岡山のレースが終った時、スポンサーでもあり、企業人としても尊敬している社長から「なぜ、走るのか?」と聞かれ、「バカだからでしょ・・」と答えた。確かにレース、いや車を運転することは好きだし、面白い。この歳になってもサーキットに近ずくと、何ともいえぬドキドキ感がある。それはレースを始めた頃と全然変っていない。

世間から見たら、「いい年こいて・・」って思われているのはわかる。同じ年代の奴らと比較してみると、やっぱり俺はちょっとずれているように思う。とくに、昨日のブログに書いた木下さんの年代と木下さんを比較してみる・・やっぱり木下さんも・・ずれている。俺の年代は企業にいれば、それなりの地位についていて、家族があり、子供もいて、家族団欒の生活があり、命の危険な事とは、程遠い生活をしている。

木下さんの年代だってそれなりの地位、家族、ひょっとしたら、孫までいてもおかしくはない・・何故走るのだろう・・・やっぱり答えは「バカ」なんだと思う・・レースバカ・・

前にも書いたけど、レースで得るものは、日常生活では役に立たない「運転技術」

だけ・・それに付随してついてくるのが、「闘争心、集中力、体力、ヤル気、・・」これまではいいけど、負の部分もついてくる「怪我、挫折、・・借金」。レースで勝つ時は、負の部分は少ないが、調子悪くなると、この「負」の部分がお~きくなり「うつ病」みたいになってしまう・・・よく「レーサーになりたい」って相談に来る人がいるけど、いつも答えは「辞めたがいい」って答える。俺や松永先生や木下さんみたいに「バカ」になりきれればいいけど、大半の人は途中で挫折する・・残ったのは・・借金だけ・・っていう人を沢山見てきた。レースが身近に感じられるようになった近年、いい事だと思う反面、レースとしての価値がなくなりつつあるように思えてくる。ナンバー付車のレースなんて、静かでレースが始まったことすら分からない。観客よりもエントラントの人数が多い・・「手軽にレースがはじめられます」って事でヴィッツレースやワーゲンレースが始まったけど、2~3年で新型ができて、又新車購入・・・挙句の果てにはレース自体消滅・・なんてこともあり、いいのか悪いのか分からなくなっている。レースって興行の一種なんだし、見せる・見てもらうものであり、見ている人が、マシンの音に酔い、バトルに夢中になり興奮し、感動をもらう、夢のようなスポーツだと思う。

昔みたいに、マフラーは直管サイドマフラー、音量規制なし・・というふうにならないかな・・地球環境問題で、エコロジーなレースを・・って一部の人は言っているけど、静かなレーシングカーなんて、見ている方も眠くなるし、エキサイティングじゃない。

もっと過激に・・もっとパワーをつけないとレースを見る人も、やるひともいなくなるのでは・・・

音ではF3000をも凌ぐFC45・・速かったなーこのマシンで、きな臭いにおいをかいだ



音ではレーシングマシンをも凌いだコルベット 455エンジン搭載8200cc