温泉にマッサージチェアを置く。
このことを思い付いた人は、たぶん
軍師だったのではないか。
温泉に浸かるだけでも非日常なのに、
その後に肩から足先まで揉みほぐされたら
人間ダメになる。
その隙をついて奇襲をかけたら
相手を全滅させることができる
かもしれない・・・
そんなくだらないことを考えながら
僕はマッサージチェアに身を委ねていた。
あれから僕らは村の北側に行ってみた。
そこには花栽培用のビニールハウスが
何棟も整然と建ち並んでいた。
花農家の方々に
志田さんの事を聞いて回った。
けれど特に有力な情報は得られなかった。
今日の収穫は二つ。
一つは、
村役場の人が志田さんが行方不明に
なっている事を知っていた事。
まだ公になっているわけではないのに、
なぜ知っていたのか?
もう一つは、
この村には何か知られたくない秘密が
あるかもしれない事。
この、もう一つの方は臆測でしかない。
けれど、
この二つに繋がりを持たせると・・・
村役場主体で
若しくは村ぐるみで隠していた秘密を
志田さんが知ってしまった。
そして、
それが原因で行方不明になった・・・
そんなことが考えられる。
そうなると、もう事件の匂いしかしない。
いや、考えすぎか?
だってまだ何の証拠もない。
でも、可能性はゼロではない・・・
嗚呼、せっかく温泉に浸かって
マッサージチェアに座っているのに
憂鬱な気分になってきた。
できれば、
くだらない妄想だけしていたかった。
え、生きてるよね・・・
事件性ありなのかぁ!?
僕は負のイメージしか
連想できなくなっていた。
「ねぇ、ちょっと・・・平手」
僕のネガティブな思考に
由依さんの声が割り込んできた。
「心ここにあらずって顔してるわよ。
まさか縁起でもないこと
考えてたんじゃないでしょうね」
さすが由依さん、お見通しだ。
その、まさか、です・・・
「生きててほしいなと・・・」
僕がそう言うと、
由依さんは正面を真っ直ぐ見つめて
言った。
「生きててくれなきゃ困る」
場違いなくらい空気が張り詰めていた。
すると突如、
そんな空気なんて関係ない、と
言わんばかりの歓声が聞こえた。
卓球台の方からだった。
立ち上がり体をひねって
卓球台を覗いてみた。
そこには、昨日も卓球をしていた
大学生くらいに見える女性のグループが
いた。
彼女たちは卓球を終えると
マッサージチェアの横にある自販機で
アイスを買った。
そして、僕らの斜め向かいにある
ベンチに腰掛けると
そのアイスを食べ始めた。
一人はアイスを食べながら
タブレット端末を見ていた。
周りの人も時折タブレットを覗き込み
楽しそうに話をした。
その会話の中に“翠の道”という
言葉がでてきた。
午前中、僕らに声を掛けてきた
阿多羅布村小学校の教員Cさんこと
椎名先生の話も“翠の道”に関すること
だった。
僕はこの“翠の道”という言葉を
今日初めて聞いたわけではなかった。
何となく聞き覚えがあった。
少し考えてみると・・・
昨日、エロ眼鏡の番頭さんが
部屋に布団を敷きにきてくれた時に
少し会話をした。
その会話の中に
“翠の道”が出てきていたはずだ。
たしか、
とある漫画が原作のアニメに出てくる
場所がこの村の景観そっくりで、
そっくりな場所の一つに
番頭さんが“翠の道”を挙げていた。
ということは、
翠の道はこの村の名所の一つなのだろう。
しかし、その名所に村の子供たちや
村の外から来た教員は近づけない、
そうCさんは言っていた。
今アイスを食べている彼女たちは
きっと聖地巡礼に来たのだろう。
翠の道が会話に出てくるということは、
そこに行ってみたのだろうか?
