仕事ができない!

前回の記事で、入院生活を終えて職場復帰を果たしました。

ようやく元通りの生活ができると思ったのですが、甘い考えでした。

 

ふらふらであちこちに手足をぶつけながら歩き、目は虚ろで呂律が回らなかった頃に比べれば、「ジャンキー」らしさはほとんど見えなくなっていました。

実は無理をしていたにせよ明るい表情も見せ、同僚や取引先とも(おそらくは)普通に会話することができていました。

 

できなくなってしまったのは、開発作業です。

設計、デザイン、プログラミングといった、自分が得意としていた分野の仕事です。

 

やるべきことは頭で把握しているのですが、作業の難度に関わらず「なぜか取り掛かれない」のです。

納期が近づくと「進んでいない」「これでは間に合わない」という案件が重なりました。

 

私は「できる」「まだ間に合う」と自らを鼓舞して仕事に取り組みますが、焦りや危機感を感じているにも関わらず、やはり目の前の作業に取り掛かることができません。

 

自分は一体どうなってしまったのか?

 

答えが出ないまま精神的に限界が訪れました。重い鬱状態が続き、職場にも行けなくなりました。

なんとかメール等で案件を社員に引き継いで、再び長期休暇を取ることにしました。

 

がんばって減薬したのに、副作用も見かけ上はほとんどなくなったのに、仕事になると思考が止まります。

これでは今後仕事ができず、役員であるにも関わらずいずれクビになるのではないか、妻にも見切りをつけられるのではないか、と不安が募る毎日でした。

新たな症状に悩まされる

この頃から、これまでとは異なる症状が出てきました。

 

まずは不眠です。夜にまったく寝付けなかったり、寝ても短時間で起きてしまいました。これは病気として意識していなかっただけで以前からありましたが、顕著になりました。

次に、寝ながら大声で何事かを叫んだり(主に怒号)、文字通り飛び起きたり、起きるときに何もない空間や壁などを殴ったり蹴飛ばしたりするなど、隣に寝ている妻が身の危険を感じるような症状が現れました。

 

医師の話では、「睡眠障害の可能性があるがこの病院では検査ができない」ということでした。

そして、精神科を兼ねた睡眠科の専門医院を紹介されました。頭文字が同じくJでややこしいので、略称は控えます。

睡眠障害、そして双極性障害II型

紹介された医院で、睡眠障害の検査をしてもらうことになりました。

手指に取り付ける検査器具を持ち帰り、自宅で装着したまま寝てくれということでした。

ここで「紛失、破損した場合は10万円を支払います」という用紙に署名しました。ちょっと怖くなりました。

 

後日検査器具を持って通院し、検査結果の説明を受けました(そのまた後日だったかも知れません)。

以下のような診断を受けました。

 

「不眠症だけでなく睡眠時無呼吸症候群の疑いもある」

「大学病院でしっかり検査すべき」

 

しばらくこの医院に通いましたが、後に紹介された大学病院に転院することになりました。

そしてこの医院ではもう一つ、大きな出来事がありました。

 

「メインの病名は鬱病ではなく双極性障害II型

 

双極性障害は、古い呼び方だと「躁鬱病」です。躁と鬱という極端な状態を繰り返す精神疾患です。

II型はI型よりも躁状態の程度が軽いという診断になります。

 

言われてみれば、思い当たる節がいくつもありました。

  • 気分が高揚したり、興奮状態になることがある
  • 夜に眠れない
  • 機関銃のようにまくしたててしゃべり、疲労することがある
  • このようなとき、時折自分の話している内容がわからなくなる
これらは鬱病や薬の副作用によるものと考えていましたが、躁状態によるもの(一部は鬱や不眠症とのコンボ)だったのです。
職場復帰した際に同僚や取引先とうまく会話できたと感じたのも、おそらく躁状態にあったからでしょう。

