夏至の日に、恵方参りへ行ってきました。

 

 

神社に着くと、

境内には大きな茅の輪。

 

こちらは今年参拝した神社

 

こちらは昨年参拝した神社

 

 

 

この時期は、多くの神社で

6月30日に行われる

「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」の

準備が進められています。

 

 

一年のちょうど折り返しにあたるこの時期に、

半年間の罪や穢れを祓い清め、

残り半年も清らかな気持ちで

過ごせるように願う神事です。

 

 

夏至を迎え、

陽のエネルギーが極まった今。

一度立ち止まり、

ここまで無事に過ごせたことに感謝し、

残り半年をどのように過ごしたいかを

静かに見つめる。

 

 

そんな時間を持つのも素敵ですね。

 

 

もし神社で茅の輪を見かけたら、

ぜひくぐってみてください。

 

きっと心が少し軽くなりますよ😊

   

 

 

 

夏越の祓については、

実は2年前にも記事を書いています。

 

ただし……

自分で言うのもなんですが、かなり長いです(笑)

三種祓詞の由来や神道の歴史まで話が飛んでいきますので、

「そういう話、大好き!」

という方だけどうぞ😊

   下矢印   下矢印   下矢印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  陽極まりて陰に転ず

 

 

 

 

さて、6/18・6/19は日盤切替でしたね。

 

そして明日は夏至。

 

 

 

一年の中で

最も陽の氣が満ちるタイミングです。

 

 

 

昔から、

「陽極まりて陰に転ず」

と言われるように、

ここを境に少しずつ

冬至へ向かって陰の氣が増えていきます。

 

 

 

「陰の氣が増える」と聞くと、

なんとなく暗いイメージを

抱く人もいるかもしれません。

 

 

 

「陰」という漢字のイメージから、

どうしても

「陰気」「マイナス」「悪いこと」

と結びつけてしまいがちですよね。

 

 

 

でも、それは大きな誤解です。

 

 

 

東洋医学や陰陽五行の世界では、

この世のすべてを

「陰」と「陽」のバランスで捉えます。

 

 

 

どちらが良い・悪いではなく、

どちらも絶対に欠かせない

大切なエネルギーなんです。

 

 

 

「陽」が昼の太陽なら、

「陰」は夜の美しい月。

 

 

 

昼があるから夜があり、

活動する時間があるから休む時間がある。

 

 

 

もし一年中ずっと、

真夏のような強い陽の氣だけ

だったらどうでしょう。

 

 

 

植物は枯れ、

私たちの心も体も

燃え尽きてしまいますよね。

 

 

 

自然界が「昼と夜」を繰り返すように、

私たちのバイオリズムも

「陽(動)」と「陰(静)」を繰り返すのが、

最も自然で健康的な状態です。

 

 

 

九星気学でも、

運気が伸びる人ほど

「動く時」と「蓄える時」を

上手に使い分けています。

 

 

 

勢いよく走ることだけが

前進ではありません。

 

 

 

立ち止まり、

整え、

エネルギーを充電することも、

未来への大切な一歩です。

 

 

 

キラキラ「活動」から「休息・充電」へ

 外へ外へと向かっていたエネルギーを、

 内側へと向け、

 心と身体を深く休ませる時間

 

 

 

キラキラ「拡大」から「熟成・統合」へ

 春から夏にかけて広げたものを、

 じっくりと自分の内側に定着させ、

 豊かさを育む時間

 

 

 

キラキラ「自分と向き合う」タイミング

 外側の賑やかさから離れ、

 自分の本当の心の声に耳を傾ける

 静寂の時間

 

 

 

 

夏至を境に陰の氣が増えていくということは、

 

大自然が私たちに

 

「前半戦お疲れ様。

ここからは少しペースを落として、

内側を充実させていこうね」

 

と優しい休息のサインを送ってくれている証拠。

 

 

 

 

なので、

 

「自分をたっぷり労わるシーズンが始まるんだな」 

「内面を磨くチャンスだな」

 

と、ワクワクしながら

これからの季節を迎えてみてくださいね。

 

 

 

自然のリズムに身をゆだねながら、

自分の心や暮らしを丁寧に整えてみてください。

 

 

 

「陰の氣」の静かで豊かなエネルギーを

味方につけていきましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  死ぬってどういうことなんだろう?

