猫から電話が掛かってきた。


受話器の向こう側のその声は
どこか不安げだ。



何の用件だろう?



当然ながら相手は話せない。


だって猫だから。


そして、残念ながら
僕も由依さんも猫の言葉を
聞き取れないし話せない。



猫さん、何の用ですか?





ディスプレイに表示された
相手の電話番号を見ると、
固定電話から掛けられているようだ。


個人のお宅だろうか。


猫がイタズラをして、
たまたまウチの事務所に
電話が掛かってしまったのだろう。



たぶんそうだ・・・



と思いつつも、
僕と由依さんは何となく
探偵の勘というやつが働いていた。


念のためこれまでの
ペット捜索のファイルの中から
猫だけをピックアップした。


そして、依頼人の電話番号を
片っ端から確認していった。



すると、該当者がいた。



氏名は、
片流楢未来雄(かたるなら みきお)。



片流楢(かたるなら)・・・



こんな珍しい苗字の依頼人なんていたか?



捜索対象だったのは高齢の白猫で、
名前はユイ。



ん!?



ああ、白猫のユイさんか!


今更だけど、
あの依頼人、片流楢さんていうんだぁ・・・


ユイさんは覚えていたけれど、
ユイさんの飼い主である依頼人の氏名は
すっかり忘れていた。


悲しいかな、
記憶を捕食されているとこんな時、
自分自身に言い訳ができる。


“その依頼人の氏名はたぶん捕食されてる”

みたいな感じで。


うん、でもたぶんこれは度忘れだ。


何となくそんな気がする。


この何となくは意外によく当たる。


だから、ごめんなさい、片流楢さん。



そんなことを思いながら、
片流楢さんのお宅に電話を掛けてみた。



話し中だった。


当然と言えば当然だ。


今もたぶん受話器が外れているのだろう。



たしか片流楢さんは高齢だった。


何かあったのだろうか?



自宅はこの事務所から
自転車で行ける距離にあった。


一人暮らしの高齢者ということもあって
少し心配になった。


行ってみて何でもなければ、
それでいいわけで・・・



由依さんと話し合い、
僕は片流楢さんの家に
行ってみることにした。








外に出ると日差しが容赦なかった。


自転車で風を切っても、

信号待ちで停まっても、

熱い空気がまとわりついてきた。



緩やかな坂道が
急斜面に思えるほどキツかった。



坂を上り切ると変則的な十字路に出た。


四方八方から
地面の熱が攻めてくる感覚があった。


カーブミラーの光の反射が眩しくて
目を細めた。





暑い・・・



想定以上の暑さだ。



残暑の“残”の程度がわからない。


どんだけ暑さが残ってんだ。


この残りを使い切らないと、
秋は来ないのだろうか・・・



暑いのに余計な事を考えて、
余計に暑苦しく感じていた。


でも、余計な事を考える時間が
今の僕には必要なのかもしれない。


じゃないと、あの事、

記憶の捕食に関する事だけを
考えてしまう・・・








あ・・・あれっ、危なっ!?



