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全ての孤独な一人暮らしの喪男に捧げる喪飯
今日は特性カレー麺
簡単でしかも満腹になる魅惑の料理だ


レシピは以下の通り
冷やし中華用中華麺 一玉
ジャージャー麺 一玉
うどん 一玉
カレーうどんの元 一つ


作り方
1 湯を沸かします
2 カレーうどんの元を暖めます
3 麺を茹でます
4 合わせて出来上がり


正直不味いと思ってたが意外といけた
カレー万能説は健在である
ただ量が多すぎたこともあってか食ったあと一時間ほど寝てしまった
朝弱い人はくれぐれも朝飯を食い過ぎないようにしてくれ
アンデルセン・・・・福祉国家三種レジーム
マッキバー・・・アソシエーションとコミュニティ
テンニース・・・ゲマインシャフトとゲゼルシャフト
ヴェーバーとアメリカ行政学の相違・・・前者が民衆と官僚の関係、後者が組織内における任務貢献度


一応メモがわりに上に書いたがこれ以外にももちろん色々な学説や諸説があり一々書いていてはブログの容量が圧迫される(辻の日本官僚制の非民主的なこととか)。
行政系科目は学者と論理を覚えれば事足りるといわれているもののそのインプット作業に骨が折れるのである。ただインプットの困難さについてはどの科目にも通じることなので言い訳をするわけにもいかない。なんとか日々少量ながらも脳に刻みこんでいく次第である。

いきなりこんな事を書いたが宣言通り土曜日は久々にPCもつけずテレビもそこそこ、携帯もなんとか使用を一時間以内に留め勉強を進めることができた(なお起床は12時過ぎだった)。滞っていた経済学の復習も残りのマクロ部分を一気にやりとげ行政法、憲法共にチャプター1を終了し放置していた数的および判断推理も参考書を開く気になった(流石に勘という部分が鈍っていて説明が最初ちんぷんかんぷんだったが)。文章理解の演習も開始しタッチしていないのは資料解釈、財政学、一般知能だけとなった。面接および記述試験対策も日々頭の片隅で意識しつつ過ごしている。
そんなわけで今日図書館に久々に行くと月刊ニュートンの特別号で理数パズル特集というものがあった。なにぶん数的推理を放置していたのを後悔気味だったこともあり軽い気持ちで手にとってみたのである。中には数ある重りの中から二回で違う重さのものを選び出せとかコインの裏が出る確立であるとかサイコロ問題にカード問題といった試験に通じるものもあり、それを見ておぼろげに考え方のアウトラインを思い出すも結局答えまでたどりつけない醜態を晒してしまった自分はつくづく勉強不足だと痛感した。
そんな中で特に自分の興味を惹かれた問題がいくつかありその一つがブラックホール問題である。三つホールがありその内一つだけ脱出できるワームホールがある。適当に一つを選択したあとに残り二つの内一つがブラックホールであることが判明した。この時再考したほうがよいか変えないほうがいいかというのが問題で普通に考えれば50:50でどっちを選んでもよさそうなのだが答えは再考したほうがよいのである。なぜかというと・・・、とここで俺のポンコツな記憶回路がショートを起こしてしまった。そもそも問題文があっているかどうかさえも定かではない。
確か残り二つの内ワームホールがある確立なのが三分の二で一つがブラックホールなのが判明してしまったため消滅したホールの確立がそのまま残る一つの確立に移譲され三分の二のままとなり最初に選んだワームホールの確立三分の一のホールを再考して三分の二のほうに鞍替えすべきというような趣旨だった気がする。
他に気になったのがやはりパラドックス問題で経済学のテキストでもなぜか出ていたアキレスと亀の話や、判断推理を通して特訓している対偶理論(全ての黒くないものはカラスではない)、クレタ島の嘘つき人種や本当村・嘘村に対する適切な質問(要は「~」にyesとこたえますか?という形)といったまさに頭の体操といった知的好奇心あふれるクイズばかりであった。正直リベラルタイムとかプレジデントを読んでいる時より有意義な時間を過ごせたと思う。


遡ること八年前の夏、火星の大接近の時俺は藤井高校のユリーカ展望台に登って毎日のように観察をしこれを夏休みの宿題としてクラスメイトの前で発表したのである(特に反応はなかった)。その時ほのかに目覚めた科学者になりたいという気持ち。一時はJAXA入りを熱望しサイトをお気に入りにまで入れていたのである。ところが関数という存在で一気に数学が苦手になりしかも高校入試時の面接模試で「理系コースとかお前の数学じゃ無理だわ」と全否定され身も心も文系になってしまったのだ。
たしかに高校の頃理系が大量の課題に悪戦苦闘し居残りくらっている姿を見て文系であることに誇りを持っていた時期もあったがトータルでみた場合理系のほうがよかったのではないかと多少の後悔がある。理系の女というのも魅力的であるしなおかつ理論的に答えを追求するという快感というのを味わってみたかった。ただ言い訳をいうと俺がサウスポーで脳みそが右脳の方がでかく直感的人間であることは科学的に立証済みである。だから文系でも間違ってはいなかったのだろう。
ただ文系にしろ理系にしろ俺のように表情が乏しくすぐに腹を立てるような人間はそうそう使えない。もはや俺の目標は二年後に迫った社会進出の是非である。ただ理系であれば院に入り苦難もあるだろうがもっともな理由でモラトリアム期間を何年か延長できるのは羨ましいといったら羨ましい。そこらへんの所の事情どうなんですか理系の人。アディダス。