家庭の崩壊、そして離婚

これまで精神疾患を抱え収入の安定しない夫を支えてくれた妻も、会話が減るうちに心が離れ、去っていきました。
 
当時、妻との会話はめっきり減っており、「ごはん」等の単語でコミュニケーションを取っていました。気がつくと、妻はいつも無言で先に寝ていました。朝もパートに出ていた妻と時間が合わないので顔を合わせません。
私がリハビリと称して部屋に籠もり、ほとんど接触できない時期が続いていましたので、妻も辛かったのでしょう。
 
離婚後に両親が話してくれたところによれば、妻は私の見えないところで両親、特に母に対して意地の悪い態度を度々取っていたようです。それが性格によるものなのか、ストレスによるものかはわかりません。
母には「精神的にまいっていた」「私は離婚してくれて助かった」と言われ、少しは心の中で離婚の理由付けができました。
 
とはいえ、やはり堪えました。死にたいと何度も思いました。

大学病院への転院と一泊入院検査

多くの方が名前を聞いたことくらいはあるであろう、大きな大学病院に転院しました。
 
まず、睡眠障害について一泊の入院検査を行うことになりました。
 
頭部を覆うように包帯のネットのようなものを被り、体のあちこちに検査器具が取り付けられました。鼻と口にも何やら器具を取り付けられました。
このときの自分の状態を撮影して友人に送ったところ、グロ画像かと思ったそうです。
 
狭い検査室には様々なケーブルが接続された機器があり、右足の方角にある窓から常時医師が見守っているという異常な状態でした。医師は無言でずっとこちらを眺めています。
 
眠れるかw
 
と思いましたが、深夜になる頃にいつの間にか寝入っていたようです。
 
検査の結果は、概ね前の医院と同じ内容でしたが、聞き慣れない病名も告げられました。
申し訳ないことに、このとき告げられた病名全ては覚えていません。症状が軽微なものもありました。
 
覚えているものは以下の通りで、症状は緩和しましたが今も闘病中です。
  • 不眠症
  • 睡眠時無呼吸症候群
  • 睡眠時随伴症(多動がどうこう言われたがおそらくコレ)
このうち現在では睡眠時随伴症は軽減、というかほぼ症状が出なくなっています。
ただ不眠症については改善せず、睡眠導入剤が無いとなかなか夜に眠れない状態が続きました。
 
これら睡眠障害については投薬での治療が始まりました。
内心、また入院させられるのではと不安だったため、ひとまず安心しました。
 
以後は、現在に至るまでこの大学病院の精神科に通い続けています。

焦りから過ちを犯す

大学病院に転院してからも、私は通院のたびに「いつ仕事に復帰できるか」という質問を繰り返しました。
時期尚早であるという回答が続き、仕事に関する不安、ストレスは募る一方でした。
 
ここで、焦りから過ちを犯してしまいます。
 
「自己判断で職場復帰、体調を崩したら長期休暇」
 
ということを何度か繰り返したのです。
担当医師には今でも内緒です。自己判断でこのようなことはしないでくださいと念を押されていたためです。
 
一時的に復帰しても仕事に取り掛かれない状態は変わらず、しばらく続けると気分が滅入ってしまい、これも続けられなくなりました。
以前のように仕事ができる日はもう来ないように感じられ、
 
「自分はこの会社に、いや社会にとって不要だ」
 
と考え、落ち込むようになります。
部屋に引きこもり、鬱々としていることが増えました。

再婚、そして修羅場と離婚

家にいると部屋に引きこもってしまうので、とあるきっかけを期に、昔のように友人と飲み遊ぶようになりました。
最初は出かけるどころか着替えるのも大変で、よく遅刻もしましたが、リハビリのつもりで顔を出しました。
 
友人たちと談笑していると、一時的な錯覚ではありますが、健常であった頃に戻った気がしました。
薬を飲んでいるせいですぐに悪酔いしたり、ときには意識を失ったりと、皆に迷惑をかけることもありましたが。

この付き合いの中で、一緒に行動することが多かった女性と交際を始め、ほどなくして再婚することになります。
彼女が初めてオフ会に参加した際、男性陣が「モデルがきた!」とどよめいたのを覚えています。
そのような容姿であったため、正直なところうかれており、性格面は上辺しか知りませんでした。元キャバ嬢であったことは聞いて知っていました。
 