少し興味があった。
僕は彼女たちに話し掛けてみた。
「あの、すいません。
翠の道に行きましたか?」
そう質問すると、
彼女たちは僕らも聖地巡礼の観光客だと
思ったのだろう、全く警戒心を見せずに
話をしてくれた。
「あ、行きましたよ。
ホントそっくりで綺麗で
めっちゃ興奮しました」
一人がそう言うと次々に話し出した。
「でも途中でこの旅館の番頭さんに
声を掛けられたんですよ」
「そうそう、もう少し先の方まで
行きたかったのに、
これ以上行くと危ないから
悪いけどここから
引き返した方がいいって」
「大きい熊がいるって言ってた」
「マジ怖いよね」
「番頭さん優しくて
写真いっぱい撮ってくれたんですよ」
タブレットを持った人がそう言うと、
僕らの方にその端末を向けて
番頭さんが撮ってくれたという写真を
見せてくれた。
確かに綺麗な場所だった。
竹林に囲まれ一本の道が延びていた。
やさしい光が射し込んでいて
竹がまるで翡翠のような輝きを
放っているように見えた。
まさに“翠の道”だった。
由依さんは写真を見ると
少しうっとりしたように
「ホント綺麗」
と言い僕に微笑み掛けた。
僕の目には翠の道よりも
微笑んだ由依さんの方が
ずっと綺麗に写った。
耳が熱くなっていた。
仕事でここに来ている状況が
恨めしかった。
由依さんがアイコンタクトを取ってきた。
はい、わかってます。
仕事しにきたんです。
僕は小さく頷き合図を送った。
その合図を確認すると
由依さんは仕事モードの目に
変わっていた。
そして、
「明日も“番頭さん”
翠の道にいるかなぁ・・・
私たちも“番頭さん”に
写真撮ってもらいたいね!」
そう由依さんは言った。
彼女たちから、
番頭さんについての情報を
少しでも引き出せということだろう。
「そうだね!もしかしたら“番頭さん”
観光客が間違って翠の道の奥の方まで
行かないように、
見回りをしてくれてるのかもね。
優しいなぁ、“番頭さん”。
熊に遭遇したら“番頭さん”が
危ないのに」
僕はそう言うと
由依さんに視線を返した。
これだけ二人で
“番頭さん”を連呼したんだ、
誰か番頭さんについて
何かチョットでもいいから話してくれ。
そう思っていると、
「番頭さん武術の達人だったりして」
とタブレットを持った人が言った。
アイスを食べ終えた人が
「え、何で?」
と質問すると、
タブレットの人はこう答えた。
「ウチのおばあちゃんが住んでる田舎も
熊が出るんだけど、
そういう所に住んでる人って
鞄に鈴を付けたり、
ラジオをかけっぱなしにしたり、
人によっては熊よけスプレーを
持ち歩いてたりするんだよね。
でも、番頭さんは手ぶらで
翠の道の奥から歩いて来たから」
僕らは、
「番頭さん、たぶん黒帯なんじゃない」
なんて言って彼女たちに話を合わせた。
由依さんと目があった。
きっと同じ疑問を抱いたに違いない。
熊がいることを知っていながら
身一つでその場所に近づくのは
地元民でも危険すぎる。
第一もっと警戒するだろうし、
村に“熊注意”の看板があっても
おかしくない。
けれど、そういった注意を促す看板は
今のところ見ていない。
この村に熊は本当にいるのだろうか?
もし、翠の道の奥にあるのが
熊の巣ではなかったら
一体何があるのだろう?
そして、番頭さんは
翠の道の奥に何をしに行っていたのか?
それこそ、
この村の知られたくない秘密が
そこにあるのではないか。
そして志田さんは
その秘密を知ってしまった。
彼はプロのカメラマンだ。
翠の道を見たら
きっとカメラに収めたくなるだろうし、
奥まで行っていても不思議ではない。
部屋に戻ってきた僕らは
そんな話をしていた。
すると、部屋をノックする音が聞こえた。
返事をすると、
昨日と同じように
番頭さんが布団を敷きにきた。
空振り覚悟で番頭さんに話を聞いてみた。
「番頭さんが村の事について
かなり詳しいとお聞きしたんですが」
僕がそう聞くと
番頭さんは照れたように笑った。
「そんなことないですよ。
実は私、元村長の息子なんです。
だから子供の頃に親父から
村の色々な話を聞かされてたんです。
それだけのことですから」
番頭さんは軽々と布団を持ち上げた。
そして、
二組の布団を並べながら話を続けた。
「親父は村の話になると
目の輝きが違うんですよ。
よほどこの村が好きなんでしょうね」
番頭さんはそう言うと微笑んだ。
その微笑みは優しかった。
でも、僕らに向けられた
微笑みではないような気がした。
たぶん、今この場にはいない
父親に向けたものだと感じた。
番頭さんは孝行息子なのだろう。
そんな人を疑いの目で
見なければならない事に
少し嫌気がさした。
けれどこの村で人が一人
行方不明になっているかもしれない、
ということには変わりなかった。
ここで由依さんが直球勝負に出た。
「あの、私たち
翠の道に行きたいんですけど、
やっぱり熊が出ますか?」
すると番頭さんの動きが止まった。
動揺しているのだろうか?
しかし、僕らに背を向けているので
表情までは確認できない。
番頭さんが止まっていたのは
ものの数秒だった。
彼はすぐに動き出すと、
由依さんの質問に答えた。
「この村にいる熊は人の生活圏までは
滅多に下りてこないんですけれど、
最近の異常気象でエサが
減ってきているのは確かですからね・・
あそこに近づくのは
あまりお勧めできないです」
そう言ってニコリと微笑んだ。
でも、目は笑っていなかった。
その顔に隙などないように思えた。
番頭さんは昨日と同じように
二組の布団をピッタリとくっつけて
敷いた。
そして、これまた昨日と同じように
澄ました笑顔で、
「失礼いたしました」
と言い部屋を出て行った。
少しの間、
部屋に緊張感が漂っていた。
僕らは名探偵でもなければ、
敏腕とも言いがたい。
わりと穏やかに探偵をしてきた。
けれど、
探偵としての勘というものは
持ち合わせているつもりだ。
番頭さんのあの隙を見せまいとする態度、
あれは何かを隠したい、
若しくは守りたいように見えた。
これはもう“翠の道”に
行ってみるしかないのだろう。
そこに何かしら
手懸りがあるような気がして
ならなかった。
僕と由依さんは明日
“翠の道”に行くことにした。
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