思考が一瞬停止した。


息の仕方を忘れた。


鼓動が速くなっていた。


ついさっき取り戻したと思った安心感が
また遠ざかって行った。





目の前の重々しいファイル。


そこには自分の名前と顔写真があった。



一度天井を見た。


空調が僅かに音を立て稼働していた。


確かな空気の振動を感じ取り、
これが現実であることを理解した。



もう一度ファイルの資料を凝視した。



いつ撮られたのかわからない僕の顔写真。


一つは幼い頃、もう一つはたぶん現在。


資料には、名前や住所以外にも
何やらビッシリ細々と書いてあった。


もう一方のファイルには
由依さんの顔写真が確認できた。





理佐さんが言うには、
僕と由依さんは、ある時期から
メモリー・イーターに
記憶を捕食されているらしい。


ある時期とは、
僕が五歳の幼稚園児、
由依さんが七歳の小学生、

僕らが出会って間もない頃だった。


先程、理佐さんが
記憶保安管理局の説明をしてくれた時、
メモリー・イーターについても
説明してくれた。



メモリー・イーターは、
起点となる数人の記憶を読み取り、

次に、その起点とした人の記憶に
登場する人物にターゲットを絞る。


ターゲットとなった人には
メモリー・イーターにしかわからない
マークが付けられる。


そして、
そのマークを付けられた人の記憶を
メモリー・イーターは
不定期に一部分だけ食べる。



僕らの場合、
起点となった人は土生さんだった。


土生さんが、
アメリカの全寮制中学に入学した際に
メモリー・イーターに記憶を
読まれていたようだ。


そして、僕らがターゲットとなった。



僕らの記憶を捕食している
メモリー・イーターは
元はアメリカにいたようだ。


メモリー・イーターには
番号が付けられていて、
僕らの記憶を捕食している
メモリー・イーターは、

US2016‐JP46

という番号だった。


アメリカで2016番目、
日本で46番目に確認された
メモリー・イーターという意味の
番号らしい。


理佐さんたち記憶保安管理局の人は
日本番号で呼ぶという。


だから、
僕らの記憶を捕食している
メモリー・イーターは
“46番”と言うようだ。



46番とは、
あの長身のモッズコートの男だった。


黒のキャップと
カーキ色のモッズコートは
46番のトレードマークらしく、
アメリカにいた時から
その格好をしていたらしい。



46番は既に
地球外追放が決まっているが、
どうも寿命が近づいているという。


そのため、二、三年くらい前から
余った記憶を返還するため
ターゲットの前に度々
姿を現しているらしい。


しかし、記憶の返還にも
それなりの体力が必要なようで、
現在の46番にはその体力が
あまり残っていないと推測されるようだ。


というのも、
46番は逃走して姿を消す際、
ホログラムのような輝きと共に
瞬間移動するという。


そのため残像が少し残るそうだ。


体力のあるメモリー・イーターは
そのような残像は残さないため
46番には寿命が近づいていると
考えて間違いないらしい。


つまりそれは、
46番が捕食しきれなかった記憶の中に
僕と由依さんの記憶があったとしても
返還されるかどうかわからない、
ということを意味していた。





何だか色々と衝撃が大きくて
リアクションをとる余裕が
まったくなかった。


理佐さんと土生さんは
僕らを心配そうに見つめていた。



「二人とも話を続けても大丈夫?」



理佐さんがそう聞いてきた。


普段の僕ならまだしも、
長時間ポカーンとしている
由依さんを見るのは新鮮だった。


人の心配をしている場合ではないけれど、
由依さんが心配になり
彼女の肩を突っついてみた。


すると彼女は
ゆっくり僕の方に顔を向けた。


「大丈夫?」


僕がそう聞くと、


「どうだろ・・わかんない・・・」


