フランス王妃イザボー・ド・バイウェール | 東海雜記

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主に読書日記

悪女とは言うが、悪男と言わないのはなぜだろう?


イザボー王妃
(フランス王妃イザボー・ド・バイウェール 1370~1435)


先日に引き続きまして、恋愛と結婚について。


シェイクスピアの史劇を通じて、ずっと中世のイングランドを眺めているんですけれど、近代以前の西洋の女性の恋愛はどうだったのでしょうか。


不勉強ゆえ、当時の社会や文化風俗がまだあまりわかってませんので、ここでは王族や貴族の女性について。


日本は一夫多妻(正妻とそれ以外の女性たち)が社会的に認められていましたから、子供ができなければ別の女性に、ということが可能(逆に婿養子も同じで、無能な婿が離縁されるケースもありました)だったけれど、ヨーロッパでは一夫一婦制のキリスト教社会でしたから、しかも神の祝福を得た夫婦だから、原則離婚は認められず、大変だったようです。

かのエリザベス1世の父親で、マーク・トウェイン『王子と乞食』にも出てくるイングランド王ヘンリー8世。彼は世継ぎとなる男の子をもうけるために必死で、6人の妻をとっかえひっかえ、離婚したり、刑死させたりと手段を選びませんでした。

ペロー童話『青髭』のモデルになった人でもあります(モデルに関しては異説あり)。



ヘンリー8世と6人の妃 ←クリックすると拡大します

それだけ無理をしてやっとこさ生まれたのがエドワード6世。『王子と乞食』の王子様であります。ですが無理が祟ったのか、刑死に追いやった女性たちが祟ったのか(実は父から先天性梅毒を受け継いでいたらしいですが)、幼いころから病弱で、父の死によりわずか9歳で即位するも、15歳で病死してしまいます。かわいそうなエドワード。


国王や貴族ともなると少なからぬ愛人がいたようですね。そこらへんは日本と変わりませぬか。

女性の場合はどうだったんでしょう?

池田 理代子
ベルサイユのばら(5冊セット)

池田理代子さんの代表作『ベルサイユのばら』では、王妃マリー・アントワネットの恋人としてスウェーデン貴族のフェルゼン伯爵という人物が出てきます。アントワネットはフランス王ブルボン家の最大のライバル、神聖ローマ皇帝ハプスブルク家出身で、もちろん政略結婚でした。フェルゼンとのことは宮廷でも噂になり、夫ルイ16世の耳にも届いていました。とはいえフェルゼンとアントワネットの関係はプラトニックなものであったらしい。


フェルゼン伯爵

(フェルゼン伯爵 1755~1810)

プラトニック・ラヴであろうとロマンティック・ラヴであろうと、当時そのような噂が出たということはそれを受け入れる土壌があったから。ベルサイユ宮殿に象徴される栄華を誇ったフランス宮廷ではかなり自由恋愛―当然結婚とは別―が盛んで、男女問わず複数の愛人を持っていたようです。


『ベルサイユのばら』より400年ほど前のフランス。当時はイングランドと長い間戦争状態にあり(百年戦争)、国土は荒廃しておりました。そこに颯爽と現れたのがジャンヌ・ダルク。彼女は南仏で不遇をかこっていたシャルル7世を正当な王として戴冠させ、劣勢だった戦況を逆転させます。

なぜシャルルがジャンヌの出現まで王として認められなかったかというと、実の母親から非嫡出であるとされたからなんですね。

そのお母さんとはイザボー(イザベル)・ド・バイウェール。ジャンヌ・ダルクが「救国の乙女」として賞賛されているのとは逆に、「淫売の売国奴」と呼ばれた女性です。ひどい呼ばれ方ですね。

シャルル7世関係系図 ←クリックすると拡大します

彼女は夫シャルル6世との間に11人の子供をもうけています。夫婦仲がよかったように見えますが、夫が精神をわずらい発狂してしまう、という悲劇にみまわれます。その後は義弟のオルレアン公ルイと不倫の仲に、それも公然とそうした関係を作ったのです。そしてそのオルレアン公が政敵に暗殺されるや、その政敵を愛人にする始末。さらにシャルル7世を「夫との間の子ではない。不義の子だ」と自分から言い出しちゃうんですね。そして実の子を廃嫡にし、娘婿であるイングランド王ヘンリー5世を跡継ぎとして認めたのです。

トロワの和約
(1420年 トロワの和約にてヘンリー5世とキャサリンが結婚)

「淫売」「売国奴」と呼ばれるのも無理からぬことかな、と思います。

しかしそれはあくまで勝者(シャルル7世やその後のフランス)の視点であり、男からみた言い分ではないでしょうか。

もしイングランドが百年戦争に勝利していたら、英仏統一王国実現を手助けした人物として、彼女の評価もずっとソフトになったでしょうね。

それに彼女の立場に立ってみれば、その生き方は当然、とは言えないまでも、しょうがない部分があったわけです。

政略結婚で異国(彼女は南ドイツ出身)の王に嫁いだものの、夫は頼りなく、やがては発狂してしまった。長きにわたる戦争で国内は分裂し、国土は荒廃しているのに。だから彼女が実力者である義弟や大貴族と結んだのは、恋愛もあったかもしれませんが、むしろ保身にあったのではないでしょうか。

実の息子を切捨て、敵国の王を後継者にしたことが彼女のイメージを徹底的に悪くしたのですが、これも結果論。ヘンリー5世は「中世イングランド最高の名君」と呼ばれたほど優れた人物でしたし、娘婿でもありましたし。江戸時代の商人が優秀な人物を娘婿としたのと同じですね。「売国奴」どころか国のことをよく考えた結果だと、私は思います。しかも自分の孫であるヘンリーの息子には英仏二つの王冠が約束されるのですから。
たとえ政治的判断よりも愛情を優先させていたとしても、淫売呼ばわりはないでしょう。

「自由意思なく、政略結婚の犠牲になった女性はかわいそう」

と考えるなら

「自分の意思で恋愛をしたイザボーは、立派だ」

となりませんか? 愛人を持つとなると、男より女の方が評価が厳しくなるのはなぜでしょう。

不幸なことにヘンリー5世はシャルル6世よりも先に亡くなってしまいました。シャルル6世亡き後はヘンリー5世の息子、ヘンリー6世が英仏両王国を受け継ぐのですが、1歳に満たない幼児のもとで、再び世は乱れます。


中世の女性たちは政略結婚をし、夫婦不仲であれば修道院に幽閉されるなどの憂き目にあいました。そうした中で、イザボーは雄雄しく自分と自分の国の運命に立ち向かったといえましょう。


。。。しかしこれもすべて私の憶測にすぎません。

彼女らがどんな気持ちで生きたのか、私にはよくわかりません。

女性から見たら、彼女たちの生き方はどうなんでしょうね?



念のための余計な付記

①私はフェミニストではありません。男女は本質的に平等であることは認めますが、形の上で何でも平等にしようとする運動には共感できません。

ただイザボーなどが「悪女」と呼ばれるのは、男性から見た評価にすぎないと思います。

②私は不倫を肯定しておりません。ただ昔のと今のそれが同列ではない、ということはわかっていただきたいです。

恋愛とか、職業選択とか、外出や旅行、住居移転などが、昔はほとんど自由でなかった。そんな時代の恋愛事情を考察しました。

もっとも庶民はもっとおおらかな性意識を持っていたらしいです。