朝礼でダラダラ必要の無いこと話して、朝の貴重な一時間近くを浪費させておいて、
仕事を効率よく早く進めろというのはなかなか面白い事を言う。
伝えたい言葉と
伝わる言葉は違う。
貴方達に言って欲しい言葉は、
そんな事じゃ無い。
せめて真剣に話してくれよ。
常識にまみれた理想論と精神論なんか聞きたくないんだ。
貴方達が本当に良くしたいって思ってるなら、
自分の言葉で、
真剣に本気で話してくれよ。
それになら、応えられるからさ。
感情の無い言葉なんか伝わんないよ。
仕事を効率よく早く進めろというのはなかなか面白い事を言う。
伝えたい言葉と
伝わる言葉は違う。
貴方達に言って欲しい言葉は、
そんな事じゃ無い。
せめて真剣に話してくれよ。
常識にまみれた理想論と精神論なんか聞きたくないんだ。
貴方達が本当に良くしたいって思ってるなら、
自分の言葉で、
真剣に本気で話してくれよ。
それになら、応えられるからさ。
感情の無い言葉なんか伝わんないよ。

※写真に意味はありません。
世界はよくわからない勝負で満ち溢れている。
勝負に負けることは良くないと、昔から教わってきた。
教わるまでもなく、嫌という程実感させられてきた、
競争で満ち溢れた世界、
というより、
敗北を恐れる世界。
やがて世界は、
WIN-WINだとかALL-WINだとか、
敗者の存在さえ無いものにしようとし始めた。
それくらいに、敗けたくないのだろう。
勝負に負けてはいけない、
人に劣る事は許されないと、
無意識のレベルで、生物的な本能のレベルで刷り込まれている。
誰かに勝ちたいと思う気持ち、負けたくないと思う気持ちは、
人を成長させる。
勝利を得た時、或いは負けたとしても果敢に挑んだ先の敗北ならば、
それは人を成長させる。
成長させてしまう。
――さて、
その成長は、
果たして望んだ成長なのだろうか?
その勝負の先にある自分は、
願っていた自分の姿なのだろうか。
その勝利が、
苦しんで苦しんで苦しみぬいてただただ苦しみを重ねて得たものであるならば、
勝利の先に得るものはなんだろう。
それは、
さらに大きな苦しみに耐えられるという、他者からの/自分への、
期待/自負じゃないのか。
苦しみを積み重ねた先に得るものは
さらなる苦しみだ。
誰かより優れ、
誰かより評価される。
それが、
喜びと楽しみと共に得たものであるのならばいいだろう。
だが、
苦しみ、望まぬ事をし、
望まぬ自分になる事で得た勝利ならば、
それは果たして何に勝ったのだろうか。
負けてはいけない、
劣っている自分が許せないという意識が
いつだって自分を苛み続けている。
だが、
今自分が挑んでいる勝負は、
もしかすると、
勝ってはいけない勝負なのでは無いのか。
勝利の先にも、
敗北の先にも、
苦しみはある。
けれど、
きっと、喜びもある。
今の時代は、
勝負の後にも人生は続いていく。
幸いな事に、残酷な事に。
世界はよくわからない勝負で満ち溢れている。
だから、さ、
もしその勝負が、
苦しみしか感じられない勝負なら、
そんなもの、
さっさと負けて終わらせた方がいいんじゃないかな。