大学卒業まであと半年となった。
もう俺も来月で22才となるのだが未だにティーンな気分が抜け切れていない。
ここらへんで一度俺の人生がどんなんであるのか簡単にまとめてみようと思う。

1990年 生誕す。体重は4000グラムを少し切るくらいであったと誰かから聞いた気がする。

1991~1994年 発疹以外特に病気をせず健康に育つ。この頃より既に実年齢より年上に見られていたらい。要は老け顔である。

1995年 最初の幼稚園入園。しかしコミュ力がこのころより低かったせいかハミられる。登園拒否にまで至ったため転園することに。しかしなんちゅうことだ登園拒否ってのは。ちなみにこの幼稚園で同級だったO君とは小学校で再会することになる。

1996年 新しい幼稚園入園。初日に用水路に転落し血をダラダラ流しながら教室入りする。まだいうほど集団の和に入れてはいなかったがそのまま大事にはいたらず卒園する。はりもぐハーリーを発端としアニメを見始める(その前年度からグルグルは見てたような記憶はあるが)。

1997年 小学校入学。この頃より特撮、ポケモン、野球という人生の三種の神器にハマる。セイバーマリオネットにおもいっきりハマり萌え豚ウイルスが体内で形成される。

1998~2002年 幸せな小学校時代。一つ一つ細かく見ていけば辛いこともあったが全体的には楽しかった。ただし体重が小学校4年より激増する。将来の夢はプロ野球選手。

2003年 中学校入学。あれほど熱望していた野球部をバックれる。体育会系のノリにも文化系のノリにもついていけずスクールカースト底辺まで落ちる。

2004年 徐々に自分の立ち位置を構築する。この頃より自慰を覚えてしまいオナ猿と化す。

2005年 彼女が欲しくなり二次元と三次元の風見鶏と化す。当然どちらからも顰蹙を買いなにがなんやらわからない内に高校入試に失敗する。この頃の夢は幻想小説家になること。要は典型的な中二病患者であった。

2006年 高校入学。テストでことごとくクラス下位の成績をとり以後勉強への情熱を失う(特に前から嫌いだった理数系)。

2007年 小説家の夢を諦める。なぜかこの年の記憶がない。一年と同じような生活を同じように繰り返していたのだからだと思われる。

2008年 あまりの勉強しなささに担任と毎週面談をする。親にも進路のことで毎日ゴネゴネと文句をいう。弟は勉強に打ち込んでいた生活の反動かある日ついに発狂する。暇さえあれば友達とビリヤードとカラオケに勤しむ日々。

2009年 どうにかこうにか大学に入学する。友人を作ってバラ色のキャンパスライフ実現に向け一歩を踏み出すも6月前より自宅に引きこもり大学に行かなくなる。秋より復帰するものの顔の効いていた友人が退学しており以後マイノリティとなる。

2010年 ゆくあてもなく散財し町中を彷徨う。彷徨いすぎたためか体重が10キロほど落ちる。それでも64キロだ。いかに俺がデブだったか。デジカメを買い写真撮影をはじめる。

2011年 公務員勉強を始める。勉強の記録帳としてこのブログを作ったが案の定チラシの裏と化す。東日本大震災を目の当たりにし真剣に自分の生命について考える。しかし募金は金欠により断念した。

