とても穏やかな朝だった。
風がそよぎ、花が揺れる。
車のエンジン音や
機械音なんかは聞こえない。
代わりに鳥のさえずりが
はっきりと聞こえた。
時間に追われるように歩く人はおらず、
シルバーカーを押した老人が
ゆったりと歩いていた。
その老人が“おはよう”と挨拶してきたので
僕と由依さんも挨拶を返した。
これが仕事ではなく
旅行だったらどんなによかったか。
この澄んだ空気、長閑な風景。
命の洗濯をするには
持って来いの場所じゃないか。
昨夜は即席バリケードが張られた部屋で
生殺しの気分を味わうのかと思っていた。
しかし、全然そんなことはなかった。
疲れていたせいもあって、
食後部屋に戻ると
すぐに眠気が襲ってきた。
由依さんがもう一度温泉に行ったのも
知らずに僕は爆睡していた。
由依さん曰く、
ほぼ気絶しているかのように
寝ていたという。
まあ、気は失ったが理性は失わなかった
というだけ良しとしよう。
稀に疲れが吉と出ることもあるようだ。
お陰で今朝はスッキリと目覚められた。
今、僕と由依さんは
阿多羅布(あたらっぷ)村役場に
向かっている。
一面に花畑が広がっている長閑な田舎。
しかし、
こういう田舎ほど噂が広まるのが早い。
探偵です、なんてうっかり口に出したら
きっと好奇の目で見られてしまうだろう。
そうなると村をウロウロしずらくなる。
だから、
今の僕らは旅行誌のライターと
カメラマンという設定だ。
つまり、志田さんの同僚を装い
彼を探しに来たことにしている。
実際探しているのだから
全てが偽りではない。
僕は一眼レフカメラを首から下げ、
カメラバッグを肩に掛けている。
僕らの仕事はカメラが必需品だ。
でも、普段はあまり
一眼レフは使用しない。
コンパクトデジカメを
使用する事の方が断然多い。
ペット捜索の場合、
機動性を重視すると一眼レフは
邪魔になる。
素行調査や浮気調査なんかでも、
確実にいつも車内から撮影出来るとは
限らない。
自分の足を使わなければならない事を
想定すると、やはり荷物は軽い方がいい。
久しぶりに一眼レフを構え
ファインダーを覗いてみた。
どこを切り取っても
この村の風景は絵になると感じた。
志田さんもこんな風に
ここでファインダーを覗いていたのかも
しれない。
彼は一体どこへ行ってしまったんだろう?
カメラを由依さんに向けた。
仕事モードに入った彼女は
とても凛として見えた。
綺麗だと思った。
僕は思わずシャッターを切った。
「ちょっと、遊ばないの」
由依さんに叱られた。
だから僕は、
「遊んでないよ、練習してんの」
と、子供みたいな言い訳をして誤魔化し、
周辺の花畑も撮影した。
ポピーの花が無数に咲いていた。
昨日、由依さんが教えてくれるまで
ポピーなんて知らなかった。
彼女が側にいるだけで
彩りが豊かになっていく気がした。
そうして歩いていたら村役場に着いた。
依頼人の理佐さんのスマホには、
確かにこの村役場からの着信があった。
理佐さんが言うには、
村役場に電話をした時
電話に出たのは男性で、
その人に志田さんのことを尋ねると、
急に早口になり
早々に電話を切られてしまった、という。
でもこれは、
あくまでも理佐さんの主観なので
鵜呑みには出来ない。
僕らはまだ理佐さんからしか
話を聞いていない。
だから確認しなければいけない。
それが理佐さんの主観が色濃く反映されたものだったのか、
それとも村役場の人が
何らかの事情を知っていて動揺したのか、
はたまた電話応対業務に不慣れな人が
対応を誤っただけなのか・・・
阿多羅布村役場に入ると
役場の人はすぐに声を掛けてくれた。
たぶん聖地巡礼の観光客だと
思われているのだろう。
由依さんが偽の名刺を出し
電話の件と志田さんを知っているかを
尋ねた。
