外が猛烈に寒い。
たしか10月の初めはまだ汗をダラダラかくことがあった。気象庁も年内は暖冬になるという話だったので余裕こいていたらこの寒波である。
考えるまでもなくもう11月である。明らかに寒い季節だ。特に夜中と明け方は寒い。
俺は暑いのが大嫌いなので5月くらいになるともう憂鬱な気分になるのだが寒さも考えものだ。半袖半ズボンで汗をかかない季節がいいなあと思っていたが今の気温でそれをやると汗ではなく鼻水がダラダラと垂れる。
そしてまだまだ気温はこれから下がり続けるのである。毎年11月になると寒いと言い始め数ヶ月続く寒波に身震いをしていたが今年も例外ではなさそうである。
「MLBは僕にとって夢ではなく目標でした。」
松坂大輔がレッドソックス入りするときの記者会見での発言は俺に・・・ではなく我が高校の漢文教師のテンションを感動させてしまった。なにかにつけて「お前らにとっての第一志望は夢じゃなくて目標なんだよ!」とか「お前らにとってのメジャーってなんだ!?言ってみろ」と叫び続けた。この事もあり俺が前述の発言を肯定的にとらえるようになったのはつい最近のことである。そしてその時肝心の松坂大輔は満身創痍状態であった。


それから数年たった。俺は居間でPCを開きながらNPBドラフト会議の中継を見ていた。小学生の頃の理想通りのままの世界であれば俺は東浜投手、藤浪投手らと共にドラ1候補として取り沙汰されていたのだが現実はどうなったか語るまでもない。
どうも就活と結びつけてしまう癖ができてしまったようだ。たしかに彼らも野球というものを通し、チームに入るのである。本質は特に変わらない、かもしれない。「12球団OKです」と藤浪投手が豪語するたび「俺12個も面接受けてねえなあ」と就活の呪縛から逃れられていない感想を漏らす。
会議が終わり指名者の記者会見を聞くと「プロで野球をするのが目標でした」と発言する選手が多かった。というかそういう意気込みじゃないと全国何千何万の野球人の一握りになれないのであろう。そういえば以前すぽるとで明治大学のアスリート特集が放送されたことがあったがその時も「夢じゃなくて目標はリオ五輪に出場することです」と言い切る選手がいた。明確な目標設定、というと俺も一応公務員試験でそのようなものをたてた気がするがあれは明確の範疇に含まれているのだろうか。


見終わった後俺はある疑問が浮かんだ。「野球選手を断念した後の俺の夢ってなんだったんだ?」と。そりゃそうである。会議の終了と同時に小学校時代からの淡い夢想も終わりを告げたのだ。ならばその先を模索しなければならない。
中学校に入った年の夏、火星が地球に大接近する現象が発生した。ギラリと夜の空に光る火星を見て俺は天文学者になろうと思ったのである。
中2まで俺は天文学者に向けて邁進していた。PCの壁紙は宇宙をイメージしたもの、お気に入りページにjaxa本部を貼っつけて毎日チェックしていた(余談だが就活時jaxaにESを提出しあっさりと落とされた)。家の本棚から星座に関する本を引っ張りだした。だがここらへんで俺は数学の成績が下降線をたどることになる。俺は理系になりたい、いや理系でなければならないのだ!だが一向に数学の点は落ちる。周囲がこういう。「君は明らかに文系だ。数学で3以上とれたことがあるのかね。」
中3が近づく頃俺は反動でオカルトに走った。星は星でも占星術を極めんとしていた。なんという軟弱な精神であろうか。この時数学から逃げてしまったツケを後のあらゆる学科テストで払わなければならなくなったのだ。
この後俺は小説家を目指すようになるのだが(ついでに公務員も)この話は長くなるので別の機会にもうけることにする。
中学卒業間際、ちょうど高校受験直前期にこれからの20年を予想しようという企画があり生活ノート、のような代物にカリカリとペンを走らせた記憶があった。そしてこのノートは先月帰省した際本棚の奥底からとうとう発掘された。六年ぶりの再会だ。しかしそこに書いてあるものは夢物語以外のなんでもなかった。そして夢にしてはやけに真面目くさった内容であった。簡潔に書くとM高校進学→東大進学→国家一種キャリア(農林水産省の!)というものだった。ちょっと待て小説家の野望はどこにいった!?。そしてこのシナリオを自信満々に書いた二ヶ月後に俺はM高に落ちている。志望官庁が農林水産省なのも謎だ。そういえばこの頃俺は将来政治家になって日本の市街地以外は全て農園化させるというとんでもない考えを周りに吹聴していた気がする。それの影響であろう。中2までどちらかといえば文部科学省寄りだった学生が一気に農水にシフトチェンジしたのである。