 

 
「死ぬ」という言葉を聞くと、
多くの人は
「怖い」「縁起でもない」
と感じるかもしれません。
 
 
 

でも、命あるものは、

生まれた瞬間から

死に向かって生きています。

 

 

 

人間も、
動物も、
植物も。

 

 

 

すべての命に共通するゴール,

それが「死」です。

 

 

 

それなのに、私たちは

「死」について深く考える機会を

ほとんど持ちません。

 

 

 

むしろ、漠然と恐れて

避けてしまうことの方が

多いのではないでしょうか。

 

 

 

 

  14歳、夜の闇を走った理由

 

私が初めて「死」というものを

強く意識したのは

中学2年生の頃でした。

 

 

 

自分がこの世から消えてしまう

とはどういうことなのだろう。

 

 

 

考え始めると、

 

不思議で、
怖くて、

 

じっとしていられない衝動にかられ、

夜中に布団から抜け出し、
意味もなく夜道を走ったこともありました。

 

 

 

その頃の私は、まだ

ごく身近な人の死を

体験したことがなかったのです。

 

 

 

 

  初めて経験した同級生の死

 

中学3年生の時。

仲の良かった同級生の男の子が、
自然災害で亡くなりました。

 

 

 

一年以上交換ノートを続けていた友人でした。

(※交換ノートって昔流行っていたんですよね…)

 

 

眠っているような顔をしていました…。

周りの友人たちはみんな泣いていました。

でも私は一粒の涙も出ませんでした。

 

 

 

数日後のお葬式でも涙は出ませんでした。

 

 

 

友達は驚いていました。

なぜなら、

普段の私は泣き虫だったから。

 

 

 

なぜだったのか、
今でもよくわかりません。

 

 

ただ、

彼が亡くなってからの数ヶ月間、

「幽霊になって出てくるのでは…」

 

 

なんだかそこにいるように感じて、

怖くて、夜一人でお風呂に入ることすら

できなくなってしまったのです。

 

 

 

あの頃の私にとって、

死とは、

ただただ恐ろしいものだったのです。

 

 

 

 

 

  大好きな祖父との別れが教えてくれたこと

 

その8か月後、

大好きだった祖父が亡くなりました。

 

 

 

今度は違いました。

悲しくて悲しくて、
何をしていても涙があふれました。

 

 

 

道を歩いている時も泣いていました。

入学したばかりの高校も、
10日以上休んでしまいました。

 

 

 

不思議なことに、

そのときは、

幽霊でもいいから、
じいちゃんに会いたい

と願っていました。

 

 

 

このとき初めて、

死は恐怖ではなく、

私のすぐ隣にある

「身近なもの」になった気がします。

 

 

 

さらにその翌年。

仲の良かった同級生が

突然バイク事故で亡くなりました。

 

 

 

水泳で将来を期待され、

夢に向かって頑張っていた彼。

 

 

 

国体や県大会にインターハイ、

遠征などで学校を休むことが多く、
私はよくノートを貸していました。

 

 

 

「これからやりたいことがたくさんあっただろうな。」

「彼には明るい未来があったのに…」

「やり残したことがあって悔しいだろうな」

 

そう思うと、切なくて涙が止まりませんでした。

 

 

 

学校の廊下から見えるプール。

彼がいつも泳いでいた5コースに

花束が浮いていました。

 

 

 

 

  人はなぜ死を怖がるのか

 

私は思うのです。

死ぬのが怖いと思っている人は、

やりたいことがまだある人です。

 

 

 

生きていれば、

もっと楽しいことがあるはず。

 

もっと良い人生が待っているはず、

と思っている。

 

 

 

それが理不尽に奪われてしまうのが怖いのです。

未来が楽しみだからこそ、長生きしたくなる…。

 

 

 

反対に、

「いつ死んでもいい」

と思っている人は、

 

人生でやるべきことをやり切った人、

そして、未来がなくなっても

失うものが何もないと感じている人です。

 

もう悔いはないのでしょうね。

 

 

 

一方、人生に絶望し、

この先もう良いことなんて起こらない。

と思いつめてしまう人もいます。

 

 

 

大失恋。

受験の失敗。

リストラ。

倒産。

 

 

 

