「椰子の実」の歌詞から浮かぶ女性を犠牲にした支配層の闇 | 輝くあなたを取り戻して

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「旧清水市の昼の音楽が椰子の実だといいます。椰子の実の歌詞には、隠語が用いられて、どこか遠くに売られる女性の心情が伝わってきます。昔から清水港で女性の人身売買が行われていた可能性を感じます。それは、明治時代のからゆきさんにも繋がります。多くの人が支配層の闇に気づく時にきています。」

 

2023年12月の輝く地球・光の講座の受講者の方の簡易ヒプノセラピーで、徳川家康の母親である於大の方(おだいのかた)から「徳川の悪行を浄化して欲しい」と伝えられました。徳川の悪行とは、徳川家が裏で行っていた人命を犠牲にした金儲けであり、松取りなどの支配層の闇だと捉えていました。徳川家が秘密裏に行っていた支配層の闇の解除・統合をする必要がありました。

 

ヒプノセラピーの内容は、《「徳川の悪行を浄化して欲しい」と伝えてきた家康の母・於大の方》の記事に記してあります。また、伝えられたメッセージの概要は以下の通りです。『母親が"於大の方"と言ったのは、於大の方が言いたい事があるから。世の中が変わり目にあるから、徳川の悪行を浄化して欲しいと言っている。

 

浄化すべき徳川の闇の場所は静岡。地下とか海。ヤシがなっている。木のワードが出てくる。日本を良くして欲しい。自分にも光が必要。無念だった。家臣たちを上げて欲しい』。江戸時代の徳川家康を家祖とする徳川将軍家は、日本の深い闇の基礎を築いた存在だったと見ています。

 

江戸初期には大御所政治(駿府政権)の中心地となった駿府城のある静岡の地は、支配層・八咫烏のベースとなる闇が置かれた場所でもあります。徳川の闇の場所として具体的には、居城であった駿府城や海運のための港である清水港があります。清水港は、甲斐国の武田氏の水軍拠点であり、武田氏が終焉を迎える際に徳川家康が武田の水軍や家臣の旗本を引継いだのです。

 

徳川将軍家の中心拠点は、江戸城のある現在の東京と思われますが、実は、船を使った裏の工作拠点は静岡県清水の地だったと感じます。ヒプノセラピーの於大の方からのメッセージには、解除・統合すべき徳川の闇の場所のヒントがありました。「浄化すべき徳川の闇の場所は静岡。地下とか海。ヤシがなっている。木のワードが出てくる」の箇所です。

 

実際に、徳川家の闇の解除・統合のためのワークの内容を綴ったのが《徳川の闇のヒントを伝えた家康の母「於大の方」と支配層の闇の真実を作品に盛り込んだ「さくらももこ」》を含めた4つの記事です。徳川の裏の工作拠点となった静岡県清水の地は、ちびまる子ちゃんの作者の「さくらももこ」の故郷でもあります。

 

さくらももこは、江戸時代の徳川家という支配層の闇も表に出すための役割をになっていたと感じます。ヒプノセラピーで与えられた「ヤシ」から「清水・ヤシ」で検索していくと、《Yahoo!知恵袋》がヒットしました。そこには、『清水市によく出張に行くのですが、正午になると「椰子の実」という曲が流れるんですがこの選曲は理由があったら教えて頂けますか?』という質問がありました。

 

質問に対するベストアンサーには『(想像です)三保の松原の浜のイメージを表すためにちょうど良いから使ったんじゃないかな。清水市というのは今は存在しません。「椰子の実」は、柳田国男の伊良湖(愛知県)のエピソードに基づいた島崎藤村の詩です。両者とも清水とは関係ありません。作曲者は知りません』と記されていました。

 

静岡市清水区(旧清水市)の12時の音楽が「椰子の実」の曲だといいます。何かヒントとして置かれているように感じて、「椰子の実」について追うことにしました。実際の曲がついた「椰子の実」の歌は《椰子の実Yashinomi/歌いだし♪なもしらぬ/見やすい歌詞つき【日本の歌Japanese traditional song】》のYouTube動画で視聴できます。

 

wikiには「椰子の実」の情報が記載されています。『 「椰子の実」(やしのみ)は、島崎藤村が明治時代に執筆した詩。昭和に入って曲が付けられた。1900年(明治33年)6月の雑誌「新小説」に「海草」という総題で発表された誌の一遍で、1901年(明治34年)8月に刊行された詩集「落梅集」に収録されている。

 

この詩は1898年(明治31年)の夏、1ヶ月半ほど伊良湖岬に滞在した柳田國男が恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を藤村に語り、藤村がその話を元に創作したものである』。歌曲になった「椰子の実」の歌詞は以下の通りです。

 

『名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実(み)一(ひと)つ 故郷ふるさとの岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月(いくつき) 旧(もと)の樹(き)は生(おい)や茂(しげ)れる 枝はなお影をやなせる われもまた渚(なぎさ)を枕(まくら) 孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ 実(み)をとりて胸にあつれば 新(あらた)なり流離(りゅうり)の憂(うれい) 

 

海(うみ)の日(ひ)の沈むを見れば 激(たぎ)り落(お)つ異郷(いきょう)の涙(なみだ) 思いやる八重(やえ)の汐々(しおじお) いずれの日にか国(くに)に帰らん』。「椰子の実」の歌詞を読んで、すぐに感じたのは、海外に売られる女性の心情が含まれているように思いました。「いずれの日にか国(くに)に帰らん」という箇所が象徴的です。