高校になると小説家以外なにも目指さなくなった。その小説家も2年の秋ごろに諦め人生を投げやり気味になりはじめた。その辺の大学行って派遣社員として小銭を稼ぐかもう高卒で郵便局に勤めるかと考えていたのだがその後不景気になるとビビってそういうのを撤回してしまった。受験時は宗教学者にでもなろうと同志社大学神学部を受けたが撃沈した(狙っていたくせにたいして勉強せず)。
大学進学後アカデミズムを目指し院進学を図ったり司法書士を目指そうかなあと嘯いてみたりしたが残り時間が少ないと感じると結局保守的なほうへ走ってしまった。
こうやって見ると本当に俺の夢や目標というものがあっちこっちしていることがわかる。元々好きなポケモンが三日ごとに変わっていたタイプなのでこういう傾向はしかたがないのかもしれない。
問題はこれからいかにして目標を立てていくことだ。そのため来月に簿記を目標立ての模擬戦として受けようとしているのだが受験票が届かない。はやくしてほしい。
そういえば手帳類ももう半年くらい開いていない。とりあえず大まかな目標でも下書きしておきたい。
そしてこのように長文を書くと結論がちゃちいものになる。この耐久力で卒業論文が書けるのかとても心配だ。
恋の中にある死角は云々という話ではなく精神的に非常にブルーになっている。
あれほど「内定もらったぜHAHAHA」と有頂天になっていた俺であるがここ一ヶ月ほどで果たして選択はこれでよかったのかと思い悩むようになってしまった。
原因として考えられる一つ目は第一志望の防衛省にいけなかったことである。面接ではこちらの業務のこういうところに興味がありまして、と至る所で取り繕ってはいたが正直防衛省以外の業務に比べれば関心が数段劣っていたのである。
二つ目が周りの反応だ。「お~おめでとう」以外の言葉がないのである。心のどこかで人から物凄い羨望の目で見られたいと思い就活していた点は否めず、もっと「えー!めっちゃ凄いやん!!うわ~羨まし~」と言われたかったのである。しかもめっちゃ可愛い子に超ハイテンションでだ。それが叶わないとなると今度はさっさと内定とったことを自慢しようと早とちりして他の内定の可能性を探らず就活を打ち切ってしまった俺の浅はかさというものに嫌気がさすのである。
3つ目がネット(主に2ちゃんねる)で書き込まれる職場の裏事情である。これに関しては仕方がないというかある種のお約束展開ではあるがいざ自分が半年後に飛び込まなければならない状態の上現在の精神状態なのだから必要以上のスルーをすることができない。未だに社会性と協調性の回復に至っていない俺にとって懸念されるのは職場でねちょねちょとハミられることである。肉体的暴力のほうがまだマシである。ああ社会人とはなんという生物なんだ!


このように入る前から精神の疲弊と不安を抱えているので既に転職や出向を視野に入れている。就職浪人や留年からの再受験、再就活も考えてはいたが手間以上に金銭的に苦しいので現実的選択とは言えなかった。組織に殉じる気持ちが足らずけしからんという批判を受けるかもしれないが日本社会自体が魑魅魍魎が跋扈する世紀末モード突入寸前なのでリスクヘッジやリスク管理の一環と考えてもらいたい。100%転職しますという宣言ではないのである。
転職の場合特に民間に行く時に頭に入れておいたほうがいいのが「前職の勤続年数が三年以上」という条件である。三日坊主という言葉があるように三日、三か月、三年という時間の区切りが人間にとって分かれ目になってくると言われている。俺も大抵三日坊主でありバイトも三ヶ月目に衝動的に辞めかけ小説家の夢も三年で潰えた。そう考えると勤続年数三年程度でも俺にとっては凄まじく高いハードルに思える。
身近な人で転職組はおらんかと探すと親父がそれであった。すっかり田舎の役場のおっさんのイメージがあるが前職は関東で製薬かなにかの営業の仕事をしていた。ただこの時はバブリーな頃だったので色々と融通が効いた可能性がある。
どちらにせよジョブチェンジを考えるのであれば今以上に多忙は日々が待ち受けているのである。俺にその覚悟はあるのだろうか。すでに参考書は押入れの中にしまいこんでしまっている。


余談だが俺がもう一つ気にしていることがある。顔である。パーツの悪さはすでに承知済みだがオーラや生気がやばい領域に入っている。大学入りたての頃はまだ表情筋も鍛えられていたのかピザにしてはやや顔はこじんまりしてキリッともしていた。しかし年々表情筋の衰えと半端なダイエット、酒の影響によりすっかり締りのない顔になってしまった。某曰く「部屋に引きこもってオ◯ニーしかしていない顔」と化しているらしく自分でも危機感を感じている。これ以上の劣化をしてしまえば他人どころか自分自身も士気が上がらない。さっさとダンディハウスにいって顔面マッサージをしてこよう。