片流楢さんのお宅を
通り過ぎるところだった。


僕は急ブーキを掛けた。


錆びついたブレーキ音が
閑静な住宅街に鳴り響いた。



自転車から降りると鼻先を汗が伝い
地面に落ちたのがわかった。


Tシャツの袖で汗を拭ってから
玄関先のインターフォンを押した。



三十秒ほど待っても何の反応もない。


新聞の勧誘だと思われて
居留守でも使っているのかもしれない。



それなら、いいのだけど・・・



僕はドアノブに手を掛けた。


するとレバー式のドアノブは、
すんなりと押し下げることができた。


鍵は掛かっていない。



僕はドアを開けて、

「片流楢さ~ん」

と呼び掛けた。



返事はなかった。


しかし、猫の鳴き声と
カリカリと壁を引っ掻くような音は
聞こえた。


その音は、玄関から真っ直ぐ行った
突き当たりの部屋から発せられている
気がした。


その部屋のドアは
部分的に磨硝子になっていた。


その磨硝子越しに猫の姿を確認できた。


たぶんユイさんだ。



僕は、

「お邪魔しまーす」

と言いながら、
恐る恐る家の中へと入った。



事務所に掛かってきた電話は
猫のユイさんが掛けたのではなく、
その飼い主である片流楢さんが
掛けてきたと考えるのが自然だ。


でも応答がないということは、
電話を掛けた途端に
具合が悪くなったのかもしれない。


それなら大変だ。


一刻を争うかもしれない。



しかし、
こういう親切心は時として仇になる。


下手をしたら僕はただの不法侵入者だ。


警察のご厄介にはなりたくない。


でも、ここまで来たら引き下がれない。


最悪の場合、
事務所に掛かってきた電話の録音を
聞いてもらおう。


猫が電話を掛けてきて
不思議に思ったから
わざわざ自転車を飛ばして来たんです。


なんて主張は通じるのだろうか・・・



無理かもしれない。


それでも僕の体は勝手に動いていた。





部屋のドアを開けた。


すると涼やかな風を感じた。


そこはLDKで冷房が効いており、
大型テレビを囲むようにして
立派なソファーが置いてあった。


大きな掃き出し窓からは
午後の日差しが入り、
広い部屋をより広く見せていた。



片流楢さんの姿はない。


足元ではユイさんが僕を見上げていた。



ユイさんは相変わらず綺麗な猫だった。


かなりご高齢なのに
その毛艶はシルクのような美しさで
瞳にはまだまだ生気が宿っていた。


そんな瞳でユイさんは
僕に何か訴えているように思えた。



部屋は片付けが行き届いており
整然とした空間に見えた。


ただ電話機とアドレス帳が床に落ち
受話器が外れていた。


僕がその電話機を棚の上に戻していると、
ユイさんは掃き出し窓の前まで行った。


そして、
窓の外と僕を交互に忙しなく見て
不安そうに鳴いた。



「どうしたの?」



僕も掃き出し窓の前に行ってみた。


窓からは庭が見えた。


そこには、
刈り取ったと思われる枯れた向日葵が
ちょっとした山をつくっていた。



この庭では、この夏に
一体何本の向日葵が咲いたのだろう?

と思うくらい、
枯れた向日葵が山積みだった。



その向日葵の山の向こうには
サンダルが落ちていて・・・



えっ!?



人の足が見えた。



僕は慌てて掃き出し窓を開けた。


すると、モワッとした熱気が押し寄せた。


一瞬、ユイさんが外に飛び出してしまう
のではないかと思いヒヤリとした。


けれど、ユイさんは
じっと一点を見つめて動かなかった。



「ここにいてね」


僕は一応ユイさんに声を掛けてから外に出た。



向日葵の山を越えると
そこには片流楢さが
仰向けになって倒れていた。


顔はのぼせたように赤く
体に触れると熱かった。


息はしているが
声を掛けても反応がない。


熱中症で失神状態なのかもしれない。



僕は鞄からスマホを取り出し
救急車を呼んだ。


片流楢さんから作業用手袋を外し、
彼のベルトを緩めたら
急いで家の中へと戻った。


そして、
キッチンにある冷蔵庫の扉と引き出しを
片っ端から開けて冷凍室を探した。


中央が冷凍室になっていた。


保冷剤を探したが
小さい物が二つだけしかなかった。


とりあえずそれを取り出した。


大きめの鍋を見つけたので
それに水を入れた。


鍋に水を張ると、
それと保冷剤を持って
片流楢さんの所に戻った。


片流楢さんの体に水を掛け、
両脇に保冷剤を一つずつ挟んだ。


そうしたら、
また水を汲みにキッチンへと戻った。



ユイさんは心配そうな顔をして
僕の後をついてきた。


「いま救急車くるからね」


僕がそう話し掛けると、
ユイさんは“ニャ”と返事をした。



鍋に水を入れてる間に
冷蔵庫の製氷室を覗いた。


運良く氷が作られていた。


けれど、
その氷を入れる袋が見当たらない。



「袋どこだよっ!?」


僕は思わず声を荒らげてしまった。



すると、
ユイさんがキッチンの左端に行き
斜め上を見上げ鳴いた。



そこの引き出しに袋が入ってるの?