と彼女から返ってきた。



どうも大丈夫ではなさそうだ。



理佐さんが、


「一度休憩する?」


と聞くと、
由依さんは首を横に振った。


「ここまで聞いたら、もう最後まで聞く」


そう言うと姿勢を正し、
瞬時に毅然とした態度へと切り替えた。


「平手くんは?それでいい?」


理佐さんが確認してきたので、
僕は頷いた。



本当は休憩を挟みたかった。


一度トイレに籠って
瞑想でもしたい気分だった。


でも、由依さんの切り替えの早さに
感化された。


この話は、今
聞いてしまわなければいけない、
そんな気持ちになっていた。


そして、もし彼女が隣にいなかったら、
僕は今頃トイレから出てこられなかった
とも思った。







「じゃあ続けるわね」



理佐さんはそう言うと
唐突な質問をしてきた。



「由依のパートナーは平手くんよね」



僕は由依さんの方をチラリと見た。


彼女は少し考えてから


「ん~・・一応そうなるのかなぁ・・・?」


と歯切れ悪く答えた。


ハッキリと断言しなかったけれど、
否定もしなかった。


“かなぁ?”と疑問形ではあったけれど、
僕はこの状況下にいながら嬉しくて
思わずにやけてしまいそうだった。



だけど、何で理佐さんは
そんなプライベートな事を突然聞くんだ?



そう思っていると土生さんが、


「えっ!?まだ仕事上だけでしょ・・・
    もう公私ともになのぉ?」


何て言って水を差した。 


そして、ものすごく小さな声で、


「だって、まだ平手くんから
    お兄ちゃんて呼ばれてないし・・・」


と言ったのを僕は聞き逃さなかった。



この状況でそれを言うか・・・



土生さんはどんな時も土生さんだった。



理佐さんはたぶん僕と土生兄妹が
微妙で特殊な三角関係にあることに
気がついている。


彼女は僕たち三人の温度差を
確実に感じ取っているのだろう。


だから、どことなく
居心地の悪そうな顔をしていた。



理佐さん、すみません・・・



彼女は、軽く咳払いをすると話を続けた。





記憶の返還には優先順位があるという。


地球外追放されるメモリー・イーターは
追放前にその優先順位に従って、
体力的に返還できる範囲で
捕食しきれなかった記憶を
返還しなければならないようだ。


優先順位が高い記憶の一つに、
“名前の記憶” があるらしい。


特に、親子や兄弟姉妹、
人生のパートナーの名前だと
最優先されるという。


46番がターゲットとしている人は
僕と由依さんを含め二十人程いるようだ。


その中で“名前の記憶”を
捕食されているのは由依さんだけ
だという。


そのため、もし46番が
その記憶を捕食しきれずに残していたら
優先的に返還されるらしい。



理佐さんはそこまで話をすると
由依さんに質問をした。



「ねぇ、由依。
    今、あなたの隣に座っている人の
    名前を言ってみてくれる」



すると由依さんは、


「え・・・うん。平手・・でしょ」


と答えた。



理佐さんは首を横に振って言った。


「うんん、そうじゃなくて、
    平手くんの名前・・・
    ファーストネーム・・言える?」



由依さんは一度
僕の顔を見ると瞬きを繰り返した。


そして、


「え・・・え~と・・・」


と考え込んだ。





えっ・・・





由依さんはもう一度
僕の顔を見ると、


「あれっ・・わかんない・・・
    ごめん、平手」





ええっ・・・嘘!?





「由依、ごめん、
    意地悪な質問しちゃって。
    平手くんもごめんね、
    ショックだよね・・・」





あれ・・・



そういえば、いつからだろう?



由依さんが
僕を名前で呼ばなくなったのは。


高校生くらい?


大学に入ってから?