2012年 就活開始。大学は二の次にしてひたすら内定ゲッツに勤しむ。そのつけは秋に支払わなければならない・・・・。


このように書いてみたがかなり俺の記憶はあやふやである。きっとうんうんと二時間三時間考えたらもっと忘れているものが出てくるはずだがそこまでの暇はない。改善しなければならない点はいくつもある。積極的に動いたということがほとんどない点、行き当たりばったりな点、他社依存な点である。社会人になって初年度でずっこけると色々とまずいのでこの点をよくよく肝に銘じて臨もうと思う。
こんなネガティブ感あふれるタイトルにしたが結果はいたって良好である。
結論から先に言うと俺は内定持ちとなった。ANTである。
来年4月1日より俺は国家公務員の身分を有し職務を開始するのである。
2010年大晦日に一大決心をしてから一年八ヶ月、ついに俺は目的を達成したのである。
「仕事に就いてからがスタート」という言葉もあるが、実際にはまだスタートさえしていない。
俺は今後半年間健康的に生活しなければならない。
セーラー服への欲望を爆発させてお縄になったり誤って川に転落してどざえもんになったり街中でストリートファイトをおっ始めて殺し殺され状態になることは避けなければならない。現実的に一番発生する可能性があるのが卒業単位不足での内定取り消しである。俺の今の集中力と学習意欲では十分有り得る展開なので気をつけたいと思う。

採用面接についての質疑応答は詳しくはここで記さない。なにせ深く思い出そうとすると嫌な汗がだらだらとたれてきて非常に心身の負担になるからである。正直内定をくれた所の面接もなぜ採ろうとしたのかわからないほどのグダグダ模様であった。面接が上手いか下手かでいえば下手だと自己分析している。最後まで話が長くなる癖や目線が泳ぐのが矯正できなかった。採用面接の大まかな感想や気づいた点だけ記す。

1 野球
俺の人生において野球の占める割合は高い。当然の成り行きで履歴書や面接カードの趣味欄に野球と書いたのだが面接官にかなり食いつかれた。公務員試験板でも野球は好印象や好感触という話が出ていたが俺もひしひしと痛感した。そして俺が「いや、部活とかじゃなくて遊びの一環なんです」というと大抵面接官は顔をしょげてしまうのであった。

2 クールビズ
「クールビズ期間ですので軽装でどうぞ」という文面にこの夏お目にかかる機会が多かったがこと採用面接となると男は上着まで着込んで来る奴が大半であった。女はあまり着ていなかった。俺は着てようが着てまいが汗が滝のようにでる男だったためとりあえず上着を着ていった。実際上着で体型がごまかせるのでデブというコンプレックスも刺激されずにすんだ。

3 写真
いついかなる場合もスピード写真で済ませてきた俺だが今回一箇所だけ写真屋で撮ったものを送り込んだ。偶然なのか内定がでたのはそこであった。写真の質で受かったとは思えないが不安ならば写真屋で写真をとるほうがいいかと。


さて一応内定をとって一段落といきたいところだったがそうはいかなかった。「資格をとる」「スキルアップする」「成功する社会人デビュー」という言葉が頭をよぎりこの半年でなにかしなければ!という強迫観念のようなものに襲われ始めた。そういえば公務員試験に関連して俺が気にしていたのが資格欄に「普通自動車免許」としか書けないことであった。というわけで今後の目標としては簿記の取得を目指そうと考えている。これで多少数字へのコンプというものを解消できればよいかという狙いである。というわけで今回はこの辺で。
学生最後の夏休みが始まってしまった。幼稚園の頃の夏休みの思い出はない。小学校の頃はなにが楽しいのかわからないが小学校に出向いて花壇の水やりをしたり教室で相撲をしたりまあ世間一般的な休暇の過ごし方をしていた。中学校になると一年では部活の夏季訓練、二年からは塾での夏期講習に追われた。高校では塾のついでに補習授業まで受けるはめになった。大学になると一年は自動車教習所、二年は実家に帰ってダラダラと過ごし三年はバイトと勉強と補講で非常に多忙だった。そして4年になった今回も三年と同じようなパターンになりかけている。
しかしこのような状況でも楽しみを見つけるのが大人である。そこで俺がこの夏休みしょっぱなにどのようなことをやったのか羅列する。

