学生最後の夏休みが始まってしまった。幼稚園の頃の夏休みの思い出はない。小学校の頃はなにが楽しいのかわからないが小学校に出向いて花壇の水やりをしたり教室で相撲をしたりまあ世間一般的な休暇の過ごし方をしていた。中学校になると一年では部活の夏季訓練、二年からは塾での夏期講習に追われた。高校では塾のついでに補習授業まで受けるはめになった。大学になると一年は自動車教習所、二年は実家に帰ってダラダラと過ごし三年はバイトと勉強と補講で非常に多忙だった。そして4年になった今回も三年と同じようなパターンになりかけている。
しかしこのような状況でも楽しみを見つけるのが大人である。そこで俺がこの夏休みしょっぱなにどのようなことをやったのか羅列する。

・夏の甲子園
今年も相変わらず香川県が弱かった。2002年に尽誠がベスト8に入ってぬか喜びしていた頃が懐かしい。愛媛県は今回衝撃的な敗戦をしてしまいニュースに引っ張りだこだが香川は地味な敗戦で特に話題にも上がらなかった。これでも三原脩・水原茂という両巨頭を生み出した県である(ここに宮武三郎も付け加えてもよろし)。すっごい余談だが俺は「三原脩→仰木彬→鈴木一郎」と「水原茂→長嶋茂雄→松井秀喜」ルートというのを作ってどのように運命が絡まっていくのかということを密かに調べて楽しんでいるのである。

・倫敦五輪
柔道がまったく金をとれないのと柔道自体アームホイップ合戦になってるのが衝撃的だった。そんな中気迫をみせた松本薫選手が非常に心に残った。ああいうエネルギッシュな女性が増えるとこちらとしても嬉しい。というかこれ以外あんまり五輪の印象がない。開会式が一番おもしろかったのかもしれない。相変わらず可愛い女性アスリートを血眼になって探す己のゲスさに嫌気がさす。あとこれのせいで寝不足どころか昼夜逆転になってしまった。社会人になったらもう五輪観戦は全捨てするしかないのか。

・説明会
4年の夏休みは就活がある。俺も例に漏れず面接と説明会の予定がある。というわけで某独法の説明会を受けにいったが本当にただの説明会であった。面接があると思って意気込んでいた俺は大ズッコケである。「質問してる態度もみている」というがここ以外にもこの独法支局の説明会にいけるので他のところで挽回できる可能性がある。なにか非常にめんどくさい。

・フェイスブック
時流に乗らない主義の俺だったが元々のミーハー気質に逆らえずついにフェイスブックをやり始めた。大学名を設定しようにもなぜか学部の登録ができない。別に大学名だけでもいいがそれで理学部や教育学部の輩がきてもこちらとしてはどういう対応をしていいかわからない。というか大学関連をかき集めても10人前後が限界なのでここの設定は特に後回しでもいい。
次に中学の奴らだがさすがにこいつらの記憶の中から俺が消えている確率が九割以上なので避ける。
頼みの高校だが登録してる奴らが(同じクラスだった奴除く)微妙なのばかりである。というか仲よかった奴らが狙いすましたようにフェイスブックをしていない。こういう時あんなド腐れ高校でも前向きに人間関係の構築に勤しんでいればよかったと後悔するがもはや遅い。
一つ心に残ったのが友達検索である。思いつく限りの外交的な輩のページを検索してみてみると思いの外友達が少ない。それでも200はいるのだが俺の想像では400はいっているだろうと思っていた。すると意外にもOさんという中学校の時のクラスメイトが400人近く友達を登録していた。たしかに最前列にたって騒ぎ立てるようなタイプでも目がくらむほどの美人系でもなかったが包容力と頭のよさと愛嬌がずば抜けていた。ああいう人がもっと増えてくれたら日本の未来も明るいのになあとしんみりしてしまったがそれ以上に俺の自画撮りが何回やっても衝撃的にブサイクにしか映らないのが問題だ。このフェイスはどうなっているんだ。

・京都旅行
10日に京都で開かれた宇治川花火大会を見にいった。一緒にいった奴が相当なキャメラ野郎で「いい写真とるには土手に侵入するしかないべや」と言い出す始末だ。結局草ボーボーの土手に他のキャメラ集団と共に上陸して鑑賞することになった。たしかに花火は迫力満点であった。今まで見てきた花火大会の存在を疑うレベルであった。それでまあ花火はよかったのだが行きと帰りの電車がとにかく箱詰め状態であった。しかも次の日お盆の帰省ラッシュの中強行帰宅を敢行したためダッシュで乗った新幹線で一時間立ちっぱなし、ダッシュで乗った特急で三時間立ちっぱなし、そしてその後のバイトで四時間立ちっぱなしという状況になってしまった。上には上がいるのは十分承知だがはじめての経験であったため未だに足が痛い。もう電車は懲り懲りだ。さっさと車を買いたい。しかし今車にのっても事故るだけだ。だけど教習所には行きたくない。どうすりゃいいんだ、畜生。