あまり長くもないけど、俺の中では結構長く生きている。この世に生まれ44年目を迎える。年のせいか、いろいろあったなぁ~と考える。小学生の時は結構おしゃべりで、やんちゃ坊主で、西城秀樹や野口五郎のものまねとかいろいろやっていた。
中学生になって、親父が労働組合の役員をやっていて、ほぼ毎日、組合員が家に集まり、酒を飲みながら討論していた。その頃からか、結構性格は暗くなり、当時よく言われた不良少年というか悪の道に進みだした。親には常に反抗していた。学校の成績もあまり良くはなく、家に居場所が無いように思え、友達と色々悪さをしている方が楽しく、家族との会話も無くなっていった。ただ、お袋がいつも悲しい顔をしているのが気がかりだった。中学は何とか卒業し、高校も何とか合格した一年生の5月、3年生と喧嘩し、日付けなしの退学届けを書かされた。とりあえず、進学校だったので、行動も格好も、人から見たら異常に見えていたのだろう・・誰も声もかけないし、高校の友達っていうのはいなかった。中学生の時から車を乗り回し、毎日がスリリングな日々だった。しかし、幸運は長くは続かないもので、とうとう警察のご厄介になってしまった。今、一緒に仕事をしている田川取締役部長と車に乗って町を流していると、パトカーに見つかり、追いかけられた。俺達は車を捨て、繁華街に逃げ込んだが、あえなく・・お縄になっちまった・・一般人が俺達の逃げるのを阻止し警察官に囲まれたが、最後まで抵抗したので、とうとう手錠をかけられ、緊急逮捕となった15歳の夏・・・それでも懲りずに兄貴のバイクを夜な夜な乗り回し、それも兄貴に見つかり、しこたま殴らた。バイクの免許を取って、バイトして貯めた金で単車を買った。
CB400F・・単車仲間と夜に暴走・・世界が輝いていた16の夏・・何とか高校もギリギリで卒業できそうな時、またやってしまった・・傷害事件・・喝上げされていた同級生の弟を助けたら、その夜そいつらがお礼参り・・5人にやられ袋叩きにあった次の日、そいつらの家に一軒一軒仕返しにいった。3軒目に警察が待機していて、あえなく御用・・・学校にもばれたが、当時の校長先生が寛大な人で、謹慎2日で済ませてくれて、なんとか卒業!しかし校長先生に言われた言葉・・「本校始まって以来の生徒でした・・」今でもどういう意味か?って考える時もあるけど・・大学にいく金もなく、就職は無かったし・・専門学校に行くことにしたのが、間違いの始まりだった・・・。
つづく・・
これを気楽にかいているが2階で兼ちゃんが税務署職員を奮闘中・・・