すると応対してくれた
女性職員の表情が一瞬曇った。
何か知っているのかもしれない。
女性職員は一人の男性職員に声を掛けた。
その男性はかなりの猫背で
気が弱そうに見えた。
職員二人のネームホルダーを見ると
女性の名前は江井(えい)、
男性の名前は尾井(びい)とあった。
二人には失礼かもしれないが面倒なので
ここからは、AさんとBさん
ということにする。
Bさんは僕らの所に来ると、
あの日の電話に出たのは自分だと言った。
そして、二週間程前に村役場に来た
志田さんの応対をしたという。
志田さんは村役場の二階から
花畑の写真を撮ることは可能か、
と尋ねてきたらしい。
その時に志田さんが渡したという名刺を
見せてくれた。
確かに志田さんの名刺だった。
僕らは理佐さんから
これと同じ名刺を借りて
偽の名刺を作っていた。
志田さんは間違いなく
この村に来ているようだ。
理佐さんが掛けた電話を
どうして切ったのかとBさんに聞くと、
「行方不明になったと聞いて
動揺してしまいました・・・」
と応え俯いてしまった。
Bさんの表情は硬く、
もうこれ以上は話したくない
といった空気を醸し出していた。
他の職員にも
志田さんを知らないか尋ねたが
みんな一様に首を横に振った。
これ以上は何も聞き出せないと判断し
僕らは礼を言うと村役場をあとにした・・・
と見せかけて、実は今
村役場の様子を伺っている。
村役場の隣にある小学校の校庭には
ちょうど木陰があった。
僕らはその木陰に隠れていた。
村役場のAさんは
僕らが出ていったのを確認すると、
どこかに電話を掛けた。
誰に何の電話をしたのだろう?
Bさんはというと何やら他の職員と
ヒソヒソ話しているように見えた。
どこか怪しい。
それに一番引っ掛かったのは
Bさんの言葉だ。
誰もBさんに対して
志田さんが行方不明だなんて
話していない。
理佐さんは電話で
志田さんの名前を出しただけだし、
由依さんは
志田さんを知っているか尋ねただけだ。
なのに何で行方不明になったと
思ったのだろう?
何か知っているか、
隠していることがあるのではないか。
今後、村役場の人間には
注意した方がよさそうだ。
そんな会話を由依さんとしていたら、
小学校のチャイムが鳴った。
すると子供たちが校庭に駆け出してきた。
休み時間のようだ。
向かい合って並んだ子供たちは
元気に歌い出し古風な遊びを始めた。
♪勝って嬉しい花いちもんめ
♪負けて悔しい花いちもんめ
♪お山の鬼さんちょっとおいで
♪人がいるからよういかん
♪角を隠してちょっとおいで
♪それでも怖くてよういかん
♪あの子が欲しい
♪あの子じゃわからん
♪その子が欲しい
♪その子じゃわからん
♪相談しましょ
♪そうしましょ
これは、
“花いちもんめ”というやつだろう。
僕はこの遊びはしたことがない。
だけど歌だけは何となく知っていた。
由依さんは、
「この歌なんか違和感ない?」
と首を傾げていた。
僕らが花いちもんめをする
子供たちの様子を見ていると
教員らしき人がこちらに向かい
歩いてきた。
昨今なにかと物騒だ、
勝手に校庭に入ったのは
マズかったかもしれない。
すると女性教員は、
「この村の花いちもんめは
珍しいですよね」
と話し掛けてきた。
彼女は阿多羅布村小学校の教員で
椎名(しいな)さんといった。
先程、AさんBさんと続いたので
椎名先生には申し訳ないが
Cさんということにする。
Cさんはこの村の出身ではないという。
自身の地元で歌われている花いちもんめを
歌ってみせた。
「♪勝って嬉しい花いちもんめ
♪負けて悔しい花いちもんめ
♪隣のおばさんちょっとおいで
♪鬼がいるからよういかん
♪お釜を被ってちょっとおいで
♪それでも怖くてよういかん ~」