大きな挫折の渦中では、

すべてが終わったかのように

感じられるのも無理はありません。

 

 

 

そうなったとき、

人はどうしても視野が狭くなってしまい、

「これからもずっと悪い状態が続くんだ」

と脳内で勘違いを起こしてしまうことがあります。

 

 

 

でも
未来は誰にもわかりません。

 

 

 

時が経ち、振り返ってみれば、

あの時は人生が終わったと思ったけれど、

そうでもなかった。

と思える日が来ることも少なくありません。

 

 

 

けれど世の中には、

 

残念ながら、

末期の病気で治る見込みがなく、

耐え難い苦痛の中で生きなければならない、

という過酷な現実を生きている人々もいます。

 

 

 

以前、テレビのドキュメンタリー番組

『ザ・ノンフィクション』で放送された

『私のママが決めたこと』という映像を見ました。 

 

 

 

全身に転移したがんによる耐え難い痛みのなか、

44歳で余命宣告を受け、

日本では認められていない

「安楽死(尊厳死)」をスイスで受けることを

決断した女性・マユミさんと、

その決断に向き合ったご家族の記録です。

 

 

 

夫と2人の娘さんが悩み抜き、

葛藤しながらも、

最後は彼女の意思を尊重する姿。

 

 

 

 

そして、同じように

スイスでの安楽死を選ばれた

別の女性の映像を見つめながら、

 

 

私は深く考えさせられました。

 

 

他にも安楽死を求めて

スイスに渡った人が

たくさんいらっしゃるようです。

 

【安楽タヒを求めて】「1リットルの涙」の病、脊髄小脳変性症と生きた30年

 

 

 

 

その姿に触れるたび、

「生きる」とは何か、

「幸せ」とは何か

を考えさせられます。

 

 

 

死については、

簡単に語れるものではありません。

それぞれに事情があり、
それぞれに人生があります。

 

 

 

だからこそ、

死を考えることは、
生を考えることでもある

のだと思います。

 

 

 

そして、

人が本当に怖いのは、

自分の死ではない

のかもしれません。

 

 

 

愛する人の死です。

 

 

 

子ども。

親。

配偶者。

友人。

家族同然のペットたち。

 

 

 

失いたくない存在がいるから、
私たちは死を恐れます。

 

 

 

子供を虐待して殺してしまう親がたくさんいます。

 

 

 

大学病院の小児病棟で

そんなニュースを見ていた

入院患者の母親が

 

「そんなにいらない命ならうちの子にちょうだいよ!」

 

と泣き叫んでいた姿が、

今も脳裏に焼き付いています。

 

 

 

 

  死を前にすると価値観は変わる

 

 

健康で物事が思い通りに進んでいる時、

私たちはつい刺激的な幸せを手に入れることに

一生懸命になります。

 

 

 

もっと成功したい。

もっといい家に住みたい。

もっと贅沢な暮らしがした。

もっとお金もちになりたい。

 

 

 

もちろんそれも大切です。

 

 

 

けれど、

いざ「死」を目前にしたり、

身近に感じたりした瞬間、

 

 

それまでの価値観が

ガラガラと音を立ててひっくり返るほどの、

大きな氣付きを得ることがあります。

 

 

 

キラキラ健康でいられること。

 

キラキラ人の優しさや手の温もり。

 

キラキラ家族との時間。

 

キラキラ自然の美しさ。

 

キラキラ大切な人との思い出。

 

キラキラ誰かの役に立てた喜び。

 

キラキラ日々のやりがいや、自分自身の成長。

 

 

 

当たり前だと思っていたものこそ、

かけがえのない宝物だった

気づくのです。

 

 

 

 

  今日という一日を大切に

 

どんな死に方をするのかは、

どんな人生を歩んできたか

と同義です。

 

 

 

だから、

死を考えることは、

生き方を考えることでもあります。

 

 

 

日々の幸福の土台となるのは、

やはり

「精神的な健康」と

「肉体的な健康」。

 

 

 

この土台を大切にしながら、

 

「いつか」ではなく

「今」を生きること。

 

 

 

今この瞬間を味わい、

目一杯楽しむこと。

 

 

今日という一日を、

愛おしく、大切に過ごすこと。

 

 

 

それが、

死を見つめた先に見えてくる

答えなのかもしれません。

 