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少し金に余裕があったので元々予定していたスーパー過去問六科目分を買ってみたら上記の通りである。
一冊辺り2000円程度なのは仕方が無いのだがやはり金銭負担は大きい。つくづく去年ロクに着もしない二万のモッズコートを買わなければよかったと思う。
そもそもこうやって大量に買って全て消化しきれるのだろうか。購入即使用で熱意というものを見せられればよかったのだが案の定購入しただけで満足してしかも勉強自体をすっぽかし、ディーンマレンコ関連の試合をダラダラと見て日が暮れてしまった。無理矢理今日は休憩日ということにしたが先週三日ほど無勉の日を休憩日と偽った前科があるのでどうしようもない。
どうしても午後、しかも夕方以降の勉強というのは身が入らない。では朝からすればいいのではと思うかもしれないが人生において朝から勉強する習慣がどうしてもついていない。単位取得が危うそうな科目の試験勉強の時ぐらいしか進んですることがない。春休み期間において最初頃は朝から勉強をし始めていたが日を追うごとにだんだん開始時刻が後ろに下がり最後の方は午後三時ぐらいにまでなった。
以上言い訳をつらつらと述べたが要は自分の怠惰と生活リズムの乱れのせいであり俺が失敗しても俺にしか不利益がこないのであるので皆さんはどうでもいいと思っているのだろう。言い訳癖がついたら人間おしまいである。この土日で一応の弾みをつけ以後は春休み初期ごろのパッションとエネルギーを取り戻したい所存である。


思えば小さいころより周りに教材だけはあふれていた。進研ゼミや公文式、例の英語塾に能開センターと常に学習施設、学習材料が付きまといこれに学校から配られるドリルなり宿題なりを合わせると膨大な量に及ぶ。
ではこれらを有効利用していたかといえば全然利用していなかった。進研ゼミは定期テスト時にちょこっとやるだけだったし公文式はH教材で手詰まりし「わからないから宿題の量減らしてください」と言い続け、学習塾は遅い時間帯に入っていたため上手く通学しているふりをして友達と遊んでいたのである。俺は公務員教材に既に四万以上使っているのではないかと財布を心配していたが親は俺にまったくリターンのない100万単位の金をつぎ込んでいたのである。後ろめたい気持ちである。
そのツケかどうかは知らないが要所要所で俺は低偏差値をたたき出してきた。小中学校時代に範囲分の教科書をポケーっとひたすら丸暗記して高得点をとっていた味が忘れられなかったのかテスト諸々の復習というものを全然やってこなかった。これで高校受験を失敗し高校生活で改善されるかというとまったくそんなことがなかった。進研模試はほぼネタバレ頼みでそれがなければ校内最低クラスの点しかとれず駿台にいたっては志望校全てE判定であった。いくら判定は気にするなといってもショックは受けるし教師側に「偏差値はマヤカシっすよ」といっても信じてくれるはずがなく「怒られる→勉強が嫌いになる→しなくなる→怒られる」の負のループにはまっていった。
高校三年になると流石にこれじゃいかんだろうと当時第一志望だった慶應大学の赤本を一式買ってきた(文学部だったか法学部だったかは忘れた)。ただこれが今回と同じように購入しただけで満足しひたすら本棚に並べてドヤ顔していたのである。
結局その赤本一式は一冊あたり500円で親友だったY君にあげたのだがものの見事に滑っていたので個人的には悪いことをした気持ちである。その後入試シーズンが到来すると私大対策用にフロンティア世界史とかいうのと関関同立用英文対策を買ったのだがこれも見事にやらなかった。この本の真価が発揮されたのは弟の私大入試の時であった。
このように買った教材や与えられた教材を有効活用どころか利用さえしなかったのが過去の自分である。それに比べれば今の俺は手をつけているだけ大きな進歩であるともいえよう。少し模試のほうが放置気味なのが気になるがとりあえず手の届く範囲内に置いてはいる。あと個人的な話だがユッケ騒動で食中毒に対し恐怖感が湧いたため一ヶ月ぶりにまな板とコップを洗剤で洗った。アディダス。