その花いちもんめを聞いた由依さんが、
「あっ、違和感の理由がわかりました」
とCさんに言った。
Cさんも
「ねぇ、ちょっと変わってますよね」
と言い由依さんと二人だけで
盛り上がっていた。
僕には何がどう変わった歌なのか
さっぱりわからなかった。
そんな僕を見てCさんが言った。
「花いちもんめって地域によって
歌詞が違ったりするんですけど、
この村の歌は鬼の視点が
含まれているんですよ」
Cさんは今度は両方の歌を歌ってくれた。
それでようやく僕も
ハッキリした違いがわかった。
♪勝って嬉しい花いちもんめ
♪負けて悔しい花いちもんめ
に続く歌詞が
Cさんの地元では
♪隣のおばさんちょっとおいで
♪鬼がいるからよういかん
♪お釜を被ってちょっとおいで
♪それでも怖くてよういかん ~
と、人の視点からの歌であるのに対して
この村では、
♪お山の鬼さんちょっとおいで
♪人がいるからよういかん
♪角を隠してちょっとおいで
♪それでも怖くてよういかん~
と確かに鬼の視点が含まれていた。
この花いちもんめ、
実は人身売買を花の売り買いに見立てた
かなり恐ろしい歌らしい。
Cさんは伝承遊びや童歌に
興味があるようで、
童歌の中には意味深長な歌詞のものが
それなりに存在することを教えてくれた。
この村の花いちもんめも
何かの戒めや警告を意味しているのでは
とCさんは考えたようだ。
そこで村のことに詳しい
阿多羅布温泉旅館の番頭さんに
話を聞いてみたという。
番頭さんとは、
あのエロ眼鏡のことだ。
番頭さんの話では、
旅館から南へ1㎞程の所に
“翠の道”という竹林に囲まれた道が
あるという。
その道を奥まで進むと山に突き当たる。
その山にはツキノワグマにしては
やたらと大きな熊がいて、
その熊の巣穴があるそうだ。
なので、この村の花いちもんめは、
子供たちを熊の巣穴に近づけないように
するための警告の歌として歌い継がれて
いるという。
つまり、歌詞にある
“お山の鬼さん”とは熊のことで、
熊の生活圏に立ち入ってはいけない
という意味合いがあるのだろう。
Cさんは時計を気にしながら話を続けた。
この村の小学校の教員は
全員よその地域から来た人だという。
「村の皆さんは優しくて
本当に良くしてくださるんですけど、
たまに妙に距離を感じてしまって・・・
子供たちだけではなく、
私たち教員のことも絶対に翠の道には
近づけようとしないんです。
危険なのはその奥にある山であって
翠の道ではないはずなんですけれど・・」
そう言うとCさんは
少し声のトーンを下げ小声で言った。
「何となく・・・
何となくなんですけれど、
この村の人たち、
何か隠している気がするんです・・・・・」
Cさんがそこまで話すと
休み時間終了のチャイムが鳴った。
子供たちが
「せんせー」とCさんを呼んだ。
「あ、すみませんこんなに長々と。
勘繰るなんて悪い癖ですね。
お二人がどこか探偵に見えて、
この村のことを探りに来たのかなと・・
それでつい話したくなって
しまいました。
探偵なわけないですよね、
本当にすいません」
Cさんは恐縮しながら僕らを見た。
この人、勘が鋭すぎる・・・
僕と由依さんは思わず顔を見合わせた。
「いえいえ、
お気になさらないでください。
一応ライターの端くれなので
今のお話興味深かったです」
由依さんはそう言うと
ニコッと微笑んだ。
「お話できてよかったです。
ご旅行楽しんでいってください」
そう言うとCさんは
生徒の所に走って行った。
あくまでもCさんの臆測に過ぎない。
しかし、この阿多羅布村には
部外者には知られたくない秘密が
あるのかも知れない。
ただ漠然とそう思った。
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