 

「いつの日か故郷の国に帰りたい」という思いを感じます。また、歌詞の中には随所に隠語が使われています。「名も知らぬ遠き島より」の「島」とは「シマ」であり、暴力団(ヤクザ)の縄張りの意味があります。「名前も分からない遠い場所のヤクザの縄張りから」という意訳になります。「流れ寄る椰子の実(み)一(ひと)つ」にも隠語があります。

 

「椰子の実(み)」の「椰子」とは、「香具師(やし)」でもあります。香具師とは簡単に言えば裏の仕事をする工作員のことです。wikiには、『香具師とは、祭礼や縁日における参道や境内や門前町、もしくは市が立つ所などで、露店で出店や、街頭で見世物などの芸を披露する商売人をいう。また野師、野士、弥四、矢師とも表記する。

 

古くは、香具師(こうぐし)とも読み、主に江戸時代では歯の民間治療をしていた辻医者(つじいしゃ)や、軽業・曲芸・曲独楽などをして客寄せをし、薬や香具を作ったり、売買していた露天の商売人を指した。明治以降においては、露店で興行・物売り・場所の割り振りなどをする人を指し、的屋(てきや)や三寸(さんずん)とも呼ばれる』と記されています。

 

香具師は、神社の祭の時の出店を出す的屋であり、大勢の客がいる中からめぼしをつけた若い女性をさらって人身売買の仕事を担っていたと見ています。「椰子の実」とは「香具師の実利」である利益になる女性を意味していると感じます。香具師については、《夢のキーワードから導かれた香具師という裏世界に通じる職業》で調査とワークを行っています。

 

「名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実(み)一(ひと)つ」の隠された内容は「名前も分からない遠い場所のヤクザの縄張りから送られて集められた売られる女性が1人いる」という意味です。女性の人身売買が絡んでいる故に、性的な隠語が各所に用いられています。「枕(まくら)」「浮寝(うきね)」がそうです。

 

「われもまた渚(なぎさ)を枕(まくら) 孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ」にありますが、「枕」は、芸能界での「枕営業」などで広く知られています。「浮寝(うきね)」についてネットで調べると、コトバンクがあり、『夫婦でない男女が一時的に契りを結ぶこと』と記されています。売春のための女性が想像できます。

 

反社によって集められた女性は、単なる遊女や売春婦だけではなく、中には男性を対象にした諜報部員としての「くノ一(くのいち)」や「美人局(つつもたせ)」のような女性工作員の役割を持つ可能性もあります。歌曲「椰子の実」の歌詞には、明治時代の支配層が女性の人身売買を行っていた真実が込められていると感じます。

 

海路を通じた女性の人身売買というと、すぐに浮かぶのが「からゆきさん」です。ヒプノセラピー記事《存在を消された日本の軍人たちが光に還る》では、明治時代に天皇のために女性の人身売買が行われており、名前のない軍人が現場仕事をしていたことが伝えられています。『存在を消された軍人たちがいた。金のために天皇の周囲で人身売買の仕事をして来た。

 

植民地でパーティーを開き、女性を集めた。上流階級の人たちに売った。何万人もの女性たち。拠点は長崎と東京・赤坂。光を降ろすと大勢の軍人たちが光に還った』。また、「からゆきさん」についても言及しています。『セッション後、ネットで調べると《天皇 三菱財閥の人身売買 からゆきさん》を見つけました。

 

「日本郵船(三菱財閥と天皇が経営してた)は日本の若い処女の娘たちを、海外へ売春婦として売り飛ばしたりもしていた。天皇の莫大な財産は、売春斡旋業で得たもの。犠牲になった日本人女性は数十万人にも上る」と書かれていました。全ての始まりは、資金を得るための闇の仕事でした。福沢諭吉と岩崎弥太郎も関係しているといいます。

 

「1885年、天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社、日本郵船が創立されました。明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は、欧米からあらゆる兵器を購入し続けていましたが、欧米への支払いに当てる資金が日本にはありませんでした」「そこで福沢諭吉は、"賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可すべき"という指示を天皇に与えました。

 

賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に輸出、売却し、兵器購入資金を作るというプランであり、天皇一族はこのプランに飛び付き実行しました」。戦争と植民地統治の背景がありました。日清戦争以降の日本は、阿片政策によって、台湾、朝鮮半島、中国という植民地を統治して来ました。

 

武器、麻薬、人身売買という反社の三点セットを国家ぐるみで行っていた隠された暗黒の時代でした。現在の日本の暗闇の原点と感じます』。武器、麻薬、人身売買という反社の三点セットは、今は、松利権が主軸にあることが分かっています。静岡県清水区(旧清水市)の地で昼の放送に「椰子の実」の楽曲が流れることは清水港で行われていた事を暗示します。

 

徳川幕府の裏の拠点だった清水港で、江戸時代から女性の人身売買という支配層の金儲けが行われていた可能性があります。《日本郵船との繋がりが深い静岡・清水を拠点とする創業200年超の名門・鈴与》にありますが、現在の清水港は日本郵船と深い関係の「鈴与」が実質的に支配しています。

 

こうした江戸時代の徳川幕府から続く支配層の深い闇を終わらせる必要があります。そのために、清水の地に「椰子の実」の楽曲のヒントが置かれていたと感じます。全ては、闇を終わらせる役割も担う八咫烏の仕掛けだったとみています。「椰子の実」を作詞した島崎藤村やきっかけをつくった柳田國男について、さらに調べていきました。

 

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