再婚して生活を共にしてみると、すぐに彼女の妙な言動に戸惑うことになりました。
発想が幼稚だったり、明らかにおかしな事柄を真実と思い込んでいたり、家事をまったくしなかったり、間違いを認めようとせず指摘されると鬼のような形相でヒステリーを起こす等です。
関係については不明ですが、彼女の家にお邪魔した際、お義母さんが見るからに鬱病で、手首に多数刻まれた切り傷を隠してもいませんでした。お姉さんも軽くない鬱を患っているように見えました。義父と弟さんは健常という印象でした。
 
再婚後しばらくして、大問題が発生します。
妻が置いていた携帯にメールの着信通知があり、見るつもりではありませんでしたが、目の前にあったため何気なく目が行きました。
その際ふと目に止まったのが店名らしき文字列でした。聞いていたバイト先とは異なりますので、SPAMの類かとも思いました。
しかし夜のお店らしき店名だったため気になり、ネットで地域名と店名をキーワードに検索しました。
 
検索結果に出てきたのは隣の市にある性風俗店のサイトでした。
アクセスしてみると、トップページに
 
どう見ても妻
 
という下着姿の写真を複数見つけました。
目を疑いよく見ましたが、やや特徴のある体型、特徴的な輪郭と髪型、そして何より右足付け根の後ろにある大きな横線状の傷跡が確認できました。これでほぼ確定です。
 
バイトに出かけると言って出ていたため、上記に間違いがなければ出勤中のはずです。
私はすぐこの性風俗店に電話し、彼女の源氏名を言って「今日は何時に終わるのですか」と訪ねました。
これには答えてもらえませんでしたが、次に彼女の姓名を出して「家族ですが、急用がありまして」と伝えました。また「そちらで勤務していることは了承済みです」とも伝えました。
すると、退勤時間を教えてくれました。これで間違いなく確定です。
 
まるで詐欺のような電話をしてしまいましたが、結婚生活を続けるか否かの瀬戸際でしたので、最も早く確実な方法を採りました。あのときの店員さん、ごめんなさい。
 
なお私は、性風俗やお水と呼ばれる職業について、特に偏見はありません。親しい友人にも何名かいました。
 
ただしそれは職業に対して偏見がないという話であり、「独り身」あるいは「パートナーが納得しているなら」の話です。
妻が結婚後に夫に内緒で性風俗に勤めていたら、それは不貞になるという考えです。本件でその気持ちが強くなりました。
何なら浮気よりもひどい裏切りのように思えます。
 
不特定多数の相手と会ってすぐ性行為に及ぶことを繰り返すのですから、
 
夫の心情としてはたまったものではありません。
 
このときの感情を思い出すと、今でも陰鬱な気分になります。心の底から傷つきました。
 
少し悩みもしましたが、心を決めました。
先に妻の実家に電話して、「娘さんとは結婚生活を続けられません。離婚させていただきます」と告げました。さすがに理由を聞かれたためこちらの自宅に来るよう告げました。
 
後に帰宅した妻にサイトの写真を見せ、この店に勤務していることは電話で確認したと告げました。
ほどなくして訪れた義母にも同じように写真を見せました。妻の前で事情は話しましたが、見ないと納得できないと言われたためです。
 
妻は激しく否認を続けて泣いていましたが、一転して突然高笑いし、携帯を取り出して電話を始め、
 
「親バレしたので辞めますゥwwwキャハハハwww」
 
とヤケになったように大笑いしていました。唐突な変貌に若干恐怖を覚えました。
その後義母が妻を連れ帰ろうとしますが、妻は
 
走行中に車のドアを空けて飛び出す
 
ほど錯乱していました。
自宅でしばらく平静を取り戻すのを待ち、改めて離婚以外に考えられないことを告げました。
その後は義母と話したり、私の両親と話したりしていましたが、
 
