戦時中、捕虜になればシベリアに送られ2度と帰っては来れない・・というくらいに極寒の国ロシア。そんな話も大滝詠一氏の「さらばシベリア鉄道」という歌を聞けば、ロマンスの国ロシア・・と勘違いしながら、冬の真っ只中2月再びハバロスフクに飛んだ。 新潟から約3時間弱、着陸いたしますのアナウンスで飛行機の窓から外を覗いてみた。時間的に夕方6時位だが外は真っ黒、下に見えるのは一面の銀世界・・

「どこに着陸するのだろう・・」というくらい雪だらけ・・そんな滑走路に気持ち程度に

雪が無い道が見えた・・「あそこに・・?」って言うくらい狭い、しかし元ミグか何かの戦闘機を操っていたパイロットは、いとも簡単に着陸した。滑走路の脇に飛行機が止まりタラップがつき、降りる。この飛行場は滑走路の途中から入管のある建物まで歩いていかなければならない。ここで俺の最初の不幸が訪れた・・道が全部凍っている、建物まで200m位だがまともに歩けない・・それも滑り止めのついているGTホーキンスの山岳用の靴でだ、何回も転び、ついたときはあちこち痛いし、「この日本人はバカか?」っていうような目でみる入管の職員。いつものように、ながーい手続きを終え、空港をでたとき、落ち着いたのか極度の寒さが襲ってきた。迎えに来てくれた通訳さんに「今、何度位なの?寒いね~」って言うと、「今日は、暖かいですよ、まだマイナス20度くらいです」っていう・・どうなることやらと不安になり一路ホテルに向う、「ちょっと、ゆっくり走ってください」って、びびりながらドライバーにお願いする。

道路は完全に凍っている、車に乗る前タイヤを見たがスパイクタイヤでもなく、普通のタイヤが付いていた。「アナタレーサーデショウ」ってドライバーがいうけど、いくら俺がレースをやってるっていってもこんな状況なんて初めての経験だし、レースをやっているから、どんなに危ないかわかるんだよ!って心で叫ぶ。怖い思いして、ようやくホテルで落ち着き、寒さに震えながら寝る。プラス気温の国からマイナス気温の国その差約30度、さすがに寒い。次の日、うわさに聞いていたアムール川に行く。

マイナス30度、体が慣れたせいか、そんなに寒くない、厚着しているわけではないが、マイナス気温からマイナスになっても、あまり寒さは感じない、不思議だった。

しかし、風が吹くと状況は一変し無茶苦茶寒いのを覚えてる。

目の前に飛び込んできた景色に、もの凄い感動を覚え、一人できた事を後悔した。

アムール川が波の形を残し凍っている・・凄い景色だった。自分の想像をはるかに超えた、神秘的とも言える景色だった。この景色は、兼ちゃんや円ちゃん、会社のスタッフ全員に1度は見せたいものであった。感動を残しホテルに帰り、夕食を食べ、一段落し、一人で外に出てみた・・これが最高の不幸の始まりだった・・

夜の銀世界を楽しみながら歩いていると、いきなり、ウオッカで酔っているデカイ男が襲ってきた、「この野郎」と俺も応戦・・2・3発殴られ、殴り返した時・・ポリス登場

相手は逃げ俺は逮捕?留置所へ直行・・通訳が来るまでわけの分からん言葉に囲まれ、自分のやった事を反省・・事情を話し、被害者という事がわかり、釈放・・次の日犯人が捕まり、日本領事館に行き、ハバロフスクでの事件報告をし、弁護士の所に行き、ロシアでの裁判等の話を聞く。「うっそ~」という内容。「加害者を告訴すれば、慰謝料等の請求も出来るが、あなたは、月1回ロシアの裁判所へ出頭しなければならない。国際裁判のなるので、モスクワまで行かなくてはならない・・」なんてバカみたいな話・・「もう・・いいです・・俺も悪かったから・・」。加害者は俺が帰国するまで留置所で過ごし、俺が帰れば釈放するという事で落ち着いた。

ロシアでの旅は、「心も体も打たれる」旅だった・・。でも最高の思い出となった。

また機会があれば、みんなで行きたいものだ。 


後ろに見える景色が凍ったアムール川





飛び入り参加した氷上レース・・散々だった



氷の祭典