・夏の甲子園
今年も相変わらず香川県が弱かった。2002年に尽誠がベスト8に入ってぬか喜びしていた頃が懐かしい。愛媛県は今回衝撃的な敗戦をしてしまいニュースに引っ張りだこだが香川は地味な敗戦で特に話題にも上がらなかった。これでも三原脩・水原茂という両巨頭を生み出した県である(ここに宮武三郎も付け加えてもよろし)。すっごい余談だが俺は「三原脩→仰木彬→鈴木一郎」と「水原茂→長嶋茂雄→松井秀喜」ルートというのを作ってどのように運命が絡まっていくのかということを密かに調べて楽しんでいるのである。

・倫敦五輪
柔道がまったく金をとれないのと柔道自体アームホイップ合戦になってるのが衝撃的だった。そんな中気迫をみせた松本薫選手が非常に心に残った。ああいうエネルギッシュな女性が増えるとこちらとしても嬉しい。というかこれ以外あんまり五輪の印象がない。開会式が一番おもしろかったのかもしれない。相変わらず可愛い女性アスリートを血眼になって探す己のゲスさに嫌気がさす。あとこれのせいで寝不足どころか昼夜逆転になってしまった。社会人になったらもう五輪観戦は全捨てするしかないのか。

・説明会
4年の夏休みは就活がある。俺も例に漏れず面接と説明会の予定がある。というわけで某独法の説明会を受けにいったが本当にただの説明会であった。面接があると思って意気込んでいた俺は大ズッコケである。「質問してる態度もみている」というがここ以外にもこの独法支局の説明会にいけるので他のところで挽回できる可能性がある。なにか非常にめんどくさい。

・フェイスブック
時流に乗らない主義の俺だったが元々のミーハー気質に逆らえずついにフェイスブックをやり始めた。大学名を設定しようにもなぜか学部の登録ができない。別に大学名だけでもいいがそれで理学部や教育学部の輩がきてもこちらとしてはどういう対応をしていいかわからない。というか大学関連をかき集めても10人前後が限界なのでここの設定は特に後回しでもいい。
次に中学の奴らだがさすがにこいつらの記憶の中から俺が消えている確率が九割以上なので避ける。
頼みの高校だが登録してる奴らが(同じクラスだった奴除く)微妙なのばかりである。というか仲よかった奴らが狙いすましたようにフェイスブックをしていない。こういう時あんなド腐れ高校でも前向きに人間関係の構築に勤しんでいればよかったと後悔するがもはや遅い。
一つ心に残ったのが友達検索である。思いつく限りの外交的な輩のページを検索してみてみると思いの外友達が少ない。それでも200はいるのだが俺の想像では400はいっているだろうと思っていた。すると意外にもOさんという中学校の時のクラスメイトが400人近く友達を登録していた。たしかに最前列にたって騒ぎ立てるようなタイプでも目がくらむほどの美人系でもなかったが包容力と頭のよさと愛嬌がずば抜けていた。ああいう人がもっと増えてくれたら日本の未来も明るいのになあとしんみりしてしまったがそれ以上に俺の自画撮りが何回やっても衝撃的にブサイクにしか映らないのが問題だ。このフェイスはどうなっているんだ。

・京都旅行
10日に京都で開かれた宇治川花火大会を見にいった。一緒にいった奴が相当なキャメラ野郎で「いい写真とるには土手に侵入するしかないべや」と言い出す始末だ。結局草ボーボーの土手に他のキャメラ集団と共に上陸して鑑賞することになった。たしかに花火は迫力満点であった。今まで見てきた花火大会の存在を疑うレベルであった。それでまあ花火はよかったのだが行きと帰りの電車がとにかく箱詰め状態であった。しかも次の日お盆の帰省ラッシュの中強行帰宅を敢行したためダッシュで乗った新幹線で一時間立ちっぱなし、ダッシュで乗った特急で三時間立ちっぱなし、そしてその後のバイトで四時間立ちっぱなしという状況になってしまった。上には上がいるのは十分承知だがはじめての経験であったため未だに足が痛い。もう電車は懲り懲りだ。さっさと車を買いたい。しかし今車にのっても事故るだけだ。だけど教習所には行きたくない。どうすりゃいいんだ、畜生。