 

 

 

こちらの記事もぜひお読みくださいね。

   下矢印 下矢印 下矢印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  新居が凶方位です

 

 

引越しを予定している人から、

 

「希望する新居が凶方位になのですが、

どうしたらいいですか?」

 

というご相談をいただくことがあります。

 

 

 

前回のブログでは

「仮吉方」についてご紹介しましたが、

 

 

 

 

仮吉方には

大きく分けて2つのパターンがあります。

 

 

図を見ていただくと、

イメージしやすいと思います。

 

① 一時的に別の場所で寝泊まりし、再び自宅へ戻る方法

現在の住まいから仮の場所へ移動し、

75日以上滞在します。

その後、自宅へ戻るときが吉方位になる

タイミングで戻ってくる方法です。

 

引越しが難しい人が、

吉を取り込んだり

過去の凶方をデトックスする

目的で実行します。

 

 

② 凶方位になる新居に引越しをする前に「仮吉方」を経由する方法

 

もう一つは、

引越し先が凶方位になってしまう場合です。

 

この場合は、

いったん新居とは別の場所へ移り、

そこで75日以上滞在してから新居へ入居します。

 

仮吉方先から見て

新居が吉方位となるようにすることで、

凶方位の影響を避け、

さらに吉を得ようという考え方です。

 

 

この方法なら、

ハッピーに新生活を

スタートさせることができますね。

 

 

 

  テント生活はOK? 車中泊はNG?

 

仮吉方には、

少し驚くルールがあります。

 

車中泊は認められない一方で、

山などにテントを張って

寝泊まりするのはOK

とされているのです。

 

 

地面に直接近い環境で過ごすことで、

地球のエネルギーを取り込む

「アーシング」のような

意味合いだと思います。

 

 

とはいえ……

75日間もテント生活?

と思わず驚いてしまいますよね。

 

 

最近は全国各地で

熊の出没も話題になっていますし、

現実的には実践する人は

いないと思いますが、

 

 

「実際にやったことがある猛者はいるのかな?」

と、少し気になってしまいます。

 

 

現代の仮吉方は、

安全で快適な

ウィークリーマンションや

ホテルなどを上手に活用するのが

一番ですね!

 

 

 

 

  仮吉方をご検討中の方へ

 

仮吉方は、方位や期間、タイミングなど

確認すべき点がいくつもあります。

 

  • 75日はどう数えるの?
  • ホテルでも大丈夫?
  • 家族がいる場合は?
  • 持っていってもいい物・いけない物

など、

 

安心して計画を進めるためにも、

不安なことや疑問がありましたら、

お気軽にご相談ください。

 

 

明日から、

期間限定の個別相談の

受付をスタートいたします!

 

 

【期間限定】個別相談のご案内

🌸受付期間:6月18日~6月24日

 

🌸特別料金:60分 6,600円

 

お申し込みは

こちらからお願いいたします。

 

https://ws.formzu.net/fgen/S326633186/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名前には果てしない可能性が眠っている…

 

  戦国武将たちの名前のロマン

 

歴史の荒波の中で、

自らの運命を切り拓いた戦国武将たち。

 

 

歴史を動かすものは何でしょう。

 

 

軍事力でしょうか。
知略でしょうか。

それとも、

時代の流れでしょうか。

 

 

それらに加えて

「名前」もまた、

人生を後押しする

大きな力なのではないか

と確信する武将がいます。

 

 

それは、

徳川家康と豊臣秀吉です。

 

 

家康は

時代や立場に合わせて

名を改め、

自らの存在を

巧みに表現していきました。

 

 

 

 

そして秀吉もまた、

驚くほど名前にこだわり、

名前に対する執念は、

並々ならぬものがありました。

 

 

秀吉は生涯で

何度も名前を変えています。

 

 

幼名の日吉丸は

史実として確定している

わけではありませんが、

 

 

織田信長に仕えてからの

秀吉の「名前の引きの強さ」は、

まさに強運の天才そのものでした。

 

 

木下藤吉郎秀吉

すべての始まり。

ここから彼の伝説が幕を開けます。

 

 

羽柴秀吉(1573年〜)

先輩の丹羽長秀と柴田勝家から

一文字ずついただいたものか…

この頃は柴田勝家とも

仲良くやっていたんですね。

 

