近況報告 | 住めば都☆ベイエリアの日々

住めば都☆ベイエリアの日々

2008年から4年間、夫の転勤により、アメリカ カリフォルニア州 サンフランシスコ郊外のフォスターシティで駐在生活。 2児の母。 
2012年4月、日本に帰国いたしました。

みなさま、大変ご無沙汰しておりました。

早いもので、前回の記事からほぼ一ヶ月たってしまいました。



引越し荷物はまだ片付いておらず、

まだまだ 落ち着かない家の中でございます。


実は、先月 ある朝 背中に激痛を感じまして、

なんとか起き上がったものの、立っても、座っても、何をしていても
息をするたびに心臓を”きゅーっ”てつかまれるような痛みでダウン。

フツーにじっと座っている姿勢がつらかったので、数日は寝たきり。

パソコンにもさわれない状況がしばらくつづいておりました。
3週間近くたった今もまだ、痛みが少し残ってる状態で。

あまりにもひどい痛みだったので、整体にも内科にもかかりましたが、

多分神経痛だろうとの診断。

ぎっくり腰はやったことがありましたが、

こんな痛みは初めてで自分でもびっくりしました。

整体の先生には、「尋常じゃないくらい左胸の方が固くなっていた。

アメリカで4年間溜まっていたストレスが抜けようとしてるんじゃないか?」と言われました。
ま、環境が変わるといろいろあるもんです。


こどもたちも、日本の小学校に通い始めてもう2ヶ月。


娘は、毎日が楽しくてしょうがない様子。

お友達と一緒に遊びたいという目的で、毎日のように放課後は”はまっこ”に行くので、
帰りは5時すぎ。
(”はまっこ”。横浜市の公立小学校にはどこにもあるそうです。
年間500円の保険代さえ払えば、誰でも5時までは校内にあるはまっこの教室で遊ばせてもらえます。
5時以降の預かりは有料。学童保育とは、また別モノです。)

最初は、学校までお迎えに行っていましたが、そのうち慣れてきて、

「友達と帰ってくるから、迎えにこないで」と断られました。
送り迎えのない生活、ラクだ~!
一回体験するともうアメリカにはもどれませんね(笑)

娘、やっぱり勉強は遅れていて、学校のご厚意で一人だけ特別に補習をしていただくようになりました。

(友達の話しによると、帰国子女受け入れ校の中には、アメリカの学校のESLのクラスのように、
帰国子女のための補習クラスがもともとある学校もあるようです)

低学年の娘とは違って、5年生で編入した息子は、

いろいろと苦労している模様。

今まで、アメリカで音楽の授業がなかったので、リコーダーも初めての体験。

3年生からはじめているクラスメイトたちは、もう結構難しい曲を吹いてるみたいなんですよね。
イチからリコーダーを練習する息子は、気持ちに焦りもあって・・・
家で練習したものの、最初はなかなかいい音が出せずに ”ピーッ”とかなってしまい、
「もうリコーダーいやだっ!」って、泣きながらベランダからリコーダーを投げたって事件もありました。

体育は体育で、今までやったことのなかったことがこれまたいろいろありまして・・・


マット運動のうしろまわりと空気イスができない。

大縄跳びができない。
鉄棒でさかあがりができない。

給食当番もいろんな役目があるそうですね。


みんなが今まで当たり前にしてきたことを、5年生になって突然やるんだから、

ま、これだけ新しいことがいろいろあると、気分も滅入りますよね・・・
「日本の小学校じゃなくて、インターに行きたかった!」と何度も責められました。

アメリカンになってしまった息子が、ほんとうに日本の小学校生活になじむのには、

まだまだ時間がかかると思います。
とりあえず、今は、毎日学校に行ってるだけでもヨシと思っております。


また、二人とも 英語保持のためのお教室にも通い始めました。


息子は、帰国してすぐに行きたがりましたので、5月からスタートしましたが、

娘は 全然行きたがらず、しばらく放置しておりました。
でも、周りの方に「早くどこかに入れないと、低学年だと英語が抜けていくのもあっという間」と脅されまして、今月からとうとう行きはじめました。
でも、実際に行ってみると、「楽しかった~!」そうで、英語のクラスに行くのも楽しみにしているようです。

今まで、アメリカで、

月~金は現地の小学校、土曜日は日本語補習校だったのが、
日本に帰ってきて、生活が逆転した感じです。
月~金は小学校で、土曜日は英語の日になりました。

とまあ、こんな日々を送っております。

母子ともに、まだまだリハビリ期間。

また、ぼちぼちと書いていきたいと思っております。