バスを降りるとすでに夕方だった。


疲れからか思わずため息をついていた。

由依さんも何だか少し眠そうだ。



昨日、一昨日は天気が荒れていた。

警報級の暴風雨というやつだった。

そのせいで線路の数ヵ所に倒木があり、
電車のダイヤが変更になった。

当初予定していた時刻より
だいぶ遅い到着になってしまった。



各駅停車を乗り継ぎ、そこからさらに
バスに揺られること一時間、
ようやく阿多羅布(あたらっぷ)村に
着いた。


バスの始発終点は村役場前のようだ。

一日のバスの本数は少なく、
片手で足りるほどしかない。

今日中に到着できただけでも
よしとしなければ。





阿多羅布村役場の前には
よく手入れがされた花壇があり
鮮やかな花が植えられていた。

由依さん曰く、
ポピーという花らしい。

さすが花栽培の盛んな村
といった感じで、花壇の規模が違った。

無数のポピーで埋め尽くされていて
壮観だった。



村役場のすぐ隣には小学校があった。

映画の舞台にでもなりそうな
趣のある木造の平屋校舎だった。

この小学校も花に囲まれていた。


校庭では数人の子供が
サッカーをしていた。

夕日に子供たちの無邪気な笑顔が映えて
眩しかった。





ここから宿泊先である
阿多羅布温泉旅館までは
徒歩で行かなければならない。

旅館のホームページでは
村役場から徒歩五分とあったが、
その圏内に旅館があるようには
思えなかった。

その代わり進行方向には一面に
花畑が広がっていた。



僕と由依さんは長閑な道を
テクテク歩いた。

コンビニは見当たらない、
信号機すらない道だった。

風がそよぐと花の甘い香りが
ふんわりと通り過ぎて行った。



僕らには、
この村の光景は非日常だった。

ここではまるで
時間の概念が違うかのような景色が
広がっていた。


たまにはこういうのも悪くないと思えた。



しかし、それも束の間だった。



五分以上歩いても旅館が見えてこない。


日はどんどん傾き
辺りは薄暗くなってきていた。


自転車に乗った子供たちが
僕らを追い越していった。


周辺に街灯なんて物はなかった。


僕らは早足になっていた。

このままでは
暗闇を歩かなければならなくなる。

スマホを握りしめ、
いつでもモバイルライトを
起動できるようにした。



そうして十五分ほど歩いた頃に
ようやく阿多羅布温泉旅館の看板が
見えた。



そんな時、由依さんが


「あ・・・」


と言い僕を見た。


あまりに、
じーっと見るものだから僕は


「え?」 


としか言えなかった。



一文字の会話。



僕らはたぶん相当疲れている。

次の言葉がなかなか出てこない。


結局この状態のまま歩き続け
旅館の前まで来ていた。





旅館は良くも悪くも
昔ながらといった感じの外観だった。

しかし、思っていたよりも大きく
奥行きのある建物に見えた。


玄関口まで行くと
そこで由依さんが口を開いた。



「平手、部屋ね・・
    二人で一部屋だから・・・」


「そうなんだぁ」










ん・・・





えっ!?





「いま何て言った?」


「ん・・だから、二人で一部屋」



ええっ!?


え、いいの・・・?


えっ、嬉しいんだけど!!



“え”ばかりを連発し
僕のテンションは明らかに上がっていた。

けれど、由依さんのテンションは
駄々下がりに見えた。



一緒は嫌ですか・・・



僕、変な気なんて起こさないから


たぶん・・・





由依さんは軽くため息をつきながら
先に旅館に入って行った。

僕はその後をちょこちょこと
着いていった。


フロントでチェックインする際、
由依さんは一部屋空きがないか
確認していた。

けれど、どうやら今日は満室らしかった。


僕は心の中でガッツポーズをとっていた。


仕事で来ているのに些か
ふしだらな想像をしてしまった。

ついさっき“変な気なんて起こさない”
なんて思っておきながら
自分の口許が
だらしなく緩んでいるのがわかった。


数回深呼吸をした。


依頼人である理佐さんの顔が浮かんだ。


僕は仕事でここに来たんだ。

あぶない、あぶない。

完全に非日常に浸るところだった。


こんなんじゃ理佐さんに申し訳ない。

そう思い直し反省した。





でも、でもだ・・・


この絶好の機会を
みすみす逃していいものだろうか?


そんな事を考えている自分がいるのも
確かだった。










部屋に着き荷物を下ろすと
僕らは畳に座り込んだ。

泊まり掛けの仕事が久しぶり過ぎて、
移動がこんなに疲れるものだということを
忘れていた。


お茶を淹れ、茶菓子の温泉饅頭を食べた。

饅頭は薄皮で小さめのサイズだけど
真ん中に栗が丸々ひとつ入っていた。



「これ美味しい」


由依さんはそう言うと
ようやく笑顔を見せてくれた。


旅館到着時の温度差のままだったら
どうしようかと思ったが
要らぬ心配だったようだ。

そこはやはり
幼馴染みという不思議な関係が
成せる技なのだろうか。





僕らは一息つくと
タオルと浴衣を手に温泉へと繰り出した。

夕食まではまだ少し間があったから、
それまでは自由時間ということにした。

何だか修学旅行みたいだ。



僕は一風呂浴びたあと、
マッサージチェアに腰掛けた。

体の凝りも心の凝りもほぐれていくような
気持ち良さだった。



賑やかな声が聞こえた。

大学生くらいに見える女性のグループが
卓球をしていた。



ぶらぶらラウンジの前を通ると
今度は男女混合のグループが
楽しそうに話をしていた。



部屋に戻る時には
年齢層がバラバラに見えるグループと
すれ違った。



なんでこんなに人がいるんだ?


