Headquarters Super Deluxe Edition liner notes (2022)

The Monkees' Musical Honeymoon: The Making Of Headquarters

by Andrew Sandoval


ほんの12ヶ月前、ネスミスは車のガソリン代にも困るほどで、ましてや家賃および妻や子供の食費にも困っていた。今や他に類を見ないサクセス・ストーリーの頂点に立つ彼にとって、輝くもの全てが富ではなかった。「僕はトルバドールのフーテナニー(訳注:即興のフォーク・コンサート)の司会から2万人の観客の前で演奏するようになった」と、1966年にそれまでの道のりを振り返っている。しかし、これ程までの変化でさえ彼にとっては満足のいくものではなかった。ネスミスは何かに蝕まれていた、この成功が本当は自分のものではないと感じていたからだ。

 

その一方で、デイビー・ジョーンズはようやく米国の法律上の法定年令に達した事にほっとしていた。彼は自分が契約したエンターテインメント契約はどれも彼の若さと才能につけ込んだものだと思っていたのだ。モンキーズの中で最もレコーディングの経験が豊富なジョーンズはさらに、"More Of The Monkees" は彼自身そして彼のバンド仲間を最もよく表現したものではない、とも感じていた。「僕たちは残りの人生をあのアルバムと共に生きていかなくちゃいけない存在なんだ」と、1967年5月に語っている。「それと歌、、、考えてるんだ。今から10年後に僕の息子にこう聞かれたらって。『パパ、これ何なの?”The Day We Fall In Love" って?』」。

 
「全ての事に対して、僕には二つの思いがあった」。ついにモンキーズが自己完結したバンドとして音楽制作に動き出した時、1966年後半のこの過渡期について、デイビーはこう語っている。「メンバーの為に音楽をやりたいと思ったけど、その一方で、そんな事はどうでもいいとも思っていた。今は音楽をやりたいと思ってる、でも当時はよく分からなくて、3人がやるなら僕もやろうって決めたんだ、、、」。