脳の熱は冷める事を知らず
僕の思考を滅茶苦茶にした。
心拍数は明らかに上がり、
自身の鼓動が雑音のように耳障りだった。
場所も考えず喚き散らしたい、
当たり散らしたい。
心は、とっ散らかっていた。
けれど、こんな時でも
自制心というのは働くようだ。
僕はこのどうしようもない気持ちを
周りにぶつけるのではなく、
白球にぶつけていた。
あれから何時間経過したのだろう。
僕は気がついたら
バッティングセンターにいた。
バッターボックスに立ち
力任せにバットを振っていた。
まったく当たらず
球はネットに吸い込まれ、
バットは虚しく空を切った。
それでも僕はバットを振り続けた。
頭と同じくらい体も疲れないと
寝れる気がしなかった。
こんなドレッシーな格好をして
破茶滅茶にバットを振り回している自分が
滑稽に思えた。
きっとデート中に彼女にフラれて
自暴自棄になっている男にでも
見えるのだろう。
隣の打席に立っているおっさんが
哀れみの視線を向けてきた。
ある意味、哀れなのかもしれない。
知らないうちに地球外生物に
記憶を捕食されてるんだから。
哀れ以外になにがある。
そんな悲劇の男面をしながら
バットを振った。
汗で背中が湿りジャケットを脱いだ。
ようやく当たりをみせても
ゴロやフライばかりだった。
客がまばらになった頃、
ようやくへとへとになり
ベンチに腰掛けた。
そこへ恋人同士に見える
大学生くらいの男女がやって来た。
彼氏がバッターボックスに立つと
彼女が彼氏の名前を呼び
声援を送っていた。
僕はその彼氏が
やたらと羨ましかった。
好きな人から
ふとした瞬間に
名前を呼んでもらえる喜び。
その喜びを僕はもう二度と
味わうことができないのかもしれない。
僕と由依さんの記憶は捕食され
色々と欠損しているのだろう。
自分の記憶が捕食されている事は
当然ショックだ。
だけど、
今日聞いた話の中で
最も堪えたのは、
由依さんの記憶から
僕の名前が欠けている事だった。
あとからジワジワ効いてくる
毒でも飲まされたかのような
苦しさだった。
あえて名前で呼ばないならまだしも、
すでに名前を忘れてしまっている。
いや、喰われている。
どんなに喚いても暴れても
戻らないかもしれない。
これから先、
大好きな人からずっと
苗字で呼ばれるのかと思うと
やるせなかった。
メモリー・イーター・・・
そんな地球外生物と
共存しているなんて知らなかった。
というか、
できれば知りたくなかった。
なんで僕はわざわざ好き好んで
記憶保安管理局なんていう
SFチックな職場を選んだのだろう。
しかも、入局してからたった数カ月で
職業の記憶を捕食されるって、
なんだよそれっ。
そんな職場を選らばなければ
今日の話だって聞かずに済んだのに。
それに、入局した時に当然
自分が被捕食者だということを
知っただろうから・・・
え・・・もしかして、
今回の事でショックを受けるのは
これが二度目なのかもしれない。
二度も同じダメージを受けるなんて・・・
でも、いま思うと
記憶の欠損については
何となく心当たりがあった。
由依さんにお兄さんがいたこと、
そのお兄さんである土生さんと
幼い頃にした約束、
大学時代に理佐さんや志田さんと
知り合っていたこと等々・・・
どれもただ度忘れしているだけだと
思っていた。
けれど、どの事柄も
微塵も思い出せなかった。
だから、その記憶が
捕食されているとわかると合点がいった。
K探偵事務所。
あの事務所は土生さんが
僕と由依さんのために
用意してくれたものだった。
僕は、これが僕の職場だと
記憶の刷り込みを行ったのだろう。
人の脳には記憶の抜け落ちた部分を
自ら補う力があるという。
僕はそうやって補われた記憶を
本来の記憶だと思って
これまで生活していたようだ。
遅かれ早かれ、
必ず聞かされる事が
決まっていた話だった。
けれど、
知らなくてもいいことを
知るというのは、
こんなにも辛いことなのか・・・
僕はベンチに腰掛けたまま俯き、
地面に視線を落とした。
涙が出そうだった。
そんな時、
突如として僕の視界に
ペットボトルが侵入してきた。
顔を上げると
そこには土生さんがいた。
「サイダー飲む?」
土生さんは
いつもの穏やかな口調でそう言った。
僕は無言で頷いた。
彼は僕にサイダーを手渡すと
隣に腰掛けた。
そして、
自分のサイダーのキャップを開け、
「夜に突然、炭酸飲料が
飲みたくなることってあるよね」
と言いサイダーを飲んだ。
僕もキャップを開けた。
炭酸のシュッという音が
やたらと鼓膜に響いた。
僕はペットボトル半量のサイダーを
一気に流し込んだ。
喉が渇いていたようだ。
体にシュワシュワと
サイダーが染み渡っていくような
感覚だった。
サイダーは冷たかった。
けれど、心は
ほんの少しだけ温かくなっていた。
「由依がさ、平手くんはたぶん
ここにいるって言ってたから・・・
大学生の時、フラれる度にここに来て
バット振ってたんだってね」
由依さん、
そういう記憶は捕食されてないんだ・・・
「あの、由依さんは大丈夫ですか?」
僕がそう聞くと
土生さんは優しく頷いた。
「大丈夫。今、みいちゃんが
側についてるから。
それに僕の妹だよ、
メモリー・イーターなんかに
負けないよ」
負けるも何も喰われてるって・・
でも、美波さん経験者だもんな・・・
「平手くんこそ大丈夫?