ここからが本当の修羅場でした。
 
私が両親と話しているうちに妻は自宅を抜け出し、大声で喚き始めました。
何事かと驚いて外へ出ると、妻は髪を振り乱し半狂乱となっており、普段はおしとやかに接している私の両親に対しても、制止しようとする腕を「やめてええ!」と乱暴に振りほどく有様でした。
 
妻は、酒は飲んでいないのにひどく泥酔したような状態で、千鳥足で目は虚ろ、わけのわからないことを喚きながら近所中を歩き回りました。取り押さえるのも難しいほど暴れましたので、警察を呼ぶべきか迷いました。
おそらく義母が電話したと思われますが、妻の姉が応援に駆けつけてくれ、なんとか身柄を確保しました。
 
一旦自宅に連れていきましたが、すぐに異常に気づきました。
私の所持していた睡眠導入剤が、大量に開けられていました。飲まなくなったストック分の薬もかなり開けられていました。
 
まさかのOD(オーバー・ドーズ)です。
 
泥酔しているように見えたのは、大量の睡眠導入剤で朦朧としていたのでした。
 
すぐに病院へ連れて行ったところ、胃洗浄が行われました。苦しかったと思います。
かわいそうに思いましたが、やはりもう妻として信用することはできませんでした。
 
少しの間は自宅におり、離婚についての話を何度もしました。離婚したくないと懇願されましたが、不貞を働いたり錯乱したことよりも、妻として信用できなくなったことが大きく、将来に渡り不安であるため断固拒否しました。
ただし協議離婚であり、慰謝料の請求等は求めないと伝えました。
 
結果ようやく納得し、
 
離婚届を提出し、人生二度目の離婚となりました。
 
バツイチの状態で結婚できて幸せだと思っていましたが、まさかのバツニです。
 
そして、またひどい鬱状態が続くようになり、部屋に引きこもりました。
このときの鬱はひどいものでした。思い出すだけで胃の辺りが苦しくなります。

自殺未遂

精神的な限界から、「自分の人生は終わり」という思いに支配され、何事にも意欲がわかず、逃げ場を探す気すら失い、転げ落ちるように鬱状態が悪化しました。
友人たちとも一切連絡を取らなくなり、部屋に引きこもっては耐えられずベッドへ行き、ベッドでも耐えられず部屋に戻るといった状態でした。
 
ある日、共にオフ会コミュを立ち上げた信頼できる女性の友人(元妻とも仲が良かった)に、
 
「死にたい。これから死にに行く」
 
というような内容のメールを送りました。
そして実際、最寄りの駅にいました。
 
電車に飛び込むためです。
 
大迷惑をかけてしまうので勿論やめるべきですが、このときはそのようなことを考える余裕がありませんでした。
 
しかし高速で横切る電車の圧倒的な質量とパワーに気圧され、「今からアレに轢かれて死ぬ」と考えると次第に恐ろしくなり、駅のトイレの前で固まっていました。
おそらくもっと極限まで追い詰められると、この恐怖すらなくなってしまうのだろうと思います。
 
ほどなくして、メールを送った友人から「バカ」とだけ返信がありました。
 
離婚のことを話していませんでしたがこのとき話し、双極性障害や仕事のことは伏せましたが、病気も抱えており希望が持てず、生きている方が辛くなったという心情をメールで送りました。
 
その後友人から電話があり、少し迷った後に出ました。
優しい調子で叱られた後、無言の時間が長かったのですが、「心を痛める人はいるでしょ。私も辛いから」と言われました。
正直怖くなってしまい、誰かに引き戻して欲しい気持ちのほうが大きくなっていましたので、「わかった、帰る。ごめんなさい」と返しました。
「もうしません」と言いそうになったのを意図的に止めました。
 
電話を切り、自宅へ帰り、また引きこもりました。
今度の引きこもりは長引くことになります。
そして、私の人生で最大の大転落を体験します。現在も修復できていません。
 
 
ここからは、次の記事にてお伝えしたいと思います。