今は猫の手も知恵も借りたい状況だ。


迷っている暇はない。


僕はその引き出しを開けた。



引き出しには、
ビニール袋だけではなく
地域指定のごみ袋等も入っていた。


ユイさんはそれを
把握しているみたいだった。


お利口な猫だ。



僕は氷をビニール袋に入れ
ギュッと結んだ。


それを二つ用意すると脇に抱え、
水を張った鍋を持ちまた外へ出た。


片流楢さんの体に水を掛け、
脚の付け根に氷を置き、
彼の体を冷やした。


団扇を探したが見当たらなかったので、
テーブルの上に乗っていた新聞で
代用した。



そんなこんなで、
片流楢さんを新聞紙で扇いでいたら
救急車が到着した。


僕は救急隊員に言われるまま
救急車に乗り込んだ。










~~~~~~~~~~~~~~~~~










病院に着いてから数時間が経過していた。



片流楢さんは大事には至らず、
こちらとしても一安心だった。


けれど、脱水の症状や年齢を考慮して
二、三日入院することになった。



枯れた向日葵を刈り取ってしまいたくて、
庭仕事に没頭するあまり水分摂取を怠り
熱中症になってしまったようだ。


ユイさんが事務所に電話を掛けてきた
と話すと片流楢さんは驚いていた。



先程、片流楢さんの息子夫婦と孫娘が
病院に来た。


スープの冷めない距離に
住んでいるという。


息子が同居を提案しても
片流楢さんは一人と一匹で大丈夫の
一点張りらしい。


僕は数年前に
片流楢さんが依頼に来た時の事を
思い出していた。



白猫のユイさんは片流楢さんにとって、
亡くなった奥さんの分身のような存在だ。


ユイさんの面倒を最期までみることを
自らの使命としていた。


たぶん、一人と一匹暮らしを
邪魔されたくないのだろう。


でも、今回のことで
家族会議が開かれそうな予感がした。


まあ、でもそれは家族の問題なので
僕がとやかく言うことではない。





僕は由依さんに連絡を入れてから、
自販機でスポーツドリンクを買い
喉を潤した。


下手をしたらこっちまで
熱中症になるところだった。



長引く残暑というのは実に怖い。



これも温暖化の影響なのだろう・・・





ぼけーっとスポーツドリンク片手に
椅子に腰掛けていると、
片流楢さんの息子夫婦と孫娘が
僕の所に来た。


そして、こちらが恐縮してしまうくらい
お礼を言われた。


しかも、
孫娘の望来(みらい)ちゃんは、
僕が探偵だとわかると
目をキラキラさせて質問攻めをしてきた。


祖父である片流楢さんから、
ユイさんを捜索した際の話を
聞いていたらしい。


少女の夢を壊してはいけないと
思いつつも、
嘘は言えないので
本当の事しか話さなかった。


それでも彼女は、
本物の探偵に会えたと喜んだ。



「おじいちゃんとユイを助けてくれて
    ありがとうございました」


望来ちゃんは笑顔で僕にそう言った。


素直に嬉しかった。


そして、ほんの少しだけ
心のモヤモヤが晴れた気がした。



実は“職業の記憶”がもし返還された場合、
どうするべきか悩んでいた。


探偵よりも記憶保安管理局の方が
収入が安定しているだろうし、
福利厚生もしっかり受けることができる。


たぶん経済的な安心感が
保証されると思う。


けれど、
僕には公務員より
探偵という仕事の方が
性に合っていると感じていた。


そして今、望来ちゃんの笑顔を見たら、
やっぱり僕は探偵でいよう
という思いが強くなった。


ペット捜索が多いし、
浮気調査だってする。

時には人探しに
振り回されることだってある。


それでも、
市井の人の依頼に耳を傾け、
時に這いずり回る今の仕事が
僕は好きだった。





「わたしも探偵になりたいなぁ」


望来ちゃんは僕に羨望の眼差しを向けた。



僕の仕事に憧れてくれる人だっている。


たかが探偵、されど探偵。


この思いを早く
由依さんに伝えたくなった。








病院を出るとすでに夕暮れ時だった。



赤蜻蛉が飛んでいた。



蜻蛉は知っているのだろう
残暑の“残”の程度というやつを。


蜻蛉達は
そんなことは人間にはわかるまい、
といった顔をして飛んでいた。





風が肌を掠めた。



涼しかった。



秋は僕のすぐ隣に座っていた。















あ、自転車・・・





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☆片流楢さんと白猫のユイさんは
シリーズ第一弾「ため息とあくび」
第4話目に登場しています。


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