小さい頃は名前で呼んでくれていた。


友(ゆう)って呼んでくれていた。


僕らは幼馴染みでいつも近くにいた。


年頃になると周囲から
お前ら付き合ってるの?と詮索された。


彼女はそれが嫌で
いつしか僕のことを
「平手」とか「アンタ」と
呼ぶようになったと思っていた。



でも、そうじゃなかった・・・



由依さんの記憶から
僕の名前は消えていた。





“名前の記憶”は、
その対象となる名前を見聞きした時だけ
思い出したような感覚になるが、
それは一時的なもので、
またすぐにわからなくなるという。





「それとね、
    これが一番重要なんだけど・・・」


理佐さんはそう前置きすると、
記憶の返還の優先順位に関する話しを
続けた。



“名前の記憶”以外にも
“職業の記憶”も優先順位が高いという。


もし“職業の記憶”の返還が
上手くいった場合、
記憶保安管理局の支援の下、
元の職に戻れる人もいるらしい。


でも、その“職業の記憶”は
僕らには関係ないのでは、と思った。


だって、これまでK探偵事務所で
曲がりなりにも探偵をしてきたのだから。


あれほど苦にしていたペット捜索も、
今となっては玄人の域に入ってきた
と言ってもいい。


だから、
理佐さんの話の意図が掴めなかった。





理佐さんは真剣な表情で僕らを見た。


そして、一度深く息を吸い込んだ。





「回りくどくなってしまって
    ごめんなさい。
    その・・・つまりね、
    由依と平手くんの本来の職業は、
    記憶保安管理局の保安監視員なの。
    私の同僚なのよ」








へっ・・・・・





はぁ?


なに言ってるの、僕らは探偵ですよ。


理佐さん、
あなただって依頼に来たじゃないですか。



ホントなに言ってるんだか・・・





理佐さんは二枚のカードを
僕らの前に置いた。


その一枚には由依さん、
もう一枚には僕の顔写真があった。


それは、僕らのIDカードだった。



僕も由依さんも何も言えなかった。


二人で完全にフリーズしてしまった。



土生さんが一枚の写真を僕らに見せた。


それは、今から四年ほど前に
S総合リサーチの正面玄関先で
撮ったという集合写真だった。


そこには、
記憶保安管理局の若手職員と
S総合リサーチで記憶保安管理局の
委託業務を担っている人が
写っているという。


よく見ると、
理佐さんの右隣には由依さん、
土生さんの左隣には僕が写っていた。


そして、何故か
由依さんの右隣には
土生さんの奥さんである
美波さんが写っていた。



「えっ、もしかして、
    美波とも同僚だったの?」


由依さんが理佐さんに聞いた。


理佐さんはコクリと頷くと、


「美波もね、
    被捕食者リストに載ってるの。
    二人とは違うメモリー・イーターに
    捕食されて」


と言った。





メモリー・イーターに
マークを付けられた人は、
記憶保安管理局の職員であっても
例外なく記憶を捕食されるという。


けれど、
記憶保安管理局の職員の場合、
“職業の記憶”が戻った時に備えて
事前に特例で、
僕らがいま聞いたような話を
聞かされる決まりがあるようだ。


僕も由依さんも、
入局する際にその事を確認する書類に
しっかりサインをしていた。


美波さんも二年程前に
話を聞いているらしい。


ただ、“職業の記憶”を取り戻して
無事に保安監視員に復職した人は、
海外に僅か数人いるだけで、
日本ではまだいないという。





土生さんが言うには、

美波さんの記憶を捕食していた
メモリー・イーターは、
もう寿命を迎え消えてしまったようだ。


美波さんは自分の記憶が
欠損していることに
当然ながらショックを受けたという。


けれど、


「今の生活が幸せだからこれでいいの。
    瑞樹くんのことを忘れなくて良かった」


と土生さんに言ったという・・・







って、惚気じゃないかっ!



いやいやいや

そんな全ての人が、
めでたしめでたしとは
いかないでしょっ!!





僕の記憶は欠損している。


それなのに、
そんなことは関係ない
と言わんばかりに、
脳にはとてつもない情報量が
押し寄せていた。



頭が熱くてクラクラした。


正直、いま聞いた話を全て
メモリー・イーターに
食べてもらいたい・・・


そんな気分だった。





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