この人里離れた村に
みんな何しに来るんだ?


そんな疑問が生じるくらい
この旅館は賑わっていた。





部屋に入ると
由依さんはまだ戻ってきていなかった。


荷物の整理をしていると
部屋をノックする音がした。

返事をすると、
法被を羽織り丸眼鏡を掛けた
初老の男性がにこやかに入ってきた。



「失礼いたします。
    少し早いのですが
    お布団を敷きに参りました」



男性はこの温泉旅館の番頭だという。

ネームプレートを見ると
“法螺井瑞”とあった。

“ほらいずい”とでも読むのだろうか?

珍しい苗字だ。


番頭さんは手早くテーブルや
座布団を寄せると、
押し入れを開け布団を敷き始めた。



「普段ならお客様が
   大広間でお食事されている際に
   お部屋に伺っているのですが・・・」


番頭さんはそう言ったあと
敷布団を二組一気に持ち上げた。

そして畳の床に下ろすと話を続けた。


「最近アニメの影響で聖地巡礼に
    来られるお客様が増えてまして、
    大変喜ばしいことなのですけれど、
    私どもの旅館は村で唯一の宿泊施設な
    ものですから人手が足りなくて
    この様な次第でございます」



ああ、そういうことか!


それなら満室になるのも納得がいく。

志田さんの旅行誌の仕事というのも
たぶん聖地巡礼の特集なのかもしれない。





番頭さん曰く、
この阿多羅布村の景観は
とある漫画が原作のアニメと
そっくりらしい。

SNSでの投稿や原作者のペンネームが
“あたらっぷ”だということがきっかけで
一部のファンが押し寄せるように
なったのだとか。



「実際この村がモデルなんですか?」


僕がそう聞くと番頭さんは首を傾げた。


「どうなんでしょう、
    私は存じ上げません。
    原作者にしかわからないことですから」


確かにそうだ。


「でもそうですね・・・小学校とか、
    旅館の先にある和菓子屋とか、
    翠の道とかは本当にそっくりですね」


番頭さんは話をしながらも
手際よくシーツを掛けた。



「お客様は聖地巡礼という感じでは
    なさそうですね、
    もしかしたら新婚旅行ですか」


何でそうなる!


「違いますよ、仕事です」


僕は否定した。


悪いがいくらなんでも
新婚旅行にここは選ばない。

どうすればそんな発想ができるんだ?



「あ、お仕事ですか、
    これは失礼いたしました。
    お連れ様と同室なので
    てっきりご旅行なのかと」


端から見たらそう見えても仕方ない。


「ではあのお綺麗な方とは
    同じ職場なんですね、羨ましい」


ええ、二人“しか”いない職場ですよ。


僕は作り笑いをした。

すると番頭さんは
プライスレスな笑顔を僕に向けて言った。


「はい、これで完了いたしました。
    今夜、頑張ってください」



え、何を?



何を頑張るわけ?



僕が聞き返せないでいると、
番頭さんは澄ました顔でさらりと言った。



「私どもの旅館は安普請では
    ございませんので多少のお声なら
    響いたりいたしません。
    ご安心ください」



おい、何か勘違いしてないか。



番頭さんが敷いてくれた布団は
ピッタリと二組くっついていた。



この、エロ眼鏡!?



「それでは失礼いたします」


エロ眼鏡は澄ました笑顔のまま
部屋から出ていった。


すると入れ替りで由依さんが温泉から
戻ってきた。 


浴衣を着て髪をアップにした彼女は
妙に色っぽく見えた。

普段は見ることのない
白いうなじにやたらとそそられた。


僕は生唾を飲み込んでいた。


由依さんはというと、
部屋の状況を確認するなり
無言で二組の布団を離した。


そしてテーブルを引っ張ってきて
間に入れバリケードを築いた。



「これでよしっ!アンタそっちね」


由依さんが指差した僕の寝床は
テーブルが迫っていて明らかに狭かった。

何か言おうものなら
寝床がもっと狭くなりそうなので
僕は何も言わずおとなしく頷いた。



「じゃあ大広間に行こっ!
    ごはん、ごはん!! 
    腹が減っては何とやらでしょ。
    明日からの捜索に備えて
    今日は食べるぞ~」


由依さんはそう言うとニコリとした。


「うん、そうしよ。
    ここからは体力勝負だし、
    よし、行こうか。
    何だろうねぇ、鍋とかかなぁ・・・」


僕は膨れ上がっていた下心を
頭の隅に押しやった。



今日はお酒を飲むのは止めておこう。


すぐ近くに由依さんが寝ていたんじゃ
理性を失いかけない。

何より今は彼女の笑顔を優先した方が
身のためだ。


でも、今夜の僕は
たぶん生殺し状態なのだろう。

布団に入り悶々としている
自分の姿を想像したら
なんだか滑稽で可笑しくなった。





では、ごはんを食べに
ちょっと大広間まで行ってきます。





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