Uncut (Apr. 2008) 

UNCUT'S PIONEERS OF COUNTRY ROCK

 
ネスミスの見解は少し違っている。「僕の考えでは、僕たちが解散したのは単純に観客を集める事ができなかったからだ。レコードは売れず、誰も僕たちの演奏を見に来なかった。僕は今まで、モンキーズは言うまでもなく、製作上の意見の相違が激しい状況を経験してきた。だが、立ち上がって観客が入ってくるのを見て、観客が声援を上げ出すと、バンドは突然、肩を並べて立ち上がる。そういう成功体験はあらゆる傷を癒やす。僕たちにもそれが許されていたなら、そういう事もあっただろう。だが、僕たちにはそれがなかった。今もだ」。
 
FNBの解散から1年もしないうちに、ネスミスとローズはエルヴィス・プレスリーのバンドを補充して、セカンド・ナショナル・バンドとして復活したが、以前と全く違う趣向のものだった。より密度の高い、重厚なサウンドになった72年の "Tantamount To Treason" はカントリー・プログレ(訳注:伝統的なカントリー音楽にフォーク、ロック、ジャス、サイケなどの要素を取り入れた実験的な音楽)の方向に傾き、ローズは桁外れに異色な演奏を解き放っている。70年代を通して、ネスミスが個性的なソロ・アルバムを次々と発表する一方で、彼とローズはコラボレーションを続けた。中でも1972年の飾り気のないアコースティックの傑作 "And The Hits Just Keep On Comin'" はその最たるものだろう。しかし、1980年代になるとネスミスは音楽以外の仕事により力を入れていく。彼は音楽プロモーション用の映像をまとめ、そのアイデアをニコロデオン・ネットワークに持込み、そしてMTVを発案した。また、映画プロデューサーとして、アレック・コックス監督のパンク映画の名作「レポマン」を手がけている。1990年以降は、タイプライター用の修正液を実際に発明した母親から相続した数百万ドルの遺産を使い、世界的な問題に対する解決法をブレインストーミングするために、著名な思想家たちが定期的に集まる会議「カウンシル・オン・アイデアズ」を主催してきた。