シビックレースの事を書いていたら昔が懐かしくなり、アルバムを開いてみてみた。

レースを始めるきっかけとなったのが、シビックレース。友達の友達から当時30万でスーパーシビックレースカーを買って何も解らないままレースを始めた。この頃はストリートチューンの全盛期で、俺もハコスカの3リッターフルチューンの車や当時羨望の的であったジャパンを3リッターにボアアップしHKSのソレックスターボ仕様にして公道じゃ負け無し・・誰にも負けなかった。その勢いで当時の西日本サーキットへ殴りこんだ・・・結果は・・惨敗・・その時も女性ドライバーがいたが、彼女にも負けてしまって、結構落ち込んでいた・・。次の年ワンダーシビックと混走で勝ち目なし・・しかし1時間耐久があったとき、それも大雨の時、ワンダーシビックに勝った事で少し自信がついた。

当時西日本サーキットのシビックレースは3強といわれる人達がいた。一村達彦・清水忠行・吉原信行・・常にこの3人がトップ争いをやっていた。俺もワンダーシビックを手に入れ、この3人に勝負を挑んだ・・シビックレースをやって1年半、やっと勝てた1987年・・21年前・・・レースの前日S字コーナーでクラッシュして、当時のメカニック、っていっても学生時代の友人、原口秀晴(現イスズ)が懸命の修復をやってくれて何とかレースに出られたのを思い出す。ドライバーは俺、メカニックは友達の原口、たった2人だけでやってきて、初優勝・・・このとき2人でうれし泣きしたのが昨日の事のようだ。もう21年たっているのが不思議なくらいだ。今でも気持ちはあの頃と変わってないようだけど、ちょっと臆病になったかな?(修理代の高騰)サバイバルレース・・シビックレース、メカニックはスパナを使うより、金槌で整備していた時間が多かったようだ。

  倉庫の隅にあった当時のトロフィー・・安っ!