名前のことショックなんじゃないの」
どうやら土生さんはお見通しみたいだ。
「ショックです・・・」
僕史上、最重量級の衝撃ですよ・・・
「あのさぁ・・」
土生さんはそう言うと
数年前の話を始めた。
K探偵事務所では一時、僕が所長をし、
由依さんがS総合リサーチで働いていた
時期がある。
その時、土生さんが
事務員として事務所に来てくれた。
実はその頃から、
僕と由依さんの記憶を捕食している
メモリー・イーター46番が
記憶の返還をし始めたらしい。
タイミングよく由依さんは
記憶保安管理局の側で働く事になった。
あとは僕の側に記憶保安管理局の
保安監視員か委託業務を担う保安員が
いれば46番を確保できるかもしれない。
それであの時、
土生さんが事務所に事務員として
来たようだ。
しかし、その時は結局46番は
僕らの前に姿を現さなかったという。
「46番に記憶を返還できる体力が
あるうちに確保したかったんだけど、
ごめんね・・・」
土生さんは申し訳なさそうに言った。
そして、
「僕がアメリカなんかに行ったから・・・
だから、どうしても平手くんと由依の
記憶を取り返したかったんだ。
でも、未だに取り返せなくて・・・
本当にごめん」
と言うと深々と頭を下げた。
「土生さん、頭を上げてください。
土生さんのせいじゃないですよ。
46番のせいです。
メモリー・イーターなんていう
悪食宇宙人のせいです」
土生さんだって、
苦しんできたに違いない。
妻、妹、妹の幼馴染み。
身近な人の中に被捕食者が
少なくとも三人いるわけだから。
でも、僕らは
お互いの苦しみを共感はできても、
理解する事はたぶん難しい。
立場が違うから・・・
それでも、今みたいに
そっと隣に寄り添ってくれるだけで
僕には心強かった。
土生さんはゆっくり頭を上げると
柔和な眼差しを僕に向けた。
「平手くん、泣きたい時は
泣いていいんだよ。
僕がいつだって宥めてあげるから」
僕はその言葉を聞くと
部分的にロックされていた心が
解錠されたような感覚を覚えた。
そして、
さっきまで引っ込んでいた涙が
堰を切ったように流れ落ちていた。
土生さんが僕の頭を撫でた。
いつもの酔っぱらった時みたいに。
何となく・・・
何となくだけど、
僕は幼い頃もこんな風に、
頭を撫でられていたような気がした。
もしかして、
土生さんが酔っぱらう度に
僕の頭を撫でるのは、
僕の記憶を何とか呼び覚まそうと
呼び掛けているのかもしれない。
けれど、
どんなに頑張って記憶を辿っても
僕の記憶では近年になってからでないと
土生さんは登場してこない。
幼い頃の土生さんとの記憶は
ほんの一欠片もない。
それが、とにかく悔しかった。
「平手くんが覚えてなくても、
僕が覚えてるからね・・・」
土生さんがここに居てくれているだけで
僕は救われた。
土生さんの手の温もりは
僕を優しく包んでくれていた。
涙はなかなか止まらなかった。
「由依には言わないから、
平手くんがこんなに泣いたこと。
うん・・・たぶん言わない」
ええっっ・・・
たぶんなの!?
そこは絶対でお願いします!
スペシャルメロンショートケーキで
始まり、
バッティングセンターでの
嗚咽で終わる。
そんな長い一日を
この日のサイダーの味を
僕はこの先、一生忘れないだろう・・・・・
たぶん。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
あれから二週間ほど経った。
何とか依頼をこなしてはいるものの、
僕も由依さんも
どこか心ここに有らずだった。
46番が確保出来次第、
記憶保安管理局から
すぐに連絡が来ることになっているが、
今のところ連絡はこない。
メモリー・イーターが
僕らの前に現れた場合に備えて、
特例でメモリー・イーター確保専用の
手錠を渡されているけれど、
それも今のところ使用できていない。
あれっきり、46番は姿を現さない。
僕らの記憶はどの程度返還されるのか、
第一、返還できるほど余っているのか、
寿命間近での地球外追放を怖れて
被捕食者に接近することを
警戒しているのか、
それとも既に寿命を迎え
消滅してしまったのか、
まったく何もわからず
正直なところ気が気ではなかった。
そんなすっきりしない
僕らの気分とは裏腹に、
空は連日すっきりと・・・
いや、もううんざりするくらい
晴れ渡っていた。
雨はまったく降っていない。
アスファルトの埃が舞い上がるのを
目で確認できるくらい地面は乾いていた。
もう少しだけ
冷房に頼る生活が続きそうだ。
僕はそんなことを思いながら
焼きそばパンを頬張っていた。
電話が鳴った。
由依さんが受話器を取った。
「はい、こちらK探偵事m・・・・・ん?」
彼女は、話すのを止めて
怪訝そうな顔で受話器に耳をあてていた。
「何この電話?平手ちょっと来て」
由依さんは僕を手招きし
受話器を渡した。
僕は受話器を受け取ると耳を近づけた。
すると、
掛けてきた相手は
送話器部分をガリガリと
引っ掻いているような音を出していた。
たぶんイタズラ電話じゃないか、
なんて由依さんと話ながら
受話器を下ろそうとした時、
何やら動物の鳴き声のようなものが
聞こえた。
僕は再度、受話器に耳を近づけた。
ガリガリ、ゴリゴリという音に混ざって
確かに受話器の向こう側で
動物が鳴いていた。
しかもその鳴き声は、
どこか不安げだった。
この鳴き声、猫・・・かな?
ーーーーーーーーーーーーーーーーー