引きこもり人生での拠り所
前回の記事で、仕事が出来なくなった上に二度の離婚と修羅場を経験し、社会生活と家庭生活の両方が壊れてしまいました。
そしてついに自殺未遂まで行ってしまいましたが、友人の助けにより思いとどまることができました。
しかし「何事にも意欲がわかない」「そんな自分に嫌気がさす」、「すべてに悲観的」「そんな自分に嫌気がさす」、「余計に落ち込む」「落ち込む自分に嫌気が…」といったように、負の連鎖が悪循環を引き起こします。
この頃、過去の思い出が鮮明にフラッシュバックして苦しめられました。
ある会話シーンを相手の身振りや表情、周囲の空気に至るまで鮮明に思い出し、「あんなこと言わなければよかった」「何を言ってるんだおれは」「嫌な奴だと思われただろう」等と繰り返し思い悩みました。
あれだけ楽しかったオフ会の記憶も、「余計なことを言ってしまった」「あのギャグはすべってしまった」「あんな行動を取るべきではなかった」と後悔ばかりになってしまいました。
もはや何を思い出してもネガティブな感情に支配されるようになっていたのです。
たまにではなく、起きている間はほぼ常にこのような「嫌な思い出」に悩まされ、気分はどん底まで落ち込んでいました。
このような日々が、一日も欠かすことなく毎日続きます。気を休めることもできないまま、際限なく積み重なります。
これはまさに生き地獄です。
ただ、一時的にしろ何かに没頭している時間ができれば軽減するため、のめり込んでしまったのが「通信販売」と「オンラインゲーム」です。
心の拠り所を見つけた気分で、常に鬱々としていた私にとっては光明でした。
金銭感覚の麻痺、止まらない散財
以前はAmazon等の通信販売サイトを見ているだけ楽しく満足していたのですが、この頃になると頭のネジが外れたように買い物を繰り返すようになります。
欲しいと思ったものは片っ端から購入してしまいます。
後の支払いのことなど完全に頭から飛んでいました。
購入後に価格.com等の評価を見て、別のものが良かったことを知ると、そちらも購入してしまいます。
既に販売されていない商品が欲しくなったときは、ヤフオクで探して軒並み落札していました。
明らかに不要なものでも、1日に何度かは何かを購入していないと気が収まらない状態になりました。
毎日のように多量の荷物が届くようになり、両親にたしなめられることもしばしばでしたが、その場では「これではいけない」と思いつつ、自室に引きこもるとまたすぐ購入する商品の物色を始めました。
何年も後に調べてわかったことですが、これは躁状態のときにみられる症状なのでした。
当然ですが、支払月になると目を丸くする様な請求書が届くようになります。
「そんなに買ったか?おかしくないか?」と何度も思いましたが、調べると確かにそれだけ購入しています。
両親から激しく抗議され、「これではダメだ、なんとかしなくては」という気持ちがありながら、また購入を繰り返します。
自分で止めることが出来なくなっていました。
この頃、あるきっかけにより、私は有名な有料オンラインゲームを深夜まで、ときには朝までプレイするようになりました。
基本プレイ料金は必要ですが、それ以外は無課金でも、時間をかけてがんばれば自力でアイテムを集めることはできました。
しかし既に通販にどっぷりハマって感覚が麻痺していた私は、
「課金すればすぐに強力なアイテムを購入できる」
これに飛びつきました。
新しい課金アイテムが次々と登場しましたが、よほど気に入らなかったもの以外は片っ端から購入しました。
ゲーム上の仲間内で、私は「重課金者」という印象になっており、それが誇らしくもありました。
さらに問題だったのは、
所謂「ガチャ」の存在です。
何が出るかはランダムであるため、希望のアイテムを引き当てるまでいくらでも繰り返しました。
常に散財による危機感と罪悪感、後悔を感じていましたが、なぜかやめられませんでした。
支払いが困難になり多重債務へ
この時期、私は仕事ができなかったため無収入でした。
発起人であり役員であることから、特別待遇により会社に籍は残してもらえましたが、働かなければ収入はありません。
通販や課金の支払方法はクレジットカードで、あるクレジットカードが限度額により使えなくなると別のカードを使いました。それも使えなくなると、また別のクレジットカードで…ということを繰り返しました。
預金がなくなったことで返済が遅れ始め、クレジットカードの返済用にキャッシュカードでお金を引き出し、それも限度額になると別のキャッシュカードで…と、
借金を借金で返す多重債務にハマっていきました。
度々、クレジットカード会社やローン会社から電話による催促がありました。