 

平秀吉(1582年〜)

明智光秀を討ち果たし、

一躍、時代の中心へ躍り出た秀吉。 

当時の大名たちは系図を整え、

朝廷で通用する氏を名乗りました。

彼が選んだのは「平(たいら)」。

 

 

藤原秀吉(1585年〜)

関白の座に就くため、

形だけ藤原氏の養子となって

名乗った名前です。

 

 

豊臣秀吉(1586年〜)

そして最後に行き着いたのが、

歴史にその名を刻む「豊臣」。 

この名前は、

秀吉が学者たちを集めて

徹底的に調査させ、

選び抜いた名でした。

 

 

 

  名前に後押しされ、最強の覇王へ

 

これほどまでに

名前にこだわり続けた秀吉。

 

 

そこから伝わってくるのは、

名前に対する並々ならぬ思い

です。

 

 

「羽柴秀吉」も

「藤原秀吉」も

「豊臣秀吉」も

100点満点。

 

「平秀吉」もほぼ100点。

 

最高と言える100点満点の名前を、

自らの手で次々と引き当てていく。 

 

 

これこそが

彼が「本物の強運の持ち主」である

証拠ではないでしょうか。

 

 

まるで天下を取る前から、

自分の運命を知っていたかのようです。

 

 

「良い名前を得ること」もまた

強運の一つなのかもしれない、

と感じずにはいられません。

 

 

良い名前を引き当てるのも運。

そしてその名前に押し上げられ、

さらに運を呼び込んで

最強の存在になっていく。

 

 

このポジティブな

エネルギーの循環こそが、

日本一の大出世を遂げた

原動力だったのです。

 

 

 

ところが最近、

さらに興味深いことに気付きました。

 

 

秀吉本人ではありません。

 

 

秀吉を支え続けた弟、

豊臣秀長です。

 

 

今、大河ドラマの主人公としても

注目されている秀長ですが、

歴史のロマンに魅せられた

人々は知っています。

 

 

彼こそが、

豊臣の栄華を裏で創り上げた

「最高のバランサー」

であったことを。

 

 

天才肌で暴走しがちな        

兄・秀吉のひらめきを、

緻密な実務処理で現実のものにし、

外交や諸大名との調整を

完璧にこなした名参謀。

 

 

秀長が秀吉よりも先に

病で旅立ったとき、

豊臣家の運命の歯車は

大きく狂い始めました。 

 

 

利休の切腹、過酷な海外出兵、身内の粛清……。 

 

 

歴史家の中には、

「秀長が長生きしていたら豊臣家は滅びなかった」

と語る人もいます。

 

 

実際、秀長が病で世を去った後、

豊臣政権は急速に均衡を失っていきます。

それほど彼の存在は大きかった。

 

 

 

 

実は

秀長もまた、

100点満点の名前でした。

 

 

 

 

  時代をひっくり返した「二文字の心理戦」

 

そんな秀長ですが、

もともとの名前は

「長秀」でした。

 

 

長秀の「長」は、

主君信長の「長」。

 

 

信長が上で、

兄・秀吉が下。

 

 

「私たちはどこまでも織田家に従います」という、

序列をわきまえた忠誠の証としての名前でした。

 

 

しかし、信長亡き後、

天下を巡る争いが始まります。

 

 

誰が織田家を継ぐのか。

誰が次の時代を作るのか。

 

 

日本中が固唾をのんで

見守っていた時代です。

 

 

そのタイミングで、

 

弟の名前は

「秀長」

へと変わりました。

 

 

秀が上。

長が下。

 

 

そこには、

天下への意志表示

でした。

 

 

もう織田家の家臣ではない。

もう誰かの下ではない。

次の時代を創るのは自分たちだ。

 

 

そんな

無言の広告戦略

だったのです。

 

 

徳川家康も、100点満点。

豊臣秀吉も、100点満点。

そして、

豊臣秀長も、100点満点。

 

 

家康も秀吉と秀長も、

名前に宿る大いなる力を味方につけ、

名前に生かされ、

時代を創っていきました。

 

 

歴史を動かした男たちの

「名前のロマン」を思うとき、

 

 

私たちが持つ名前の力にも、

果てしない可能性

が眠っているような

気がしてなりません。