街中を歩いていてふと感じることがあった。街中を歩いているとき、急に空気がきれいだなと思った。改めて車も少ないし、 排気ガスもさほどではない 街中。 ビジネス街とは少し外れてるからか? そこでふと思った。あの高度成長期の昭和30年代の公害からよくここまで来たもんだと思う。公害問題や街がきれいで思うのは、今まで社会と 世の中を良くしようという目標と我々の仕事は 合致していたように思う。そのため設備やインフラを整え、高層ビルやマンションを建て、 綺麗な街並みを整えて良い生活を営みたいということで 今の街ができた。それは良い日々だったことは間違いない。 

しかし、今そんな街に対するイメージもだいぶ変わってきた。 それは街が求めている方向と違う形に変わろうとしているのではないか。われわれは過去の反省から清潔・安全・快適でさらにある程度自然も豊かな街を求めていたのではなかったか。それが何か違う方向に知らず知らずに行っている。際限なく色々なビルや公共施設が作られ、 作られては壊されて再開発で新しいビルや施設が作られる。それは豊かな街づくりとは全く関係ない意図が働いているとしか思えない。今の再開発とは何なのか?今ある高層ビルもわずか100年保たず立て直しというのは、壮大な資源の無駄遣いとなる。その他のビルや公共施設も短期間に作って壊しということを前提とされたものであったということだろう。最初からビジョンなき開発が行き詰まった結果、常にイベントによって目先を変えるイベント資本主義に陥ったと思われる。 これは社会として納得できることとは違うが、派手でそしてお金になる、 やってる感もある。それしかできないと思われているのだと思う 。社会全体がそのように進むことを容認しているし、何が この社会の目標で正しいかということは分離され 分断され みんな考え方が違っているからだと思う。それでも時間は無い。できるのは各地の住民である。おそらくこれをどのようにするかというのは、やはり本来自分たちの住む街のあり方を住民自らが議論し作り上げるしかないんだろう。 地方の中で少しずつ そういうものが出てはいるものの、特に 東京など大都市圏では全く逆の方向に強く行こうとしている。住民たちには日常の意見表明と選挙しか手段はなく、イベント資本主義に反対して行くしかない。東京都知事にはこのような考え方ができる人を望むのだが。日本の大転換は非常に困難だ。