この生活には非常に気が滅入りました。常にビクビクしており、電話の着信音に恐怖を感じていました。
借金を借金で返せば、金利によって結局は借金額が増えていき、いずれ限界が訪れます。
ついにどこからもお金を借りられなくなると、これまでの支払状況について両親に相談しました。
両親は大変に怒り、また落胆しました。
通信販売は利用しないこと、ゲームもやめることを条件に、今後の借金返済は両親が面倒をみてくれることになりました。
とんだ親不孝者だと、今考えると我ながら情けなくなります。
それでもまだ止められない
両親の提案に安堵した私は、量は減りましたが何かと理由をつけては通販やゲームを続けました。
毎月の支払日には両親と大喧嘩になりました。
さすがに悪いことを自覚しており、自分でも出せる限りのお金を渡しましたが、それも先月分の支払いが終わって、限度額まで少し余裕ができたキャッシュカードで現金を引き出したものでした。
これでは借金返済は一生終わりません。
そしていよいよ、という時がやってきました。
支払いを両親に任せて以降、請求額が両親の「年金収入 - 生活費」を上回ることが続きました。
両親は預金を削って返済に充てていましたが、最終的にはそれでも不足となり、結婚指輪を質屋に売っていたのです。
この説明は受けていなかったため、知らされた時は大変なショックを受けました。
私は大きな罪悪感に苛まれ、涙を流して両親に謝罪し、密かにあることを決意しました。
二度目の自殺未遂
私が入っている生命保険は死亡特約を付けており、事故等で死亡すればまとまったお金が入ると思いました。
借金返済もそうですが、両親に対して、家庭を崩壊させてしまったこと、息子への期待と信頼を裏切ってしまったこと、70歳を超える親の老後を滅茶苦茶にしてしまったこと等への、せめてもの償いになればと考えたのです。
このとき「自分が生きている」ことに猛烈な罪悪感、嫌悪感を持っていました。
ある夜、両親が寝た頃に決行しました。
明確な自殺では保険金が下りないかも知れないと考え、事故死になるような方法を考えました。
実行した自殺未遂の内容については、個人を特定されるおそれがあるため記載を控えます。
結果、自殺は失敗に終わりました。
少し冷静になり、もし私が自殺をすれば両親に深い悲しみと絶望を与えるだろうと考え、自殺は思い留まることにしました。
その後は、通販での購入は大幅に減りました。
「周囲に置いていかれる」「居場所を失う」という強迫観念により続けていたゲームの方は、アカウントは残したもののログインしないようになりました。
ここまできてなぜ通販を完全にやめられなかったのか、当時の自分に問い詰めたいところです。
今はどのような感情だったのか思い出せません。
債務整理、そしてブラックリスト入り
大事な話があると、父に呼ばれました。
内容は「金利を支払い続けていたら終わらない」「金利分の負担を減らす方法を考えよう」というものでした。
私は了承し、自身はその手の手続をまともにできる精神状態でないことから、父に一任しました。
しばらく後に再度父に呼ばれ、見せられたのは、
「任意整理」の書類でした。
任意整理を含め債務整理という仕組みについてよく知らなかった私ですが、クレジットカード会社やローン会社ではなく「弁護士事務所」からの書類であること、また「あなたの社会的信用を落とすことになる」といった内容への承諾が必要であることから、それとなく「自己破産的なものだろう」と察することができました。
任意整理とは、返済が厳しくなった債務者が貸主と話し合い、返済額の減額を含む返済計画の立て直しを図るものです。
既に「返済は不可能」という状況まできてしまっていたため、藁にもすがる気持ちで任意整理を依頼しました。
ただし任意整理を行ったことで、返済が楽になる代わりに烙印を押されます。
ブラックリスト入りです。
これにより社会的信用は失墜し、使用していたクレジットカードやキャッシュカードがすべて利用停止にされました。
また今後、「完済後 最低でも5年間」は、クレジットカードの作成やローンを組むことができなくなります。
当然の報いではあるのですが、特にローンを組めないのは厳しく、携帯の割賦契約もできなくなりました。
なおクレジットカードについては、ブラックリスト中でも口座のある銀行でデビットカードを作成することはできました。
デビットカードはお金を貸すのではなく預金から引き落とすものであるため、審査が甘いか、もしくは無いのでしょう。
ただし通販サイトや店舗がデビットカードに対応しているとは限らず、クレジットカードと認められない場合もあります。
「月々の支払いが楽になった」ことで罪悪感が軽減されました。
