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みなさまから元気と勇気とそして感謝させていただく心をいただいています。
今日は「聴く」ということの深淵な意味を日野原重明さんの以前も一度ご紹介した『生きているだけで100点満点』からご紹介させていただきます。
日野原さんが医師になって最初に受け持った患者さんの一人に,結核性腹膜炎と診断された16才少女がいたそうです。
少女の父親は早くになくなり,少女は小学校を卒業後すぐに母親とともに紡績工場でともに働き,厳しい労働環境の中病気におかされてしまったのです。
数日おきに高熱をだし,腹痛と嘔吐を痛み止めと解熱剤とお腹に湿布を当てるだけの治療。
母親は生活費と少女の入院費をまかなうために仕事を休むことができず,病院への見舞いは2週間に1度来れるかどうかでした。
8人部屋に入院していた他の患者さんは日曜になると家族が見舞いに来ましたが,少女は一度も「寂しい」と言ったことがなかったそうです。
そして,日曜になるとよく熱を出していたのでした。
日野原先生は日曜にも病院に顔を出されるようになりました。
小康状態だった少女の様体が急変したのです。
「今日はお母さんは来られないけど,がんばりなさいよ」
と声をかける日野原先生に,少女は
「先生,これまで長い間お世話になりました。日曜日も来てくださってありがとうございます。私はもうこれで,お母さんには会えないと思います」
驚いた先生は
「あなたの病気は良くなるのだから,元気を出しなさい」
と必死に励まされます。
「お母さんに心配をかけて申し訳なくおもっています。どうか先生からお母さんによろしく伝えてく だ さ い・・・」
脈が弱まっていく少女の様子に先生は
「がんばれ!」と励まされました。
ところがその少女はまもなく呼吸が止まってしまったのです。
患者さんが天に召される姿を日野原先生が初めて目にされた瞬間でした。
その時,日野原先生は“後悔ばかりが残った”と書かれています。
医師としてのお仕事を休日も返上して務められ,最後に少女を励まされた先生がどうして?と最初に思いました。
先生の後悔は
「なぜ,あのとき少女の言葉を受け止めてあげられなかったのだろう」
というものでした。
「大丈夫,お母さんにはぼくがちゃんと伝えておきますよ。安心して成仏しなさい」
そう言って,少女が安心して旅立てるようなやさしい言葉を,なぜかけてあげられなかったのだろう。
むだだとわかっている注射を打つよりも,少女の手をしっかりとにぎってあげることがどうしてできなかったのだろう。
16才という若さで自分の人生の最期を受け入れるという大変な困難を乗りこえ,お別れの言葉を口にした少女を,医師としての仕事に夢中になり,その心を受け止めてあげることができなかったと述べられているのです。
「聴く」ということ。
それは,いくら相手を思っていても
自分の考えを横において,
相手の思いをそして生命という尊い存在を全身で受け止めること
なのではないかと流れる涙とともに感じ取りました。
そして,この少女との出逢いは日野原先生の医師としての患者さんとの関わり方を根底から変え,少女の存在は日野原先生のなかに,そして日野原先生を通して多くの方々の心に生きているのだと思います。
今日もここまでお付き合いいただき,本当にありがとうございました。
みなさまとの出逢いに心から感謝しています 愛と感謝を込めて よつ葉