされてるヤツが
ネルさんの肩越しにボクを見ていた。
ボクはヤツを威嚇した。
そうしたらヤツも威嚇していた。
ヤツは猫じゃない。
ボクとは違う生き物だ。
唸り声を上げると
ネルさんが心配そうにボクを見た。
ネルさんを心配させてしまった。
申し訳ないと思った。
ごめんなさい、ネルさん。
ヤツがボクの真似をするのが嫌なんです。
ボクはヤツをひと睨みした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
ある日、
ネルさんのお友だちが遊びに来た。
その人はネルさんとはまた違う感じの
いい香りがした。
ネルさんがリッチャンと呼んでいたから
ボクはその人をリッちゃんさん
と呼ぶことにした。
リッチャンさんは
ボクにお土産と言う名の
オモチャをくれた。
ボクはそのオモチャで遊びたかった。
だけど、リッチャンさんは
ご主人であるネルさんの
大切なお友だちだ。
ボクだってちゃんと
おもてなししなければ。
だから、頑張っておとなしくした。
リッチャンさんがボクに触れてきた。
嫌な気持ちにはならなかった。
ボクの本能が
この人は大丈夫だと言っていた。
リッチャンさんの膝の上も悪くなかった。
優しく背中を撫でられて心地よかった。
ボクはおもてなしの途中で眠たくなった。
だから今日はリッチャンさんの膝の上で
お昼寝をした。
目を覚ますと、
ネルさんとリッチャンさんは
話しに夢中になっていた。
ボクはまたおもてなしに戻った。
でもだんだん退屈になった。
退屈になったら
無性にオモチャで遊びたくなった。
気がつくとボクは吸い寄せられるように
オモチャに近づいていた。
おもてなしをするはずだったのに、
つい遊んでしまった。
そんなボクを見て
リッチャンさんが言った。
「なんか猫みたい・・・カワイィ」
するとネルさんが
「カワイイでしょ!
ツンデレじゃないけど、
チョット似てるのかな・・猫に」
と言った。
そう、ボクはカワイイ!
いや、そうじゃない・・・
ん!?
いやいや、そうなんだと思うけど、
今は“カワイイ”が論点じゃない。
ボクは二人の言葉を聞き逃さなかった。
猫“みたい”・・・
“似てる”のかな・・猫に・・・
それって、どういうこと・・・?
ボク、猫だよね・・・
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中編へつづく
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