「カードが使用不能になった」ことで通販も利用できなくなりました。
ブラックリスト入りは深刻ですが、それ以上にささやかながら平穏が手に入りました。
当時 私の暴走を止めるには、この手段か、自己破産しかなかったと思います。
務めていた会社を辞めて独立し、困難を乗り越え会社を設立して成功したあの頃、両親は私を誇りに思うと言ってくれました。
最初の妻と一緒に4人で富士へ家族旅行をした際、父は、
「お前たちがいればこの家は安心だ。これでもういつ死んでもいいな」
と笑っていました。本当に幸せそうでした。
その一人息子の転落を目の当たりにしたうえ、ブラックリスト入りさせるという判断は辛かったと思いますが、それでもまだ社会復帰できる可能性を残してくれた父には心から感謝しています。
まだ見ぬ我が子の死
借金地獄が軽減したことで平常心を取り戻してきた私は、会社設立以前にやっていた個人事業の繋がりで仕事をもらい、細々とですが自宅で収入を得ることができるようになっていました。
職場復帰を前に、自分のペースで仕事ができる、リハビリを兼ねた小さなスタートでした。
しばらくこの生活を続けていた頃、ネットの無料ブラウザゲームで偶然近所に住む女性と知り合い、交際に発展しました。
その方とは後にお別れしましたが、その女性に紹介された友人とは関係が続きました。
食事をしたり遊びに出かける機会が増え、自然と交際することになりました。
その方は軽めの発達障害(ADHD)がありましたが、それを感じることはほとんどありませんでした。
とにかくよく笑うこと、そしてその笑顔がとても輝いていたことで、一緒にいると陰鬱とした気分が和らぐのを感じました。
お相手は当時学生でしたが、共に将来の結婚を考え、真剣な交際を続けました。
ある時、彼女の妊娠が発覚します。念のため書いておくと、避妊はしていました。ただやむなく原始的な避妊方法を採ったことが2回ほどありましたので、そのときではないかと思われます。
子供ができたことのない私と彼女は勿論、私の両親も子供を産むことに賛成しました。
なお父は、自他ともに認める大の子供好きです。近所の子供を見かけると、よく遊んであげていました。
近所の同級生たちには既に小さい子供がおり、父は内心寂しかったことと思います。
ところが彼女の両親(特に母親)の猛反対にあい、何度か話し合いの場を設けるも、押し切ることができずにいました。
何度もお話をするうち、ご両親とは談笑できるような仲になっていました。弟さんにも兄のように慕われていました。
それでも、子供の話になると、出産だけは絶対に許してはくれませんでした。
私と彼女は現実逃避するように、「きっと男の子だと思う」「私もそう思った」と話し、子供のいる家族生活を夢見ていました。
彼女の母親も一緒に産婦人科に行ったとき、心音が聞けるということで聞かせてもらいました。
我が子の鼓動を聞くと、まだ小さいけれど確かに生きていることが実感でき、私は感動して大いに泣きました。
それからしばらくして、彼女のご両親から会食に誘われました。私はスーツで出かけました。
彼女は私の横で、妊娠時の諸症状に苦しみ、何も食べずにずっと横たわっていました。
そこで改めて、「子供は何が何でも堕ろしてもらう」「結婚も今は許さない」「成人したら二人の好きにして良い」と告げられました。
目の前が真っ暗になり、必死に懇願しましたが、中絶の意志は絶対に曲げない姿勢のままでした。
後日 彼女と話し合い、卒業して成人するまではご両親の言う通りにせざるを得ないという結論になりました。
そして心音を聞かせてもらった産婦人科で、子供を堕ろすことになりました。
一緒に病院へ行き、診察中は彼女の母親と将来のことについて話し合いました。結婚は全然良いが、ともかく娘が成人するまではダメ、ということでした。
その後母親は一時帰宅しましたが、私は病室へ行き、彼女の横にずっと座っていました。
やがて母親が迎えに来て、彼女は帰宅しました。ぼーっとしており、泣いたりはしていませんでした。
初めてできた我が子は、この世に産まれてくることができませんでした。
後に彼女と二人で、二人とも男の子と直感したのだから、男の子の名前をつけようということになりました。
光を見せてあげることができなかったから、「光(ひかる)」
産まれる前に命を奪われた我が子に、せめて明るい名前をと考えた結果です。
以後、彼女と買い物に出かけたり祭に出かけたときは、光へのおみやげも買って帰るようになりました。
ご両親の許しもあり、彼女は私の家にいる時間が長くなりました。
思えばこの時、光がこの世に産まれてさえいれば…。
無情にも「その時」は近づいていました。
ここからは、次の記事にてお伝えしたいと思います。